2 ソラ、魔界を知る
「ここは……?」
目を覚ましたとき、まず目に入ったのは美しい少女の姿だった。
私が寝かされていたのは、豪華な造りの部屋のベットだった。石畳の牢屋に放り込まれると思っていたので意外な場所だった。窓があるが薄暗い世界は今が、朝とも夜とも判断が付かなかった。
(やっぱり夢じゃなかったんだ……)
悪夢の続きにしては、部屋はあまりにも豪華だった。
隣で椅子に腰かけていた少女は私が目を覚ましたことに安心したように、優しく微笑んだ。
「気が付かれましたか?
あの後、倒れるように気絶してしまわれましたからね。私が運んだのも気が付かなかったでしょう」
「あなたは? あのリュカって男は!?」
私は自分がされた屈辱的な行為を思い出し激高した。
「落ち着いて下さい。この場所は安全です」
少女は私の手を握りしめた。
「私の名前はユアと申します。あなたの世話係として配属されました」
ユアと名乗った少女は、ここが魔界であることを忘れてしまいそうになるほど、穏やかな笑みを浮かべた。銀髪の腰まである長い髪に、絹のような白い肌に青色の澄んだ瞳をしている。歳は私と同じ17歳かそれよりも若く見える。黒に白いレースの付いたメイド服を着ていることから、召使いか何かなのだろうか。
「私は……ソラ。ソラ=クリステル」
気が付くと私は名前を名乗っていた。
彼女の醸し出す優しい雰囲気に気後れしたのかも知れない。
「ソラ様ですね。これからよろしくお願いします」
優しく微笑むユアに、私は気を許して良いのか分からず困惑した。
彼女は戸惑う私を察してか、
「混乱されているようですね。無理もありません。
突然、ソラ様がいた世界とは離れた――しかも魔界に連れて来られたんですものね。
でも、そんな中で、あの四天王であるリュカ様に大立ち回りをしたことは、城内でも噂になっていますよ」
ユアは何故かクスクスと愉快そうに話すが、私としては全身ズタボロにされて歯が立たなかった思い出なので、全く面白くない。地面に叩きつけられたり腹を蹴り上げられたり、髪を掴まれたり、色々され――思い出しても腹が立つ。
「あれ?」
そこで私は身体の節々に痛みがないことに気が付いた。
「ソラ様の傷は私が治療させて頂きましたよ」
治癒魔法が使えるのは、高度な魔導士か神官だと聞いていたが、私と同い年くらいのこの子が治癒魔法を使えるのは驚きだった。
それとも、魔族は魔法の基準が違うのだろうか?
「お召し物も汚れていたので僭越ながら着替えさせて頂きましたよ」
「あ…ありがとう」
私はそこで自分が着ていた服が、変わっていることに初めて気が付いた。
肌触りの良い鮮やかな染色の青いローブを着ていた。
「さすがにリュカ様も、手加減されていたようですね。跡に残るような傷は無かったので、ご安心ください」
「手加減? あれで?」
「当たり前ですよ」
ユアは呆れたように言った。
「リュカ様は、現四天王最強と呼ばれ、『飛天の竜騎士』の二つ名を持つお方です。実力は、魔界一と言って良いほどです。はっきり言ってソラ様はお命があっただけでも幸いだと思わなければいけませんよ」
「全く納得できなんだけど……」
「まぁ、今後は気を付けて下さいね。
――それで、ソラ様が落ち着いていらっしゃるのであれば、少しお立場についてお話しさせて頂きたいのですがよろしいでしょうか?」
私が頷くと、ユアは再び微笑んだ。
「やはり、あなたはお強いですね。さすがは勇者セインのご息女です」
「父を知っているの?」
「この魔界で勇者の名前を知らない者はいませんよ。それは人間界でも同じなのでは?」
「それはそうだけど……」
私にとって父はあくまでも『私の父』であり、勇者であった時の父の話を聞くと、おとぎ話を聞いているような不思議な気持ちになる。それだけ、私にとって父は身近な存在で居て当たり前だったからだ。
きっと今頃、母と一緒に私のことを血眼になって探しているだろう。しかも喧嘩別れしたから、私が家出して一人で王国に行ったと思っているのかもしれない。
父は、元勇者だけあって正義感も強いから『娘がいなくなったのは自分のせい』と悩んでしまっているかも……。
私の浮かない顔を見てユアは、
「すみません」
「え?」
「いえ、『お強い』などと言ってしまいましたが、魔界に連れ去られて気丈でいる方がおかしいですよね。失言でした」
「ううん。大丈夫。
自分でも状況は理解しているつもり。私は父をこの魔界に呼び寄せるための人質なんでしょう?
