クレイアという姓
最後の米一粒まで食べ終わり、ごちそうさまをして、私は尋ねる。
「それで、何をしに行くの?」
「ハニーナから蜜を分けてもらおうと思って」
「え、あの、朗読から作られた蜜を……?」
魔法植物を食べれば分かるが、今の蜜はなかなか個性的な味がする。それは、歌の上手さに由来しており、マズイとは言わないが、私は好まない。
「前の時代の蜜は、濃度が高すぎて逆に使えなかったの。用途的に、希釈するわけにもいかなくて。でも、マズイ蜜なら、いい感じの濃度になってるんじゃないかと思ったわけ」
「わざわざ忖度したのに……!」
とはいえ、私が生まれる前の蜜は、今のものよりは美味しかったそうだから、そういうこともあるのかもしれない。
「それで、なんで私が一緒だといいの? そろそろ教えて?」
「ああ、アイネは元女王の娘で、次期皇帝でしょ? 代々、女王が歌うことになってるんだから、それらしいのを引っ提げていった方が、話がスムーズに進みそうじゃない?」
「引っ提げるて。でも、私、ハニーナサマに会ったことないし」
「大丈夫。あの子、人間と魔族の歴史は学んでるみたいだから。アイネくらい有名な子なら顔と名前が一致してるわよ」
私は、皇帝の一人娘。生まれたときから、嫌でも有名人だ。まあ、目立つのは結構好きだけど。
「メディアには規制かかってるけど?」
「革命教には顔知られてたでしょ」
そんなこともあったっけ。すっかり、忘れてた。
「私。まだ、クレイアさんがグルなんじゃないかって、疑ってるから」
あんなにいいタイミングでテント前で寝落ちするなんて、そんなことあってたまるか、と、私は思っている。……クレイアならありそうだとも思い始めているが。
とはいえ、危害を加えるつもりなら、とうに私は死んでいるだろうな、とも思う。彼女の頭脳があれば、私なんてどうにでもできる。痕跡も残さないだろう。
だから私は、クレイアがそんなことをすると、本気で思っているわけではない。ただ、少し、いじめてみたくなったのだ。……なんとなく。
「本当に寝ちゃっただけよ。アイネなんて襲っても、何もいいことないし」
クレイアは、顔色一つ変えずに、音一つかえずに、淡々とそう返してきた。
「なんてって、ひっどい。――でも、襲われたの、クレイアさんに会ってすぐだったし。あれから、一回もそういうことないんだよ? 絶対におかしいじゃん」
「まあ、あたしを疑うのはいいけれど。色々な方面から考えたほうがいいわよ。前にも言ったけれど、今まで何もなかったことのほうが不自然なんだから」
私に疑われることを、なんとも思ってないクレイアの姿が、すごく、苦しかった。
疑わないでほしいとか、そう言わないまでも、ちょっとくらい、怒ってほしかった。
なぜ、こんなにもがっかりしているのか、自分でもよく分からないけど、すごく、がっかり。まあ、クレイアさんだしなあ。――あ、そういえば。
「それと、もう一つ聞きたいんだけど」
「何かしら?」
「クレイアさんって――」
そのとき、私たちが降りる駅への到着を知らせるアナウンスが鳴った。なんとなく、黙ってそれを聞き終える。
「それで、なんだった?」
「……あとでいい」
長くなりそうだったので、話は後にして、新幹線を降りることにした。
***
「ここからハニーナ様のところまで、どうやっていくの?」
「歩きね」
見渡す限り、何もない平原なのだが。
「歩いてどのくらいかかるの?」
「丸三日くらい? あ、大丈夫よ。ギルデには言っておいたから」
ミッカ!? 嘘でしょ、なんで顔色一つ変えないの、この人。てか、ギルデうんぬんは、クレイアさんを信用してるから、心配してないし。そこじゃないんだけど。
「私がおぶって走ろうか?」
「新幹線は、どうして遅いのかしら?」
「お金」
過程を楽しみたい、ということが言いたいようだ。
「革命教に襲われたらよろしくね」
「あ、私が守る前提なんだ……」
「アイネのせいで襲われてるんだから、当然でしょ。それにあたし、魔法も使えない上、世界で一番、弱いんだから。どや」
「誇るな」
それから、何もない草地を、ただひたすらに歩いた。本当に、何もないただの草地だ。しかし、クレイアは懐かしさに浸るような笑みを見せる。
そんな私の訝しむような視線に気づいたからか、クレイアは語り始める。
「昔ね。この辺りをこんな風に、アイネのお父さんと二人で歩いたことがあったの」
「へー。そんなに仲良かったんだ」
「あかりとは、そんなに仲良くなかったわね。あのときも、お互いに死ね死ね言い合ってたし」
「仲悪っ!」
こんな何もないところで、わざわざそんな言い合いをするなんて、相当だ。――いや、ある意味、仲がいいのか?
