1 ソラ、魔界へさらわれる
「小娘の癖に随分と手こずらせてくれたな」
男の声と共に、私の身体に強い衝撃が走った。
強い痛みと共に地面に放り出されたのを理解し、痛みよりも怒りと屈辱で頭が真っ白になった。父との剣の稽古で手荒な扱いには慣れていたつもりだったが、父は常に私が怪我をしないように配慮してくれていた。こんな荷物のような手荒な真似をされたのは初めてだった。
「起きろ、小娘」
何の感情も労わりも感じない冷たい声。
痛みに耐えながら私は相手の動きを見定めるため、わざとゆっくりとした動作で立ちあがった。そして、目の前にいる男――私をさらった誘拐犯の顔を見た。
王国へ行くのを置いてきぼりを食った私は、村のはずれのお気に入りの丘で一人、寝っ転がり不貞腐れていた。青い空に鮮やかな緑の木々は美しい――が、見飽きた光景だった。
その時、黒い影が空に大きくかかった――と思った瞬間、空に吸い込まれるようなすごい力で身体が浮き上がった。あっという間に私の住んでいた村は豆粒のように小さくなった。
――私の記憶があるのはそこまでだった。
気を失ったであろう私は気が付くとこの男に担がれて、この場所に放り出されたのだ。
空は夕焼けとは違う、不気味で禍々しい血の色に染まっていた。遠くかはら雷鳴の音が絶えまなく聞こえていた。周りを見渡すと、そこは高い城壁に囲まれた空間だった。すぐ近くには居住区と思われる塔がいくつも並んでいる。父と一緒に行っていた王都の城と造りも形も全く違った。
(もしかして、ここは……)
――頭によぎるのは嫌な予感しかしない。
男の身長は190cmくらいだろうか。自分を軽々と運んだとは思えない程、細身に見える。服は黒くて裾まであるローブを羽織っている。服の左右には金色の模様が装飾されている。一見すると騎士にも魔導士にも見える不思議な服装だ。
服装と同じく黒い髪に、紫色の瞳をしている。男のこちらをあざける様な顔つきは、怒っているようにも嘲笑しているように見える。端整な顔立ちで一瞬、女性とも見間違うほどだ。しかし、全体的に不気味な雰囲気を漂わせていて、とらえどころのない、得体の知れない男に見えた。
そして、男よりも私が目を引いたのが、隣にいる異形の獣の姿。10M以上はあるだろう大きな黒色の飛竜が男の横にうずくまっていた。巨大な2枚の翼の内側は赤色で縦に黒い動脈の様な線がミミズのようにうごめいている。父から聞いた昔話や絵本でしか見たことのなかった生き物が実際に動いているのを目のあたりにするのは不思議な気持ちだった。
恐らく、私をさらってここまで連れてきたのはこの飛竜だろう。
引き上げられたときに見えた黒い斑紋には見覚えたあった。
(――人間のメス。ニク付いてない。マズそう)
私の耳に蛙の鳴き声をさらに潰したような声が聞こえた。目の前の男は口を開いていない。耳から入ってくるのではなく、頭の中に直接響いてくる声。
「私をそいつに食べさせるつもりなの!?」
竜が人間を食べるという話は、父から聞いたことは無い。ただ、目の前にいる禍々しい風貌の飛竜は間違いなく人間を平気で喰らいそうだ。
黒いローブの男が一瞬、訝かしげな顔で私を見た。
しかし、すぐにまた嘲笑した顔に戻り、
「確かに、お前をフォルのエサにしても良いだろう。だが、ここでお前を殺しはしない。
――お前は、勇者をおびき寄せる為のまき餌なのだからな」
「お父様を……?」
「そうだ。娘が魔界にいるのであれば、必ず勇者はここに来るだろう」
(やっぱり……ここは魔界なんだ)
父から聞いていた魔界の情景にそっくりだったから、予想はついていた。
それでも、別の世界に連れて来られたことはショックだった。
確かに父なら、自分を助けに来てくれるに違いない。
しかし、自分の命と引き換えに父に危険な目にあっても欲しくない。私は目まぐるしくここから逃れる方法を頭に巡らせた。男は1人。幸い、男と竜以外、兵士のような者たちの姿は見えない。
この飛竜がやっかいそうだ。
(でも、隙をつく位ならできるかもしれない……)
「お父様が来たら……どうするつもりなの?
まさか……殺すつもりなの?」
私は頭を伏せ両手で顔を覆った。手が震えるがそれは演技ではなく本当だった。
男は私の怯えた演技に、完全に油断しているようだった。
「そんなことはお前が知ったことではないな。お前はただの交換条件の物だ。
それ以上でもそれ以下でもない。非力なお前はここで大人しく勇者が来るのを、そうして震えて待っているがいい。大人しくしていれば手荒な真似は、」
『火球!!』
男に気づかれないように、口元を隠して行い詠唱していた呪文を解き放った!
