殴り殴られる関係
――炎魔竜ベルセルリア。愛称、ベル。目の前の、黒く光る鱗に包まれた、巨大なドラゴンこそが、あの底抜けに明るいベルの、真の姿だ。
「起きたー?」
即座にテントから出た私は、ベルを見上げ、そののんきな声を睨みつける。
「このバカ! 殺す気!?」
それを聞いたベルは、しゅんと、うなだれて、顎を地上に乗せる。
「ごめんなさい……」
目尻に涙まで浮かべて、なんだか、こちらが悪いことをしている気になってくる。
「別に、いいけど」
「ごめんね。本当に、ごめんね……」
――いつもこうだ。こういうところが、苦手なのだ。ベルは、一度、泣き出すと止まらない。
慰めても、「気を使わせて、ごめんなさい」。
素っ気なくしても、「ボクのこと嫌いになったよね、ごめんなさい」。
しまいに、無視なんてした日には、「ボクなんて、この世にいない方がいいよね、ごめんなさい」とか言い出す。
しかも、ドラゴンは自分で死期を決められるため、本当に命を落としかねない。
そもそも、別にほとんど怒っていないというのに、何をそんなに謝られなくてはならないのか。
「ねえ、ベル――」
名前を呼びかけられただけで、ベルはびくっと震えて、小さな地震を起こす。本人に悪気はなく、ただ、ドラゴンの溢れんばかりの力を抑えるのが難しいだけなのだと、私は知っている。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「ベル、話を聞いて――」
「どこにも行かないで。ちゃんと、いい子にするから……!」
その言葉に、昔の記憶が想起される。
――幼い頃、人質として他国に送られた私は、自分がいい子にしていればママと会えると、信じて疑わなかった。
結局、会えはしたが、またすぐに、ママは姿を消した。我ながら、なんと愚かで、浅はかだったのだろうと思う。
しかし、だからこそ、ベルの気持ちは痛いほど分かった。
「あぐっ」
何を思ったか、彼女は私をむんずとつかんだ。その力があまりにも強くて、上手く、呼吸ができない。
「せめて、アイネだけは、ずっと、ボクの傍にいてよ――!」
「ベル、苦しい……!」
どんどん、握る力が強くなっている。このままでは、そのうち、内臓が口から飛び出るかもしれない。いや、意識がなくなる方が先だろうか。
「ベル……」
頭がぼんやりとしてきて、手足に力が入らない。このまま、死ぬのかもしれない。そんなことを考える思考すら遠ざかっていた、そのとき。
――ばしゃっと、液体がかけられたような音がして、私は眩む視界を無理やりこじ開ける。しゅわあと細かい泡のような音と、真っ白な湯気を立てて、ベルの鱗が、溶けていた。
「熱っ!」
遅れて、ベルの手の力が抜け、私はその場に落下し、咳き込む。
少し落ち着いて、やっと、白髪を――クレイアの姿を捉える。彼女が何かしらの液体をベルにかけたようで、鱗の一部が欠けて草原に落ちていた。
「悪いわね。こうでもしないと、アイネが小さくなっちゃいそうだったから」
「小さくなるで、済めば、いいけど……!」
「え、あ、ぁ」
ベルは凶悪な爪の生えた巨大な手を見つめると、自分のしようとしたことに気づいたようで、再び、大地を震わせる。
「ベル、落ち着――」
「うわあああっ!!」
彼女の衝動的な叫びが咆哮となり、脳がぐわんと揺れる。立っていることすらままならない。
思わずその場に膝をついてしまうほどの衝撃に耐えながら、片目で様子をうかがうと、ベルはただならない様子で大きな翼を広げ――飛び立った。
その風で吹き飛ばされそうになるクレイアを支えつつ、顔を腕で覆う。風が収まってすぐに、
「待って、ベル!」
そう叫ぶも、彼女の姿はすでに、遥か遠くにあった。追いかけなければならないのに、足が動かない。声が届いた様子もない。伸ばした手も、ベルには届かない。
反射してキラキラと光る、溶け落ちた真っ黒な鱗の破片を拾い上げると、そこには、泣きそうな自分の顔が映っていた。
