娼婦と暮らす少年の話
それは彼女と暮らし始めて三ヶ月ほど経った日のことだった。真夏の陽気は生温い風を窓から送り、朝からじっとりと汗で肌が濡れていた。夜中浅い眠りを繰り返していたジョニーはしわの寄ったシーツを眺めた。いつもなら隣で寝息を立てている彼女は今朝はまだ姿が見えない。ベッド脇の粗末なテーブルに置いた水をひと口飲んで、扉に目を向けた。かた、とノブの回る音がして彼女の赤い髪がゆれる。彼はほっと息を吐いた。
「おかえり、サラ。今日は遅かったね」
「ただいま、ジョニー。悪いね、ちょっとそこの角で一杯やってたもんでさ」
鼻先を安っぽいジンの匂いがかすめて、彼は眉根を寄せた。一杯どころじゃないな、と思い酔っぱらった同居人を心配そうに目で追った。
「めずらしいね。サラがそんな酔ってるの初めて見た」
「はっ……まあ、たまにはねぇ」
サラはコルセットを脱ぐと「ちょっと身体を拭いてくるよ」と言い残してぱたんと扉を閉めた。すぐに戻ってくるものと思っていたら、いつまで経っても現れない。こんなとき、ジョニーは自分の足が恨めしくてたまらなかった。とん、とベッドから飛び降りて、階下の台所にサラを探しに行けたらどんなにいいだろう。しかし現実として、彼の膝先は晩春の事故で切断されてしまったのだし、今はただ酔ったサラが台所で眠りに落ちずに部屋に戻ってくることを祈るしかなかった。ジョニーがベッドの上で焦れていると、ようやくサラが階段を上る音がした。
「サラ……台所で眠っちゃったのかと思ったよ」
「はは、ごめんごめん、酔いを醒ましてたんだ」
ベッドにすとん、と腰を下ろすと薄いマットレスがわずかに跳ねた。ジョニーはいつものように笑う彼女にいつもとは違う違和感を抱く。カールした赤毛、鼻と頬に薄く散らばるそばかす、陽光に透ける長いまつげ。彼の目がはっと見開いた。薔薇色に染まる彼女の目尻は泣きはらした跡に違いない。細くて白い指先はかすかに震えていた。
「ね、サラ。ぼく寒いんだ、ぎゅって抱きしめてくれない?」
「なに言ってんだい、こんな暑さだってのに」
「ほんとだよ。寒いんだ、ねぇ、抱きしめてよ」
サラは短く息を吐くと、ためらうようにジョニーの身体を両腕で包みこんだ。彼は両手を彼女の背中に回して、ぎゅっと強く力を入れた。片手を彼女の赤毛に差し入れて櫛のように優しく梳いていく。もう一方に残した手でぽんぽんと赤子をあやすように背中を叩いた。
「大丈夫?」
「ああ」
「……嫌な客だった?」
「……まあね」
サラの華奢な腕には鬱血した指の跡があった。ジョニーは不愉快そうに口元を歪めた。
「おかみさんはなんて?」
「出入り禁止にしてくれたよ。警官にも伝えてあるから大丈夫さ」
ジョニーは自分の頬を彼女のそれにすり寄せた。彼女の頬につたう涙を子犬のようにぺろりと舐めた。後から後からこぼれ落ちる滴を舌ですくいとる。彼女の肩の震えがおさまると、ゆっくりとベッドに横たわらせた。
「もう寝なよ。子守唄を歌ってあげるよ」
「やだよ、子どもじゃないんだから」
「いいからもう寝なってば」
ジョニーは少年らしいソプラノの声で柔らかな音を響かせた。ハッシュ・ア・バイ ベイビー、静かにお眠り、私のかわいい子。
「……いい夢を見なよ」
やがて規則正しい寝息が聞こえてきた。サラと暮らし始めて三ヶ月が過ぎたものの、いまだに彼女はジョニーに頼ってはくれない。彼から歩み寄らなければ、絶対に弱みを見せてはくれないのだ。
「もっと甘えてくれてもいいと思うんだけどな」
ジョニーは浅い眠りを言い訳にして、二度寝をしようとシーツの中に身体を滑らせた。隣で眠る彼女の薄く開いた唇を舐めると、甘ったるいジンの味がした。
■長編小説:第一章・5話より登場(ジョニー)■