私のパパ
ギルデは、パパの話をしてくれた。
「アイネのお父さんは、家事もできれば、育児にも協力的で、顔もいいとかいう、マジでウザいやつだった」
「マジでウザいて」
「何より、マナ様を、世界で一番、愛していた。――僕は、彼に会うまで、僕以上にマナ様を想っている人はいないと、そう思っていたんだ。いや、今でもそこは負けていないと思っているが。マナ様親衛隊を立ち上げたのも僕だし、四六時中マナ様のことを考えていたし、マナ様の身長や体重はもちろん、毛穴の数やまつげの長さ、前に爪を手入れしたのはいつかも正確に記憶していたし――」
「待って待って。普通に、いや、めちゃくちゃキモいんだけど。その話、飛ばして?」
「まったく、そんなに急かして。仕方ないな、アイネは。ハハッ」
いや、なんていうかもう、このキモさは、言葉にもできないよね。キモいよね、絶対におかしいよね。怖いよね。何笑ってるの? 引くんだけど。
「そんな僕よりも、あいつはマナ様を、愛していた。何より、マナ様が、それ以上にあいつを愛していた」
「ごめん、前振りがキモすぎて感動できない。そもそも、ギルデのその、親衛隊とかいうストーカーっぽい行為って、ママの許可はとってたの?」
「ああ。四百七十三回やんわりと断られたが、四百七十四回目、ついに、無視されたからね。無言の肯定だと受け取ることにした」
「それは、許可を得たとは、言わない」
ママ、よく怒らなかったな……。てか、可哀想……。
「なのに、あいつは、いとも簡単にマナ様を奪っていったんだ……!! 許せない!!」
「いや、ママがパパを選んだんだから、仕方ないでしょ」
「分かっているさ! ちくしょう! 本当に、あいつは、僕よりなんでもできたんだ。剣も魔法も、料理も裁縫も掃除も、マナ様のフィギュア作りだって――」
「ストップ。え、何? ママのフィギュアって?」
「マナ様のフィギュアはマナ様のフィギュアだ。とにかく、やつはなんでもできたんだ」
いや、そこ詳しく教えてほしいんだけど。めちゃくちゃ知りたいんだけど。
「そうは言っても、私のパパだよ? なんでも、はできなかったと思うけど」
だって、私がこれなのだ。ママがあれだけすごいすごいと言われていて私がこれなら、全部、パパのせいに決まっている。
「そう言われると、走るのは苦手だったな。なんでも、生まれつき足腰が弱く、幼少期はずっと、車椅子だったらしい」
「へー。そうなんだ。私、こんなに速いのに」
「というか、運動全般が苦手だったね。ボールを投げたら、頭に降ってきた、という話を聞いたことがある」
「そういえば、歌も苦手だったって聞いたよ」
「ああ、そうだったね。世界が終わりそうな歌声だった。あれは酷かった」
「そんなになんだ……」
いや、全然、なんでも、じゃないじゃん。全然、普通の人じゃん。私に受け継がれてる要素は今のところ見当たらないけど。
「あのな、アイネ。男は、家事ができて、育児に協力的で、仕事があって、優しければ、たいていのことは、大目に見られるんだ。つまり、なんでもできるのと、同じなんだ」
「さすがに盛りすぎ。ママだって、愚痴の一つや二つ、言ってたでしょ? 喧嘩だってしただろうし」
「――ああ。一度だけ、マナ様が泣きながら僕のところに来たことがあったな」
「ほら、やっぱり。原因はなんだったの?」
「なんでも、あいつがマナ様の気持ちを汲み取りすぎて、全部、マナ様の理想通りに動くのが、気に入らなかったそうだ」
「え、なんで? すごくいいことじゃん」
「まあ、そのうち分かるさ。今説明したところで、きっと、アイネには分からない」