本当は私は剣の方が得意なのだが、今は手元に剣はない。
手から放たれた火球が、爆発音とともに黒い煙があたりを覆った。私はこの機を逃さず、ネズミのような速さで後ろに駆け出した――が、すぐに強い力で腕をとられた。
「驚いたな……まさか、この状況でこんな芸が出来るとはな」
男は全くひるんだ気配も見せず、私の手をひねり上げた。
「痛っ!」
悲鳴の声にもまったく男は全く動じなかった。
「少々侮っていたようだな。フォル、」
男の呼びかけに、フォルと呼ばれた飛竜が翼を羽ばたかせた。
一度の羽ばたきで、辺りの煙はあっという間に空に舞いあげられた。
私が放った魔法は、全く通じていなかったのだ。
しかし、悔しがっていても仕方がない。
私はヒュッっと息を吸うと、男の顔面に思いっきり右足を蹴りつけた。今度こそ男は油断していたのか、私の蹴りは見事に決まった。身体はのけ反ったがしかし、私を掴んだ手は全く緩まない。そのまま勢いをつけてもう片方の足を叩きつけようとしたとき、
「ガルゥゥゥ!!!!!!!」
フォルが牙を剥きだし、私に襲いかかってきた。
両手の8本のカギ爪が私の目前に迫る。とっさに反応できず、私は動きを止めてしまった。
(――人間。コロシテやる!)
またあの蛙の声が私の頭の中に響いた。
(もしかして……この竜の声!?)
「フォル、大丈夫だ」
男の一声でフォルはすぐに動きを止め、その場にうずくまった。
しかし、怒りは消えていないようで、憎悪を込めた赤い目で私を睨みつけている。
男は私の手をグイと自分の顔面に寄せた。
渾身の一撃で顔面が少し腫れているように見えた。残念ながら、致命傷では……絶対にない。私は絶望的な気持ちになった。
「俺は、リュカ。
お前の父親に滅ぼされた魔王の配下だ。四天王の一人と言えば、お前たち人間にも分かりやすいか?」
男は私の手をひねり上げたまま名乗った。その口調は、感心したようにも呆れたようにも聞こえた。
「あなたが……?」
父が魔王と戦った時に、四天王と呼ばれる4人の魔族がいたことは知っていた。
魔王が死に、四天王も消滅したと聞いていたが違っていたのだろうか?
「そうだ。20年前、四天王のうち3人が勇者に倒された」
そう言って、リュカは私の足を掴み腹部を蹴られた。
さっき顔面に蹴りを入れた仕返しだろうか……痛みを感じる前に、身体ごと地面に叩きつけた。これで地面に叩きつけられるのは2回目だ。唇を切ったのか口の中が血の味がする。
(反撃の手を……何か……)
立ち上がろうと腕に力を入れるが、力が入らない。
「ふん。小娘が調子に乗るからだ」
リュカの冷徹な声が頭に響く。
自分の力の無さが悔しくて涙が出そうになる。なんでこんな目に合わなければいけないのだろうか。
――魔法も効かない
――力もない
――地の利もない
――逃げる術がない
(でも、私は勇者の娘……)
――諦めたく……ない!!
「まだ立つのか? 勇者の娘よ」
足が震えるのは仕方がない。
でもこのままやられっぱなしで、地面に転がっているだけなのは耐えられない。せめてもう一発、このド畜生に喰らわせてレディに対する扱い方を教えてやる。自分でも意地になっているのは分かった。でも、このまま終わらせたくない。
「私は……私は、勇者セインの娘だ!
魔族に屈することなどしない……!!」
「お前は人質としての価値さえあればよい……それ以上、歯向かうなら四肢をバラバラにして勇者が来るまで牢に繋いでおくこともできるのだぞ」
本気とも脅しともとれるリュカの言葉に一瞬だけ身がすくむ。
それでも、何とか上半身だけ持ち上げ、リュカを睨みつけた。
「ふっ……どうやらまだ痛い目に合わないと分からないらしいな」
リュカは私の髪の毛を掴み上げ、右手を私の顔面に向け呪文詠唱を始めた。詠唱と共にリュカの周辺に複雑な術式が浮かび上がった。
魔法に詳しくない私でもやばそうな呪文を唱えていることは分かる。
(それでも……勇者は勇気ある者――私は父さまの娘だから、どんな困難な状況でも立ち向かう勇気を持たなければいけないんだ!)
リュカを睨みつけたまま身もだえるが、リュカはやすやすと私を抑え込んだ。
そして、詠唱していた魔法を私に向かって解き放とうとしたとき――
「ほぅ……これでも怖気つかないか」
リュカが突然、掴んでいた私の髪を離し、ハラハラと抜け落ちた私の赤髪が眼前に舞った。
放とうとしていた魔法は、そのままリュカの右手に吸い込まれていった。
(?????)
「気に入ったぞ。勇者の娘」
リュカは新しいおもちゃを見つけた子供のような笑みを浮かべた。
「お前がいた人間界から魔界のゲートが開くまで三カ月かかる。
それまでの暇つぶしだ。お前を俺の寵姫としてやろう――」
寵姫?
私が?
このイカレポンチの言っている言葉が1mmも理解できず、私は混乱した。
頭がおかしいのか?
私の動揺が伝わったのか、リュカはクックと愉快そうに笑い、
「その生意気な態度が魔界の四天王相手にどこまで続くか見ものだな。
そして、お前の父は娘が魔族の慰めものになったと知って、どんな顔をするだろうな!」
――こうして私の最悪最低な魔界1日目は身体も精神もズタボロのまま幕を閉じた。
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