知らなかった
たどり着いた先で、ハニーナに大きな樽を差し出された私は、中を覗き込む。蜜は、その樽の半分も入っていなかった。残りは、これで最後だと言う。
「でも、ずっと見てればなくならないんじゃ?」
「それが、誰もいないのに、減っていくんです。魔法だとは思うんですが、発生源が特定できなくて。時間帯にも規則性がなくて」
「……残りって、この蜜だけですか?」
「はい、そうです」
もし、本当に今日で全部なくなってしまったら。クレイアが困る。詳しい事情は知らないが、ここに来た目的の一つだと言っていた。
絶対に、守りたい。
「魔法なら、私がこの樽に触ってたら、盗まれませんね。魔法を無効化できるので。――それに、魔法の音も、たどれますから」
「もし、盗まれるまでに何も方法が思いつかなければ、その方法でお願いします」
しかし、考えても考えても、ろくな案が思いつかない。世界的にも、魔法によるプロの窃盗は、なかなか捕まらないのが常識だ。
魔法を使えば、魔力の痕跡は残るが、個人を特定できるものではない。その分、防犯技術が向上しているため、犯罪が起こること自体、そうそうないのだが。
一応、魔法が発動している間なら、発動者と魔法の作用している場所が魔力の糸で繋がっているが、その糸をたどることは限りなく困難だ。ハニーナには、それができず、私なんて、魔法を使うことすらできない。
あるいは、ママなら、どうにかできたのかもしれないが。
「だああっ! 私じゃダメだ! クレイアさん、起きて、クレイアさん!」
「あと、一分……」
「一分なんて誤差でしょ!? 起きてったら起きて!」
どれだけ揺すっても、起きる気配はない。強情な。
「あ、蜜が!」
ハニーナの声で、私は慌てて樽をのぞく。確かに蜜が減っているのを確認して、急いで樽に触れる。
「もおおっ! クレイアさんったら!」
「ま、まあまあ……」
樽を抱えつつも、私はヘッドホンを外し、辺りの音に意識を集中させる。ハチプーたちも、私に気遣って羽音を抑えていてくれる。
――私なら、魔法の音を、たどれる。犯人に気づかれる前に。
木々のざわめき。風のささやき。
川の流れ。揺れる草花。
波打つ地脈。揺れる大地。
鳥の羽音。動物たちの鳴き声。
――魔法の音。
「あそこだ」
樽を抱えたまま、私は気配に向かって全力疾走する。その間、一秒にも満たない。そんなに離れた場所でもない。
「捕まえた!」
無理やり振り向かせて、その顔を拝む。
――そこにいたのは、ロロだった。
「ロロ……。《《また》》なの」
「ノートに、ハニーナの蜜って、書いてあったから。集めたら、仲直りできると思った」
――笑って済ませるべきなのか。叱って正すべきなのか。
いっそ、諦めたほうがいいのか。
「アイネ、許してくれた?」
本当に、彼女はおかしいのだと、思い知らされる。天然、抜けている、頭が足りない。そういう話ではない。
「ふざけてるの」
「ロロは、本気で、アイネと、仲直りしたい」
ふざけていると、言ってほしかった。そのほうが、まだ、信じられた。
「アイネー」
遠くから、クレイアの声が聞こえて、私はその到着を黙って待つ。情けなく、ただ、待っていた。
「ハニーナに案内してもらったの。思ったより近くにいてよかったわ。アイネが樽ごと持ってっちゃうから、みんなビックリして――あら?」
「ごめんなさい。ロロ、アイネと仲直りしたくて、蜜を盗んだ」
クレイアまで騙されたら。クレイアまで盗られたら。クレイアが許してしまったら。
そんな醜い考えが、頭をぐるぐる巡る。
「あんたが謝る相手は、あたしでも、アイネでもないわ。本当に悪いと思ってるなら、誰に謝るべきなのか、自分の頭で考えなさい」
驚くロロを横目に、私はクレイアの背中に、釘付けになる。
「ロロは、アイネを傷つけたから、アイネに謝らなくちゃって、そう思った。何か違ったなら、教えてほしい」
それでも、ロロの言葉はしっかりと、私の内に響いてきた。
……そんなことを、考えていたんだ。
「アイネ」
クレイアのこの声の後には、きっと、優しく叱られる。それが分かっていたから、私は返事をわずかに躊躇った。
「何、クレイアさん」
重い口を、無理やり動かす。彼女は、私のそんな様子に、まるで気づいていないとでも言うかのように、普段どおりの調子で告げる。
「この子が何を考えてるか、知らなかったんでしょ。言いたいことは、言葉にしないと伝わらないし、ちゃんと聞いてあげないと、分からないわよ。相手はあたしじゃないんだから」
それは、知っている。知ってはいた。
ただ、ロロに対して、自分が言葉足らずだとは、思っていなかった。
同じように、ロロのことも、憶測と恐怖とで遠ざけて、分かろうとなんて、まったくしていなかった。
一緒に過ごした八年を、すっかりなかったことにして。ロロが別のダレカになってしまったみたいに逃げて。
倫理感の薄い彼女だけが真実だと、そう思い込んでいることに、気づかなかった。
「二人でちゃんと話し合いなさい」
「で、でも、私」
「怖いのは、あの子も一緒よ」
言われて、ロロの顔を見れば、確かに、彼女から不安がるような音が聞こえた。――いや、本当は、ずっと聞こえていた。
かすかだが、確かに、聞こえていた。薄っぺらだとか、作り物だとか、そんなことを思って、私が勝手に否定していただけだ。聞こえないフリをしていただけだ。
振り返ると、クレイアは私たちに背を向けて、ずいぶん遠くまで歩いてしまっていた。
「アイネ」
クレイアが、ロロのそれは間違いだと、はっきり言ってくれたのが、自分でも驚くくらいに嬉しくて、すごく、力をもらえた。
どれだけ迷おうとも、彼女を信じればいいのだと。
だから、その感情の薄い声に、私は向き合うことにした。