だから、命は保証される。そうでしょ?」
「はい、やはりソラ様はお強いですよ」
「あ! そういえばあのリュカって男、私を『寵姫にする』ってふざけたこと言ってた気がするけど……」
「はい。リュカ様にはもう正妃候補のご婚約者としてシャリア様がいらっしゃいますからね。さすがに人間のソラ様を正妃とする訳には……」
「いやいや! 違うから!
『寵姫』の立場に文句付けてる訳じゃないから! それ以前の問題だから」
驚いて首と手を横に全力で振る私に、ユアは首を傾げた。
「リュカ様は先ほどもお伝えしたように、魔界一の実力者ですよ。そして、ソラ様も見られましたように、見目麗しくもあります。この城内でもリュカ様のお付きになりたいメイドは沢山いますよ。寵姫になれるならどんな事でもするという娘も大勢いますし……」
あれ……?
もしかしてこの子……。
私はユアにある疑惑が浮かんだ。
「どこの世界に、同意を得ないで誘拐されて腹をけられて、髪の毛掴み上げられた相手の寵姫になりたい女の子がいるのよ!?
魔界ではそういうのが流行ってるの!?」
「そういう訳ではありませんが……。
魔界でも、面識のない男女が家柄の都合で婚姻関係を結んだりすることはありますよ。
あぁ、あと一目ぼれして平民の娘が貴族に貰われるなんてことも……」
このユアって子――もしかして天然???
「とまぁ、冗談はさておいて……」
「え!?」
「いえ、ソラ様がお不安そうでしたので、少しでも気を楽にして差し上げたくて」
「全然、楽になってないけど……」
ユアは私の言葉を無視して、コホンと咳払いした。
「リュカ様が気まぐれにあなたを寵姫にされたことは、あなたの身にとってはプラスになると思います。
まず一つ目は、寵姫になればある程度の自由が保障されること。もちろんすぐに城内を自由に動き回ることは出来ませんが、リュカ様と城の者の信用を得れれば少しは自由があります。牢に繋がれるよりは良いと思います。今、あなたが首にしている『魔封の首輪』もいずれは外されるかも知れません」
「え!? なにこれ?」
服に引き続き、私は自分が見慣れない首輪がされている事に気が付かなった。
金色に緑色の紋様の首輪がいつの間にか装着されていた。つなぎ目は全くなく外し方も当然、分からない。
「その首輪は魔力の封印と、あなたの居場所が分かる物です。万一、ソラ様が逃げ出したら次こそ四肢を切り取られて牢に繋がられるかもしれません」
残酷なことをユアはきっぱりと言い切った。
「そして二つ目は――リュカ様の寵姫ということであれば、ある程度は命が保障されることです」
「え? だって、私は父が来るまでの人質で……」
「それは、あくまでもリュカ様をはじめ、魔界の一部の者たちの思惑です。魔界の中には、勇者に恨みを持つものも少なくありません。なんせ、あなたの父は20年前に魔王を滅ぼしてしまったのですから当然です。
しかし、リュカ様がソラ様を寵姫にしたということであれば、あなたは魔界に下ったと――思われるでしょう。まずは生きることを優先すべきです」
「……」
「納得できないことは多いと思います。でも、少なくとも私はソラ様の味方ですよ」
「どうして? あなたも魔族なんでしょう?」
「はい。でも、私はここだけの話、勇者が魔王様を倒してくれて良かったと思っています。魔王様はお強かったですが、平民や力の弱い者にはあまり興味が無かったですからね。魔界にも少ないですが私と同じ考えの者がいますよ。」
