大切なものなら
クレイアの石像を無事、城まで持って帰り、ギルデに引き渡した。ギルデは私を包み込むように抱きしめて、大きな固い手で、私の頭を撫でる。撫でられながら、私はことの経緯を語った。
「つらかっただろう。よく、がんばったね」
そう、優しくねぎらってくれた。――けれど、私は、目の端の涙を指で拭って、ぐいと、彼から離れる。
「まだだよ。私、絶対に、クレイアさんをもとに戻すから。それまでは、がんばらなくちゃ」
クレイアをもとに戻したら、聞きたいことは山ほどある。ゴールスファ病のこと、ママの居場所、それから、パパのこと。
きっと、そこまでがんばったら、全部、教えてくれる。頭を撫でて、褒めてくれる。それから、あの、かわいい笑顔が見られる。
だから、がんばる。
「って、私、クレイアさんのことめちゃくちゃ好きじゃん! やだ、恥ずかしいんだけど!」
――ハッ! 思わず、叫んでしまったぁ……!!
「……今の、聞いてた?」
「聞いていなかったと言って、信じるかい?」
「信じないけど」
少しだけ、ギルデを恨んだ。逆恨みとか、そんなレベルじゃなく理不尽だが、ギルデはなんとも思っていない様子だ。
「まあ、聞かずとも分かっていたことではあるけどね」
「え、知ってたの?」
「それくらい、見ていれば分かるさ」
さすが父。思ったよりも、よく見ている。いや、それはそれで、ますます恥ずかしいんだけど。顔、あっつ。
「……もしかして、クレイアさんも、知ってたり?」
「それは本人に確認してくれ」
ギルデの心の内を探ろうとするが、自分の心臓の音がうるさすぎて、よく聞こえない。あーもう! いいや、さっさと話題を変えてしまおう。
「ナーアは今、扉の前にいる。ルクスは来ないって」
「そうか。――二人とも、元気そうだったかい?」
「え? うん、まあ、普通に……」
「よかったね」
革命教の開祖であり、教祖であるルクス。私を危機にさらした彼に会ったと報告して、何を聞かれるのかと思えば。やはり、ギルデはギルデだ。
「私を、助けてくれたの。色々、聞きたいこともあったけど、今は蜂歌祭の準備とテスト勉強があるから、帰ってきた」
「あと少しだからね。それが終わったら、ゆっくり、話を聞くといい」
「うん、そうする」
私は、クレイアの像を見つめる。――今は、悲しんでいるときじゃない。私は、皇帝になるのだから。ママに褒めてもらえるような、立派な皇帝に。
「だが、事情はどうあれ、ルクスとかいう男のほうは、一発、殴ってきなさい。いいや、十発くらい殴っても足りないくらいだな。さて、どうしてやろうか……」
「めっちゃ怒ってるじゃんっ」
「娘を傷つけられて怒らない親がどこにいる?」
――確かに、そうなのかもしれない。ママなら、ルクスを存在ごと消していてもおかしくない。
「私は別に、怒ってないから。何か理由があったんだろうし、私の顔に免じて、許してあげて。ね?」
「嫌だねッ!! アイネちゃんに頼まれたって許してやるもんか!! ルクスのバーカバーカハゲろ!!」
「何そのガキっぽい怒り方!?」
まさか、アイネちゃんおねだり光線が、通用しないなんて……。いや、もともと、ギルデにおねだりとか効かなかったわ。
この人、押しに弱そうに見えて、ぜんっぜんだからなあ。わりと頑固なんだよね。
「そ、それで、歌は誰に教えてもらうの?」
「ああ、ウーラ様に頼んである」
「ウーラちゃんって、歌、上手なの?」
「彼女はたいていのことは器用にこなすからね。それに昔、習っていたことがあるそうだ」
「へー、そうなんだ」
一応、ウーラは、ナーアの母親だ。とはいえ、顔を合わせたことは、ほとんどないらしい。
ちなみに、ウーラは、私たちが住むノア王国の国王だ。ノア王国は、メリーテルツェット帝国内に位置する、諸侯国の一つ――つまり、最も大事な国の一つ。
帝国で最も大きな権力を持つのは、ママを除けばこの私だが、あいにく、うちのママは、失踪する前に、色々と手を回していたらしい。
現在、実権はギルデが握っており、私に大きなことはできない。とはいえ、それも、私が十六歳になるまで。
逆に考えれば、十六になった瞬間、私を守ってくれるものは、なくなる。
話を戻すと、ウーラは諸侯王であり、帝国の実権までは握っていないものの、なかなかに責任のある立場だというわけだ。
「ウーラちゃんが私を教えてる間、ノアはどうするの?」
