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私の知ってるナーア

 私の歌の良し悪しで、今後、三百年の植物の味が決まる。だが、上手く歌えばいいというものでもないらしく、十六年前の味と変えないことを目指すそうだ。


 とはいえ、私が生まれた頃には、もう今の味になっていたため、基準が分からない。


「私がしっかり教えますから。ご安心ください、アイネ様」


 ウーラは急ぎ、タルカに国政を引き継ぎ、想定よりもかなり早く駆けつけてくれた。無理をさせているのは分かっている。ギルデの頼みが断れないことも。だからこそ、私は彼女に精一杯、感謝を伝えたい。


「ありがとう、ウーラちゃん。それじゃあ、早速、お願いします」


 頭を下げる私の横で、ほけほけしている少女の青い頭を、私は無理やり下げさせる。


「ほら、お願いします、って言うの。さんはい」

「オネガイシマス。……あの、どうして、あたしまでやらされるんですか? わけがわからないんですが」

「だって、誰かいてくれたほうが、心強いんだもん。ね、お願い、ナーア!」

「――はいはい、分かりました」


 渋々、みたいな態度をとってはいるが、これでナーアは、わりと乗り気だったりする。ただ、昔から素直じゃないのと、普通にしているだけで言い方がキツくなってしまうのとで、誤解を受けやすいのだ。


「いやいやなら、やる必要はありませんよ」


 ウーラが冷たいピンクの瞳でそう告げると、ナーアは少しの間、自分と同じ色の瞳を見つめ返して、


「やります。お願いします」


 と、言い直した。この目つきがまた鋭く、睨んでいるように見えるのだが、実際は、(まばた)きを止めて、目にぐっと力を入れて、涙を(こら)えているだけだったりする。本当は、泣き虫なのだ。


 ――ああ、ちっとも変わらないなと思った。


***


「アイネ様は、マナ様に似て、大変、素晴らしい歌声をお持ちですね。これ以上は、私が教えるまでもないかと思います。本番では少し、質を落としたほうがよいくらいですね」

「そ、そうかな。ありがとう」

「――ナーア」


 ウーラに名前を呼ばれると、ナーアは全身を硬直させ、ガンを切って、(あご)を突き出す。ナメられないよう、虚勢を張る癖がついているのだ。その、いかにも悪そうな、かわいい顔に、思わず、笑いそうになってしまう。


「なんですか、その顔は。(あご)を引いて、背筋を伸ばしなさい」


 ウーラに言われた通り、顎を引こうとしてみるが、どうしてよいか分からない、とでも言いたげなナーアの背に、私は手を真っ直ぐに当てる。


「ほら、ナーア。しゃんとして」

「しゃん」

「そうそう。それで、顎を引いて」

「顎を、引く?」


 ぐいぐいっと、引くことを意識しすぎて、変な顔になっている。――思わず、吹き出してしまう。これは、耐えられない。


「あはっ、あははっ! ナーア、変な顔!」

(あご)を引くって、どうやるんですか?」

「はあ……。頭に本でも乗せておきなさい」


 ウーラは、ぽすっと、文庫本くらいの大きさの本を、ナーアの頭に乗せる。ナーアは真剣な顔で、本を落とさないよう、バランスをとっていた。


「そのまま話を聞けますか?」

「は、はい」

「あなたの反省点は……色々とありすぎますが、ひとまず、三つに絞りましょう。発音、呼吸、そして姿勢です」

「発音なんて、外人じゃないんですから、おかしなところはないと思いますけど? 呼吸だって、普通にしてますし、そもそも、姿勢なんて歌に関係――」

「いちいち突っかかるのをやめなさい」


 ナーアはぴたりと、口を閉ざして、うつむく。


「なんですか、その不満げな顔は――」

「待って、ウーラちゃん! ナーアは、分からないことがあると、そのままにしておけなくて、ついつい尋ねちゃうだけなの。この顔も、不満そうに見えるけど、ほんとは泣きそうなのを我慢してるだけで、これは、本当に泣く寸前で、声も出ないときなの! だから、叱らないであげて! こう見えて、すっごく反省してるから! それと、後からめちゃくちゃ落ち込んで、ずるずる引きずっちゃうタイプだから!」


 ナーアは、宝石のようなピンクの瞳を潤ませ、まんまるにして、私を見つめる。


 対するウーラは、私の顔を少し見やってから、ナーアに視線を戻す。


「――今言った三つ、ちゃんと自分で調べて、理解しておくように。今日はここまでです」

「ありがとうございました! 明日も、よろしくお願いします!」

「……あ、ありがとう、ございました」


 今度はナーアも、きちんと自分からお礼を言った。ウーラが去ってから、ナーアは私の袖を掴んで、遠慮がちに引っ張る。うつむいているのは、涙を隠したいからだろう。


「どうしたの?」

「あの、さっきは、ありがとうございました」

「いいよ。私、ナーアのことなら、なんでも知ってるから。ふふん」


 一緒に寝て、ご飯を食べて、お風呂に入って、勉強をしていた仲だ。背中のホクロの数を数えあったこともある。


「あの、話が、あって」

「ここじゃ話しにくいこと?」


 袖をつかんだままで、ナーアはこくりと頷く。


「分かった。私が、とっておきの場所に連れてってあげる!」


 袖をつかむナーアの手を握り、私はその手を軽く引っ張る。それから、少しずつ、速度を上げながら、走っていく。ナーアは昔から足が速い。この調子なら、全速力で走っても大丈夫そうだ。


