大きな覚悟
そうこうしているうちに、食事は終わり、午後から再び、案の作成が始まる。三つこなすこと自体は、日頃から学んでいたこともあり、容易い。――だが、歴史の開示だけは、進んでいない。
皇帝になれば、そんなことくらい、いくらでもできる。この試験は、皇女としてできる範囲で行われているだけ。
でも私は、今、知りたいのだ。誕生日まではあと一ヶ月もない。それはつまり、皇帝になるまでの期間を示す。――その少しの時間が、待てない。
大切な人なんて、いついなくなってしまうか、分からないのだから。
透明性のある国づくり。国民からの多数の意見。倫理的な問題の指摘。新皇帝が築く国に向けての準備。平和な未来の糧とするため――など、開示すべき理由はいくらでも思いつく。
だが、こんな理由では、宰相のロアーナは、きっと、開示してくれない。いつでも、倫理的に正しいことを行うのがロアーナだが、過去のことについては、妙に慎重なところがあるのだ。
「なんで正しい歴史を、開示しないんだろう」
うんと考えていると、ふと、ベルの言葉が思い出される。
パパの死について尋ねてはいけないと言った、ベルの《《呪い》》に、背筋を汗が伝う。
そして同時に、ふと、ある言葉が思い出される。
『――アイネは、人を不幸にする権利が、誰かにあると思う?』
私はあの言葉を、私が尋ねることによって誰かが不幸になる、という意味だと捉えた。
けれど、あれがもし、『私を不幸にする権利』という意味だったとしたら。
私が知りたいことが、クレイアがしてくれたママの家族についての話みたいに、私が傷つくようなことばかりだとしたら。
「ねえ、ギルデ」
返事を待たずに、尋ねる。
「ママやパパのことを教えてくれないのって、私を傷つけないため?」
「――試験内容に関する質問は受けつけない。もし、もう一度、同じような質問をしたら、失格とする」
それが嘘か真か、判断することはできただろう。だが、ほぼ無意識に、私はギルデの音を聞かないようにしていた。
そんなものを聞かなくても、ほとんど、確信していた。ギルデやベル、ステアは、いつでも、私のためを思って、色々してくれるのだから。
「これは、ひとりごとだから。――それでも、私、やっぱり、自分がどうやって生まれたのかとか。ママとパパがどんな人だったのかとか。全部、知りたいよ。ママが家族と縁を切ったとか、色々な人との約束を破ったとか、授かり婚だったとか。みんなが隠してるのが、どんな真実だったとしても、私は、その全部を、知りたい」
だから、その想いを、綴る。直接的に、ではない。真っ直ぐな想いをこめて案を作成し、ロアーナに、伝える。私だって、ただの手紙が検討されるとは思っていない。工夫して、説得力を持たせる。
「ねえ、ギルデ。この案、ロアーナに、直接渡してきても、いいかな」
「いいよ。提出したら、何時何分に提出されたか、僕に連絡するよう、ロアーナに伝えてくれ」
宰相ロアーナのもとへ向かう。治った足で、走って。
雪が舞う日も多くなってきて、それは今日も例外ではなかった。濡れないよう、印刷した資料は防水のバッグに入れ、全身に合羽を着てきたはいいものの、速度が速度なだけに、なかなか、寒い。それでも、自分の足で行って、顔を見て渡したい。
ロアーナは、薄い水色の髪に、同じ水色の瞳をした、優しい女性だ。ステアの大学の後輩らしい。
「やっほー、ロアーナちゃん」
「うわあ! こんなところでアイネ様にお会いできるなんて、今日はいい日ですね。いつもと違って」
「いつもは違うんだ……。今日はね、案を提出しにきたの。最終試験で」
「ああ、そうですよね。え、この雪の中、走ってきたんですか? えっと、とりあえず、ギルデルド様に連絡しますね。そこで暖まっていてください」