「タルカ様にお任せしようと思っている」
「……タルカちゃん、ミーザスとセトラヒドナのスパイで忙しいのに、かわいそー」
「タルカ様には、マナ様に救われた恩があるはずだからね。恩がある以上、こちらとしては、一番、信頼できる。なんやかんやと言いつつ、責務もしっかり果たしてくれるしね。それに、補佐としてロアーナを向かわせるから、大丈夫だろう」
ミーザスとセトラヒドナは、革命教が治める国だ。
ミーザスは古くから、魔族と人間が共存する土地であり、内乱が絶えなかった。もともとは、帝国の属国であり、ローウェルという人物を王に据えていたが、彼が亡くなってすぐに、正教会の分離教――今の革命教に侵略された。
一方、セトラヒドナは、ママが皇帝になる際、唯一、守りきれなかった土地だと、ギルデから聞いている。昔はトレリアンという城郭都市で、ママが侵略したルスファ王国の首都でもあった。
――ちなみに、このセトラヒドナをママから奪ったのが、タルカ、ウーラ、クロスタ、そして、ローウェルの四人。最終的に、当時、セトラヒドナの国王だったタルカが内部からの侵略を受け、帝国に亡命することとなり、現在では革命教の中枢となっている。
「いつか、セトラヒドナも取り返さなきゃね」
「なんでだい?」
「なんでって。ママ、ずっとセトラヒドナが欲しいって言ってたじゃん。だから、奪われたのが、めちゃくちゃ悔しかったんだろうなって」
「なるほどね。それなら、アイネが雪辱を果たすといい」
「うん、そのつもり」
ギルデの反応が少しだけ気がかりだったが、気にするほどのものでもないと、意識の端に追いやる。
セトラヒドナを取り返したら、きっと、ママは喜んでくれる。国の命運をかけた問題だというのに、動機はひどく幼稚で、身勝手なものだ。
「私ね。頑張っていい子にしてたら、ママが帰ってきてくれるんじゃないかって、そう思って、頑張ってきたの。会って、ママに褒めてもらいたくて、ただそれだけで、皇帝を目指すことにしたの。……そう言ったら、怒る?」
ギルデの返事を待つわずかな間に、クレイアの石像を、少し強めに抱きしめている自分に気がつき、意識して力を抜く。
頭上へと伸びる、ギルデの大きな手の影に、私はぎゅっと、目をつむる。――が、直後、頭越しに優しい、穏やかな熱が伝わってきて、思わず、肩の力が抜ける。
「知っていたさ。本当に、アイネは、マナ様が好きなんだね」
「――怒らないの?」
「そうだね。皇帝になること自体を目的としているのなら止めているところだが、それだけじゃない、というのは、僕が一番、よく分かっているから」
ギルデの緑色の瞳は、少し前までだったら逃げ出していたくらいに、優しくて。本当に、私を大切に想ってくれているというのが、よく分かった。何より、声色が、優しすぎるくらいに、優しかった。
その先を聞かずとも、私は、安心感に包まれていた。
「動機なんてなんだっていいんだ。それが、自分にとって大切なものならね」
――目指して、いいんだ。ママが好きってだけで。
「平和な帝国を築きたいとか、苦しむ人のいない世の中を作りたいとか、誰にも寂しい思いをさせたくないとか。――そういうのは、全部、後からついてきたものでね。最初は、全部、ママのためだった。ママのためなら、嫌いな勉強もがんばろうって、そう思えたから」
「アイネ自身はどうなんだい? マナ様に会えたからといって、それで終わりになってしまうとは、僕は思っていないけれど」
「それは、絶対に大丈夫。国をよくしたいのは、本当だから。だけど、私は……どうなんだろう。今はそれしかないから、よく、分かんない。やるなら、絶対に、ママよりもいい国を築いてみせるけど。――そもそも、私、皇帝になれるのかなあ?」
「なれるさ。……なれるが、なりたくないのなら、無理にやる必要はないんだよ」
「でも、私がならなかったら、どうするの?」
ギルデは、私の頭をくしゃくしゃと、雑に撫でる。
「大丈夫だ。そうなった場合にどうすべきかも、マナ様はちゃんと、考えてくれているから。アイネは、好きな道を選ぶことができるんだよ」
好きなことをしていいと言われたら、私はすごく、悩んでいただろう。どちらがいいかなんて、選べないから。
だからギルデが、好きな道を選ぶことができると言ってくれたことに、救われた。
無理に好きな道を探して選ばなくてもいいのだと、きっと、そう言ってくれたのだと思って。




