覚醒
ルクスに聞きたいことは、山ほどあった。だが、私が何かを尋ねるより先に、彼は悲痛な表情を浮かべて、私の近くまで歩いてくる。
咄嗟に、クレイアの手を引いて逃げようとして、その手の冷たさに、思わず、手を引っ込める。
反射的に振り返る。
「え」
クレイアが、石になっていた。
「クレ、イアさ……」
思考が止まる。彼女へと伸ばした指先が固まる。わけの分からない光景に、ただ、心臓だけが鼓動を速める。世界が止まって見えて――。
「目を閉じて!」
ルクスの声に意識を引き戻された瞬間、彼の手に視界を覆われる。その直前、赤い光が足元を蛇行しているのを見た。
そこでやっと、理解が追いつく。
「石蛇――」
ルクスの腕が離れていく。
「目を合わせると、石になります。絶対に、目を開けないでください」
「でも、どうしよう、クレイアさんが……!」
「大丈夫です。元に戻す方法は僕が知っていますから」
その言葉に、少しだけ、平常心を取り戻す。
「……アイネ様。百匹いる石蛇を、すべて捕まえることはできますか?」
「目を閉じたまま、ってこと?」
「はい。僕と、そこの彼女のために」
――クレイアさんのためになるなら。
「やってみる」
私は音に意識を集中させる。草をかき分け、地の底を這いずる音を聞き、気配をつかむ。
気配が多すぎて、その一つ一つに集中するのが難しい。
それでも、私がやるしかない。クレイアのために。やらなければならない。
今を逃せば、次にいつ、石蛇に遭遇できる分からない。クレイアと同じように、石になってしまう人が現れるかもしれない。
音だけで、気配だけで、目を使わずに蛇の場所が正確に分かる人は、私以外にそうはいない。
これは、私がやるべきことだ。やらなければならないことだ。
やれ、榎下愛音。他でもない、彼女のために。
――突如として、目の前に白黒の世界が広がる。
誤って目を開けてしまっただろうかとも思ったが、しっかり閉じている。石蛇と目が合っても、石にならない。
いや、違う。これは――音だ。音だけで、私の脳は、これだけの情報を得ているのだ。
視界から得るよりも、遥かに膨大な情報を、空気の振動から読み取っているのだ。
自分でも不思議なその感覚を頼りに、すぐさま、石蛇たちを捕まえる。
「捕まえた!」
「その蛇たちを、そこの袋に入れていただけますか?」
何色かは分からない袋に蛇たちを入れ、百、数えたところで、ルクスに報告する。
「では、その女性を担いで、僕についてきてください」
「……うん」
不信感はあったが、クレイアの戻し方はルクスしか知らない。彼は、糸のようなものを頼りに、森を抜けていく。私は黙って、後についていく。
石になったクレイアがあまりにも冷たくて、担いでいるこちらまで、凍えそうになる。いや、凍えているのは、心だったのかもしれない。
「やっと森を抜けられましたね」
気がつくと、すっかり、暗い森を抜けていた。眩しさに気づかないほど、考え込んでいたらしい。
開けた視界で再度、確認すると、そこにいたのは、やはり、ルクスだった。
あのとき、声に聞き覚えがあったのは、声変わりしたものの中に、前の響きが、かすかに残っているからだったのだ。
「……どうして」
「以前から、石蛇を探していたのですが、絵本の絵から察するに、どうやら、この森が怪しい、という話になっていて――」
「誤魔化さないで。……どうして、助けてくれたの?」
私は彼の真っ赤な瞳を見つめる。クレイアと同じ、赤色の瞳だ。魔族が滅びた日、彼は母親のお腹にいたため、人間にはならなかったのだ。確か、クォーターだと言っていたか。
「どうしてって。助けてはいけませんでしたか?」
「じゃあ、聞き方を変えてあげる。――なんで、ママを裏切ったの?」
彼は、終始笑顔で、感情を深い底に隠している。
だが、クレイアほど完璧ではない。これは、動揺している音なのだと、はっきり分かる。昔は全然、分からなかったが。
「アイネ様は、どこまでご存知ですか?」
「……ルクスも、それなの」
私がどこまで知っているか分からないと、みんな何も話してくれない。
卑怯だ。
「ママがどこにいるか、知ってるんじゃないの?」
「その質問には、答えかねます」
「やっぱり、知ってるんだ」
――五歳のとき、私はセトラヒドナに、人質として送られた。ママがそうすべきと判断したのだ。何かしらの事情があったのだろう。
そのとき、私の見張り兼お付きの役を担っていたのが、ルクスとナーアだった。だが、本当の関係性を気にしたことはなく、私は二人を、幼少期の三年間をともに過ごした、大切な幼なじみだと思っている。
「私は、何も知らない。誰も、何も教えてくれないから。――ただ、ルクスが革命教を立ち上げた時期と、ママがいなくなった日が、重なりすぎてる。あの日以来、ナーアにも会えてないし。だから、何か関係があるんじゃないかって、そう思っただけ」
思った、というよりも、直感に近かった。そして、確信した。
「私、みんながママの居場所を教えてくれないのが、ずっと不満だったけど、今、はっきり分かった。――みんな、ママがどこにいるか、知らないんだ。知らないから、答えてくれないんだ。知らないって言ったら、私が不安がるから」
ルクスは、ニコニコと愛想を振りまいて、何も答えない。それは、肯定を意味していた。
「ママに、何したの」
「……思ったよりも鋭いですね。正直、みくびっていました」
ふ、と、ため息をついて、ルクスは指に巻きつけていた糸を引く。
――瞬きのうちに、少女が視界に現れた。
「ナーア……」
青い髪にピンクの瞳。そして、頬の青いダイヤ模様。
――見間違えるはずがない。いつも、動画配信で観ているから。それがなくとも、特徴的な
頬の青いダイヤ模様や、顔立ちから判別できる。
話したいことは山ほどあった。昔みたいに仲良くしたかった。彼女もきっと、同じ気持ちだろうと、そう思い込んでいた。
「……あんた、誰?」
しかし。返ってきたのは、そんな反応だった。冷たい宝石のようなピンクの瞳に、ここに私がいることを、責められているような気持ちになる。
今すぐに、逃げ出してしまいたい。
「すみません。事情は、後でお話しま――」
ルクスの音が、一瞬、安堵に緩み、はたと、気づく。
私は何をしているのか。
一体、何をすべきなのか。
確かに、ナーアの態度は、正直、ショックだった。それだけで、思考がリセットされた。
――でも、騙されない。
「私は、ママのことを聞いてるの!! 誤魔化さないでよッ!!」
急な怒声に、ルクスとナーアは、目を真ん丸にしていた。赤とピンクのうち、赤い方の瞳を、私は睨みつける。
「ママに、会わせてよ……っ」