***
ベルが飛んで行った方角は分かっている。ただ、
「会ったところで、また逃げられるかもしれないし。もう、どうしたらいいんだろう……」
二度と、城には帰って来ないかもしれない。もともと、彼女は自分の意思であの場所にいるだけであり、正式に城を住処としているわけではない。そもそも、世界最強の生命体であるドラゴンの意思を縛りつけることなど、それこそ、ママでもない限り、人類には不可能なのだ。
「――あたしも、昔はあの子みたいだったわ」
相談相手のクレイアが、そんなことを言い出した。
私こそ、自分がベルと似ていると思うのだが、そうなると私はクレイアに似ている――とは、到底、思えない。
「嘘、そうは見えないけど?」
「……まあ、あんたのお母さんにぶん殴られて、改心したのよ」
「え、痛」
――曰く。手を振り下ろせば、海が割れ。
――曰く。手を合わせれば、雲が散り。
――曰く。手を地に叩きつければ、大地が崩れる。
「って本に書いてあったの。さすがに、本当だとは思ってないけど、馬鹿力だったんでしょ? 頭割れたりしなかったの?」
「いいえ」
やっぱり、迷信だよね。
「全部事実よ。――というよりも、事実より優しく書かれてるわね」
「これで!?」
「ええ。そんな優しいものじゃなかったわ。島を一つ、持ち上げたこともあるらしいから」
「何、どういうこと!?」
わけが分からない。水中で重い物を持つことすら難しいのに、島を、持ち上げた?? もはや、言い伝えとどっちが凄いのか分かんないな。
「マナって、賢いのに、脳筋なのよ。だいたい、力とパワーで解決できちゃうから」
「あー」
なんか、納得した。
「てか、そんなママに殴られて、よく無事だったね?」
「それだけじゃないわよ。投げられたり、投げられたり、投げられたり――うん。投げられたわ」
その説明、なんにも分かんないよ?? あえて聞かないけど。
「さ、これだけ色々話してあげたんだから、もう十分でしょ。早くあの子と仲直りしてきなさい」
「……私、悪くないし」
「悪くなくても、とりあえず謝っておけば丸く収まるのよ。まあ、本当に仲直りしたいなら、の話だけれど」
「うわ、サイテー」
「大丈夫大丈夫。あたしも殴られたとき、マナが怖かったから、とりあえず謝ったの。そうしたら、なんか許してもらえたわ」
「本当にサイテーだな!」
どや顔で親指を立てていて、ちょっと、いらっとした。なぜこんな人をママは許したのだろう。
「もしかして、居場所の心配をしてるの? 大丈夫よ。大きなドラゴンだもの。みんな見てるから、聞き込みすればすぐに分かるわ」
「――え、聞き込みするの?」
「ええ。原始的だけれど、魔法が使えないなら、そうするしかないでしょ」
「え?」
「え?」
私はスマホ――厳密には、科学スマホを取り出し、操作する。一般には、魔力を使って操作する魔法スマホが普及しているが、私には使えない。
「聞き込みなんて今どき、ペットがいなくなったときにもしないって。ほら、これ」
私はクレイアに、シェルッターの画面を見せる。しかし、彼女は何が何やら、分かっていない様子だった。
「シェルッター、知らないの?」
「しぇるったあ?」
あ、これ、だめなやつだ。
「なんでそんなに知識があるのに、シェルッターを知らないの?」
「あたしの世界にそんなものはなかったわ」
「おばあちゃん? しっかりして?」
なんと無理のある誤魔化し方だろう。適当にも程がある。
「とにかく、ここには世界中の情報が集まってくるの」
「へえ、今はそんなに便利なものがあるのね」
「何時代の人なの……? とにかく、これを使えば、みんなのささやきを拾って、ベルの居場所を特定することができるの」
クレイアは、ふーん、と、生返事をして、
「つまり、ドラゴンがいた! って、ささやいてる人がたくさんいるから、それを追っていけば、位置が割り出せるってことね」
「理解はやっ」
分かっていないようで、ちゃんと分かっていた。