「歩くのが面倒になっちゃって、途中で寝転がったりしてたわね」
「どういうことなの……?」
その問いかけには、ただ笑みを返すだけで、はっきりとは答えてくれなかった。
「まあ、仲良しではなかったけれど、一番、大切にしてるものが一緒だったから。少なくとも、見てる方向は同じだったわね」
「ふーん……」
そんな調子でしばらく歩いたところで、クレイアが、
「ここで野宿にしましょう」
と言い出した。野宿とはいえ、いつもクレイアの家でやっていることと大差ないため、特別感はあまりない。テントの組み立ては久しぶりだが。
「お風呂はどうするの?」
「近くに川があるから、そこで済ませましょう」
「……めちゃくちゃ寒くない?」
「死ぬほどじゃないわ」
この自然適応力の高さ。文明をまったく感じさせない。原始人か。
「火、おこしておいてあげるから、風邪引かないように、出たらちゃんと温まるのよ」
「はーい」
火の番と、川風呂を交代で行い、私は毛布にくるまって、寒さに震える。
「そういえば、さっき、聞きたいことがあるって言ってなかった?」
「いいいいまきっききくのそそそそそれれれ」
後から出てきたクレイアはピンピンしているのに、私はブルッブルで、ちゃんとした発音もままならなかった。なんで平気なの? 子どもは風の子的なやつなの? 小さいと体温高いから?
「早めに聞いた方がいいかと思って」
「じゃ、じゃあ、き、聞くけど。――クレイアさんって、魔王の血筋、だよね」
この震えが寒さによるものなのか、はたまた、緊張によるものなのか、私には判断がつかなかった。
「血筋、っていうより、魔王そのものだったこともあるかもしれないわよ」
「それはさすがに嘘。だって、歴史にのってないもん」
クレイアは、代々、魔王の血統を示す姓だ。だから、初めて会ったとき、私は彼女を警戒していた。私のパパが、勇者としてこの世界に召喚された人だから。
勇者の使命は、魔王を倒すことだ。とはいえ、歴史は闇に葬り去られて、今や事実は分からない。誰も教えてはくれない。だが、パパは、確かに、偽勇者と呼ばれている。
では、魔族の歴史をたどれば分かるのではないかと、みんなには内緒で、調べたことがある。
そちらの歴史もほとんど消えてはいたが、ちょうど私が生まれた頃、崩御により、魔王の代替わりがあったことだけは分かった。
その崩御というのに、パパが関わっているのではないかと私は考えた。――そして、その戦争で、命を落としたのではないかと。
「前の魔王は倒されてるから、つまり、クレイアさんが魔王なわけないってこと。そもそも、魔王だったら、チアの称号がつくから、『マナ・チア・クレイア』って免許に書いてあるはずでしょ?」
「……そう。そうね」
――クレイアから、胸を刺すような、悲しい音が聞こえた。
「クレイアさんって、魔王の――」
何だったのか、と尋ねようとしたとき、ブンブンと耳障りな羽音が聞こえて、私は思わず耳を塞ぐ。
「どうしたの?」
「ブンブンって、蜂みたいな音が……」
「あら、もう聞こえるの? さすがね」
「これって、ハチプーたちの音?」
「そうよ。蜂のモンスターだから」
蜂自体は別に、出会っても交戦すればいいだけなので、怖くはない。だが、音はダメだ。なぜかは分からないが、黒板を爪で引っ掻く音以上に嫌いだ。
それにしても、急に騒がしくなり始めた。こんな時間に何かあったのだろうか。
「そんなこともあろうかと思って、マンドラゴラのときにも使ったヘッドホン、持ってきてるわよ」
「クレイアさん神ー」
いつの間にかすっかり温まっていた私は、こうして音が遮断されると、たちまち眠くなってきて、ころんと横になる。
いい感じにまどろんでいたところに、ひた、と、冷たい手が首筋に添えられ――、
「ツメタッ!?」
「油断したわね」
暗いのと、焚き火の赤でよく見えなかったが、間近で見ると、唇が真っ青だ。
「めっちゃ寒がってるじゃん!?」
「ええ、すごく寒いわわわ」
「すっごく平気そうだったけど!?」
「寒いって言ったら負けだと思って。……だから、くっついて寝ても、いい?」
何その変な意地。てか、え、こんなにかわいいクレイア抱きまくら、もらえるの?
――いや、冷静になりなよ、アイネ。クレイアさんにくっつかれたままで、寝れる?
ベルスナーキーの香りが、水浴びした体に残っている。
小さくて、ふわふわしていて。見ているだけでも、抱き心地がいいと分かる。真っ白な髪はサラサラで、柔らかそうで――。
いや、無理だわっ!
「嫌だよ! 私が寒いじゃん!」
「大丈夫。すぐに慣れるわ」
「ひやぁぁぁ!!」
備長炭の火が消えて、すっかり冷え切ったクレイアが、その小さな体を駆使して、毛布の隙間に滑り込んできた。これは、冷たすぎる。冷たくてびっくりしたからか、心臓がドキドキする。
「ぴとっ。……あー、ぬくい」
「ううぅ……」
一七〇センチの私の体に、クレイアの小学生みたいな小さい体は、すっぽり収まる。それにしても、近い。密着している。
「おやすみなさい、アイネ。早く寝るのよ」
「寝れなかったら、クレイアさんのせいだからね!」
またたく間に寝息を立て始めたクレイアの真っ白な髪を、一度だけ、撫でてみようか迷っていると、
「お姉ちゃん……」
寝言で姉を呼ぶクレイアが、寂しそうで。まるで、体と同じ年齢の子どもみたいに見えたから、優しく撫でてやると、寝苦しそうな表情が、やわらいだ。
彼女の安らかな寝顔を確認して、私は目を閉じた。