 ――ああ、こんな風に、何も気にせず誰かと走ったのは、いつ以来だろうか。


「こうやって、二人で走るの、すっごく久しぶりだね!」

「え、あ、えっと……」


 歯切れの悪いナーアに、違和感を覚えながらも、私はとっておきの密談場所――城内の、立ち入り禁止の芝生にたどり着く。立ち入り禁止ではあるが、ここがなぜ、立ち入り禁止なのか知っているので、入っても大丈夫だ。


「ここ、立ち入り禁止なのではありませんか?」

「そうだよ。でも、今は安全だから」


 修復作業はとっくの昔に済んでおり、芝生は元の姿に戻っている。


 八年前のあの日は、この芝生がすべて、めくれあがり――至るところに、死体が散乱していた。


 (よろい)(こす)れる金属音と、むせ返るような血の臭い。人の頭は足元に転がり、死が、当たり前のように()き散らされていた。今でも、鮮明に想い起こされる。


「それで、話って?」

「えっとその……何か、世間話でもしてくれませんか?」

「何それ、ま、いいけど。――ここはね。私が初めて、人を殺した場所なの」


 私は人を殺した。血の皇帝による殺戮(さつりく)が繰り返され、争いが日常と化した、荒れた時代だった。――だとしても。


「私が、七歳のときだった。相手は、そのときの私と、同じくらいの身長だった、男の子。何年も、地下に封印されてたんだって。でも、すっごく強くてね。たった一人で、何人ものお城の兵士たちを、殺してた」


 そのときのことは、よく、思い出せない。自分やみんなが殺されないよう、無我夢中で、気づいたら、彼は私の手の中で、灰になっていた。


「それは、殺人者ではなく、英雄と呼ぶのではないですか? 大勢の命を奪った敵を倒したのですから」

「確かに、世間的には、そういうことになってるよ。――でも、その人が何をしたとか、そんなの、関係ない。殺さなくたって、その子も含めて、みんなを救う方法が、他にあったんじゃないかなって」

「……随分と、綺麗事を言うのね」


 彼女が私に対して敬語でなくなるのは、決まって、怒っているときだった。顔を上げると、案の定、ピンクの瞳に怒りを(たた)えて、私を睥睨(へいげい)していた。


「ぜんぶ理想通りに、なんて、そんなのできるわけないじゃない。あたしたちは、神じゃないんだから」

「神様だって、完璧じゃないと、私は思うよ。だって、この世界を作ったのが神様なんだから」


 すると、ナーアは何を考えているのか、ただじっと私を見つめ、ため息をついた。


「あんた、本当に主神教なの? あんたたちにとって、神って言ったら、一人しかいないでしょ?」

「……ママのこと?」

「そう、あんたのまあま。血の皇帝のこと。あの人なら、全部を理想通りにできるでしょ?」

「そんなわけないじゃん。ママは確かに、主神と同じマナって名前だけど、神なんかじゃなかったし、完璧でもなかったよ。みんなすごいすごい、って言うけど、私の知ってるママは、いつも、泣いてばっかりだった。……でも、泣きながら、頑張ってた。そんなママみたいに、私も、頑張りたいの」

「あんたは、いい子そのものね」

「何それ。すっごく、棘のある言い方。ナーアだって、いい子のくせに」

「あたしは、あんたが知ってるあたしとは違う」


 ナーアとの距離を感じたのは、これが初めてかもしれない。明らかに、遠ざけられた。だから、それ以上、この話を続けることはできなかった。


「……それで、ナーアの話って?」


 話を変えようとする私の問いかけに、ナーアは口をつぐむ。ぱくぱくと、彼女が言葉をさまよわせているうちに――ポツリと、しずくの落ちる音が、私の鼓膜(こまく)を打った。


「あの、えっと――」

「雨」

「え?」

「ごめん、中に戻ろう!」


 ナーアの手を引き、城の内部に入ると、あっという間に、本降りの雨が降ってきた。しばらく、外には出られそうにない。


「それで話の続きだけど、私の部屋でもいい?」

「――いえ、今日は失礼します。まだ、覚えることもたくさんありますから」


 では、とお辞儀をして、ナーアは私のもとを去っていった。


 雨が降ることを黙っていれば、このとき、話させてあげられていたのかもしれない。

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