約束破りの常習犯
――私は、クレイアさんにとって、いない方が、よかったのかな。
「……! 誰だ!」
気配を消す余裕すら失っていた私に気づいたギルデが、魔法で扉を開ける。ギルデは、ものすごく傷ついたような顔で、私の名前を、口の中で小さく呼んだ。
「どこから聞いて――」
「私、いない方がよかった? 私がいるせいで、ママは幸せになれなかったの? 私のために、ママは蜂歌祭で歌わなかったの?」
クレイアは、じっくりと言葉を選ぶようにして、視線をさまよわせていた。
「そんなに考えないと、答えられないの? 私が必要だって、どうして、言ってくれないの?」
「――あたしがどう思っていようと、アイネには関係ないことでしょ。みんな、アイネが大好きだし、アイネを必要としてるわ」
「おい、まなさん……」
ギルデの声を遮り、私は思わず、壁を殴る。一面全部が剥がれ、廊下に倒れていくのを無視して、私はクレイアに詰め寄る。
「クレイアさんは、私がいらないんだ」
「そんなこと言ってないでしょ。アイネのことは大切に思ってるわ」
「嘘つき……。アイネなんていない方がよかったって、そう言ったじゃない!」
「それは、アイネが思ってるような意味じゃないから」
「私がいない方が、ママが幸せになれたって意味でしょ!? 何が違うの!?」
「それは、アイネがいなかったら、の話で、別に、いなくなってほしいって意味じゃないわ」
「はあ……? わけ分かんない。私がママを守ってあげてたって、クレイアさん言ってくれたのに……。あれも全部、嘘だったの?」
「嘘じゃない」
「じゃあ、どうして!!」
「それは、言えないわ」
クレイアとの間に、大きな壁を感じた。断絶だった。絶対に埋められないものが、このわずかな距離を占めているのだと、分かってしまった。
「……ママが私を産んだのは、間違いだったって、そういうことだよね」
「アイネが産まれてきたことが間違いだとは言ってないわ」
「同じような意味じゃない……っ。ママとパパが愛し合ってたことが間違いだって、そう言うんでしょッ!?」
「愛し合ってたって、別にいいわよ。――ただ、十六の男女が子どもを育てるには、周りの協力が必要不可欠だった。……それなのに」
「まなさん。それはまだ、アイネには早い」
胸が張り裂けそうで、ギルデに反発する言葉が出てこない。
「いいえ、今が話すときよ。――アイネ。今から話すこと、聞きたくないなら、逃げていいわよ」
聞きたい。今なら、私が何も言わなくても、クレイアが話してくれる。
自分から聞く勇気は、私にはないから。
「……マナが、十六でアイネを授かって結婚したって、そういう話はしたわよね。授かり婚だったって」
「それが、何」
「マナは、アイネを授かったことを、親に隠してたのよ」
「え――?」
「十六年前のあの日、蜂歌祭で、マナは女王になるはずだった。そういう約束だったの、マナとお城との。けれど、そのとき、マナは女王にはならなかった」
知ってはいた。ママが、十六で女王にならなかったことは。歴史でも大きく取り扱われているから。ただ、約束していたことまでは、知らなかった。
「マナは城と――親、兄弟、親戚のすべてと縁を切って、あかりを選んだの。女王になる役目を放棄して、王女である立場を捨てて、国民の期待を裏切って、ただ一人、あなたのお父さんを選んだのよ。だから、蜂歌祭では歌わなかった。そうするしか、あかりと一緒になる方法がなかったから」
何、それ。
「で、でも、婚姻届は。親の許可がいるって」
「魔王と契約したのよ。ある条件を果たす代わりに、マナを魔王の養子にしてもらった上で、あかりの保護者でもあるマナのお母さんから、判をもらうよう、契約を結んだの」
「ママが、魔王の、養子……?」
「それなのに、二人は、その契約を果たせなかった。にもかかわらず、婚姻届だけさっさと出しちゃったそうよ」
「約束を、破ったってこと?」
「ええ。結婚しないと、アイネに迷惑がかかるからって」
何それ。
「そんな話、聞いてない……!」
「みんな、優しいアイネが傷つくのが嫌で黙ってたのよ。それとも、黙ったままでいたほうがよかったかしら?」
クレイアが似合わない悪人面を浮かべているのが、どうしようもなく、痛くて。私は、その場から逃げ出していた。
***
「アイネ――! って、もういないのか……。相変わらず、足が速いな。マナ様に似て」
アイネの出て行った廊下を眺める、赤い髪の男の背中に話しかける。
「……ごめんなさい。こんな形で伝えることになって」
もっと、いい伝え方があったはずだ。アイネをここまで傷つけないで済む方法が。ここにいるのが、私ではなかったなら。
それでも、ここにいるのは、私なのだ。それは、変えられない。
「それはいいさ、アイネのことだ。いつかは、伝えなければならないことだった。それよりも」
と言い置き、ギルデは私の顔を見つめて、ため息をつく。
「なぜアイネが必要だと、言ってやらなかったんだい?」
「なぜって……あたしの想いなんて、重要じゃないでしょ?」
「君は、相変わらずなのかい?」
知らないフリができるなら、そうしていた。気づかないままでいいのなら、とぼけることもできた。
だが、私はもう、そこまで鈍感ではない。何より、目を背けることの恐ろしさを知っている。
「分かってるわよ。あたしだって、そこまで鈍感じゃないわ。でも。あたしは、いつまでもここにはいられないから。あの子の一番にはなってあげられないの。……それに、やっぱりまだ、忘れられなくて」
「そうか――」
「あたしがいなくても、あの子が真っ直ぐ歩いていけるように。あんたが見守るのよ、ギルデ」
「分かっているさ。いつまでも、君に頼るわけにはいかないからね」
みんながみんな、こうやって、アイネを守ってきたのだろう。仕方ない。アイネは、かわいいのだから。
「今、傷つけておかないと、いつか、大きなことがあったときに、立ち直れなくなるわ。皇帝になるなら、そういう覚悟もさせておかないと」
「あいつのことも、話すのかい?」
「……あたしが、話していいのかしら。それだけを迷ってる。話すべきだとは思ってるけど」
「僕は、隠し続けるつもりだったんだけどね」
「あたしよりも、ギルデのほうが、アイネのことを知ってるでしょ。やっぱり、あんたが話すべきじゃないかしら。あの子の、お父さんなんだから」
「――僕に、その勇気は、ないな」
まだ日の高い空。それにしては、随分と、長い一日であるような気がしていた。