私も、今の私に、ママの気持ちが、分かる気はしない。しかし、唯一の喧嘩の原因がそれだとすると、パパは本当に、いい人だったのかもしれない。
「それで。なんで、死んじゃったの?」
暗い車内では、お互いの顔が、よく、見えない。だからこそ、声は、よく聞こえる。
「この先は、僕とまなさんしか知らないことだ。他の人に言うときは、よく考えるんだよ」
「ベルも、知らないの?」
「――ああ。ベルセルリア様も、何も知らない。聞きたくないの一点張りで、伝えられていないんだ」
「そうなんだ」
ベルが、誰にも聞いてはいけないと言った中には、自分への戒めも混じっていたのかもしれない。誰が知っているかすらも知らないから、誰にも聞くなと言ったのかもしれない。そして、彼女自身もまた、知ることを恐れていたのだろう。
「すまない、アイネ。今まで、伝えなかったのは、確かに、アイネが受け止められないと思っていた節もある。――だが、それ以上に、僕自身が、誰かに真実を話すことが、怖かったんだ。特に、アイネにはね」
そう言って、ギルデは私の頭に手を置いた。彼の緑色の瞳は、たまに街頭に照らされて、ゆらゆらと光る。
「本当に、話してもいいのかい?」
「うん。覚悟は、できてるから。知らないまま死ぬのは嫌だし、知るならきっと、早いほうがいい」
ギルデの覚悟が決まるまでの時間が、私の不安をいっそう、煽り立てる。だが、引かない。負けるわけには、いかない。
「あいつが死んだのは、本当は、事故なんかじゃないんだ。――あいつは、マナ様と廃ビルの屋上から飛び降りたときに、マナ様を庇って、死んだんだ」
「え……?」
「マナ様は、心中しようとしたんだよ。最初は、アイネも連れていこうとしていた」
思考が、追いつかない。ギルデが、何を言っているのか、分からない。頭が真っ白だ。めまいがする。
心中? ――私を連れて、死のうとしたってこと?
「マナ様は当時、ある事件のせいで、心を病んでいてね。アイネを連れて、城の屋上から飛び降りようとしているところを、あかりに見つかったそうだ。あいつは、どうにかして、マナ様に生きてほしかったんだろうね――」
それより後も何やら言っていたが、少しも耳に入ってこなかった。
***
目が覚めて、ちゃんと着替えてベッドで寝ていることに、私は少し驚いた。ここまで、どうやって戻ってきたのか、記憶にない。
ずいぶんと、長く眠ってしまった気がする。昨日が試験だったため、今日一日はお休みだとは聞いていたが。それにしても、静かな朝だ。
「アイネ」
なんとなく、立ち上がって、窓から外を見る。木々には鳥たちが止まっている。風が吹いているようで、緑の葉が、揺れている。空には飛行機が飛んでいて、少し遅れて飛行機雲がついていく。
「昨日のことは、その、覚えているかい? いや、忘れられるはずがないとは思うが」
なんだろう。何かが、足りない。いつもと同じ景色なのに。
「あのあと、急に倒れてしまってね。ロロとステアが着替えさせてくれたんだよ。後でお礼を言っておいで」
無性に、窓を開けたい気分になって、鍵を開ける。――そこで初めて、違和感を覚えた。勢いよく、窓を開き、そこでやっと確信する。
「アイネ?」
ぽんと、肩に手が置かれた。
「うわあっ!?」
飛び跳ねるほど驚いて、バランスを崩す。腰ほどまでしかない高さの窓から落ちそうになり、ぐいと手を引かれて、尻もちをついた。
私はゆっくり、ギルデの顔を振り返る。緑の瞳に映る私は、顔が落ちてしまいそうなくらい、驚いた顔をしていた。ギルデは顔に焦燥を浮かべて、私の両肩をつかむ。
「アイネ。僕の声が聞こえるかい」
鳥たちの歌声も、木々のざわめきも、飛行機の音も、ギルデの声も。
何も、聞こえなくなっていた。