ユアの言葉が気休めなのか本気で言っているのか、私には判断が付かなかった。でも、ユアが私を気遣って元気付けようとしてくれているのは感じた。
「今って、魔界はどうなっているの?」
「はい。ソラ様はお父上にどこまで聞いていらっしゃいますか?」
「えっと……、20年前に魔王・アドラメイダスが魔界・ゼルディアから、人間界に魔族と配下の四天王や仲間と共に侵攻。3年間かけて父と仲間が魔王と四天王を滅ぼし、人間界に平和が戻ったという所までは……」
本当は父の仲間や神剣探し、魔王との死闘なども聞いていたが、ここはざっくりと話した方が良いだろう。私はまだユアに完全に心を開いてはいなかった。
「はい。大まかにはそうですね。
その後、人間界には元々住み着いていた魔物や魔族以外は全て魔界に帰還しました。こちらでは、元々魔王の人間界侵略に異議を唱えるものも多かった為か、魔王の崩御後は細かいいざこざはありましたが、四天王が魔界を治めることで一応の平和は続いています。」
魔界で『平和』という2文字を聞くとは思わなかった。
ユアの話を聞いていると、魔界の世界も一定の秩序があるようだ。私が想像していた魑魅魍魎のイメージとはどうやら違うようだ。
「父を魔界に来させるのは、やっぱり復讐が目的なの?」
私はここでずっと気になっていた疑問を投げる。
「私もはっきりとは断言できませんが、今回リュカ様が勇者を魔界におびき寄せたいのは、命を狙ってのことだけでは無いと思います。
もし、復讐の為だけであれば、あなたがお生まれになった17年の間にいくらでもチャンスはあったはずですからね」
てっきり肯定の答えが返ってくると思っていただけに、ユアの言葉は意外だった。
確かに、今の17歳の私をさらうよりも、まだ幼いときの方が人質としての価値はありそうだ。どうして、今このタイミングで私を魔界に連れてくる理由があったのだろうか。
「私のような下っ端には詳しいことは分かりませんが、最近四天王様や魔界の他の勢力の動きが活発のように思えます。先ほど、お伝えしたように勇者に恨みを持つ者や反四天王の者、また、あなたが寵姫であることが気に喰わない者などから命を狙われる可能性があります。くれぐれも軽率な行動は控えて下さいね」
「ありがとう……」
「さて、ソラ様もお疲れでしょうから、今日はここまでにしておきましょう」
「私はまだ大丈夫よ。聞きたいこともまだ沢山あるし……」
「いえ、身体に傷は無くても心は疲労しているはずです。少しお休みください。また後でお伺いしますから」
ユアはドアの前まで行くと、ふと気が付いたように、
「あぁ、そうだ」
ユアは振り向いてニコリと笑った。
「リュカ様は少なくとも気に入らない者を――しかも人間の娘を寵姫になど絶対にしません。例えあなたの父――勇者が来る間の暇つぶしであっても、ソラ様を女性として気に入られていることは間違いないと思いますよ」
全く嬉しくない言葉を言ってからユアは、部屋から出て行った。
その後、小さくカチリと音が聞こえた。外側から鍵を閉めたのだろう。
――私はふぅっとため息をついた。
色々な情報が入り過ぎて頭が付いていけない。
けど、とりあえず今は少しでも敵地の現状について理解できた。
これからどう動くか冷静に考えなければ……
まずはこれを何とかしなければいけない……
拘束された首輪に触れると、ヒンヤリと冷たかった。
何とか3話目投稿出来ました!引き続きよろしくお願い致しますm(__)m