会話の内容は、ここからでも、すべて聞こえている。ちょっとしたやり取りを交わした後で、ギルデが電話越しに、アイネ、と話しかけてきたのが聞こえた。
このままでも聞こえるのだが、一応、ロアーナに携帯をスピーカーモードにしてもらう。魔法スマホなので、私が触ると通話が切れるのだ。
「試験は終了だ。結果はそのまま、ロアーナから聞くといい。帰りは、雪も降っているし、暗くて危険だから、車を出そう」
「うん、ありがとう。お願いします。それじゃ」
プツンと、通話が切れる。ロアーナはすでに、査読に入っていた。バッグからタオルを取り出し、全身の水気をとり、近くの椅子に腰かけて、待つ。
……落ち着かない。長い。
「ウォーキングロードと、皇帝に適用される法の作成については、検討します。粗も多いですが、初めてにしては、よくできていると思いますよ。問題は、歴史の開示、ですね」
やはり、そこだ。そのとき、扉が開いて、冷たい風が、吹き込んできた。それとともに、赤髪の男が、姿を見せる。
「査読は終わったかい?」
「ギルデルド様。今、ちょうど終わったところでして――」
「ギルデにはさっきも聞いたけど。みんな、私が傷つくのが怖くて、教えてくれないんだよね。――ちゃんと、覚悟は、できてるから。私だって、いつまでも子どものままじゃない。どんな事実でも受け入れる覚悟はある。守られてばかりは嫌なの。ママやパパのこと、もっと、ちゃんと知りたいし、不安がってる国民のみんなにも、知ってほしい。だから、お願いします」
ロアーナからは、迷っている音が聞こえていた。もうひと押し、いるかもしれない。
「ママとパパがどんなことをしてたとしても、それで、帝国全体が騒がしくなったとしても、私の統治に影響が出るとしても。絶対に、何とかしてみせるから。国を鎮めるための具体的な方法は、資料に書いてあるから、ギルデも読んで。私が、どれだけの想いなのか、どういう覚悟をしてるのか、知ってほしい」
私が傷つくのではないかと気づいたとき。きっと、私が傷ついた分だけ、国民も同じように傷つくのだろうと、気がついた。真実を公開することで、私だけでなく、帝国自体も混乱するのだ。
だから、私自身の覚悟と、帝国の混乱を鎮める方法さえあれば、きっと、検討してくれる。
きっと。
「アイネ様――」
「お願い! 検討してくれるだけでもいいの! だから、お願い!」
私は、皇帝らしくもなく、しっかりと、ロアーナに頭を下げる。試験に合格することなんて、少しも考えていなかった。
――肩に手を置かれる感触に、やっと、自分が目を固くつむっていたことに気がついた。
「検討はします。どうなるかは分かりませんが、アイネ様の想いは、伝わりましたよ」
「ありがとう、ロアーナ……!」
「ですから、ちゃんと、ギルデルド様の顔も、見て差し上げてください」
そこで、ようやく、気がつく。ギルデルドの音が、ひどく、怯えていることに。
「ギルデ――?」
「試験は合格だ、おめでとう。皇帝になる準備は整った。予定通り、十六の誕生日に皇帝に即位した後、蜂歌祭を行う。まなさんをもとに戻す方法も、探していこう」
怯えているのに、視界ではなんの違和感もない。となると、今は、言及するべきではないのだろう。ロアーナが察していることには、気がついているみたいだが。
「うん。クレイアさんは、私が絶対に元に戻すから」
「クレイアさん――?」
ロアーナが小さく、その名前を呟いたのが聞こえた。
「運転手を待たせているから、話は車内でもいいかい?」
「あ、うん、もちろん」
聞きたい気持ちはあったが、今はそれを無視して、ロアーナに再びお礼を言ってから、車に乗り込む。
そして、ギルデから言葉が紡がれるのを、待つ。
「どこから、話そうか」
うつむくギルデは、しばらく、視線をさまよわせて、こう、語り出した。
「まずは、あいつの――アイネのお父さんの話をしようか」




