癒しですよ
「これは…たしかに場所を聞いていなければ通り過ぎてしまいそうですね…。」
「すごく地味な宿屋ね。」
言い方は悪いが、アリア様の言う通りかなり地味な店構えだ。
扉にぶら下がっている看板には小さく[憧憬の宿屋]という文字が書いてあり、ここが目的地であることを示している。
外観をじっと眺めていると、不意にその扉が開かれた。
「…あれ?もしかしてお客様ですか?それならアーニャがご案内しますよ!どうぞ中に入ってください!」
中から現れたのは赤毛の髪を二つに結った幼い少女であった。
ニコニコと少女に促されるまま、私達は宿屋へと足を踏み入れる。
「中は食堂になっているのですね。外からでは分かりませんでした。」
「一階はお食事処で、二階にお客様が泊まるお部屋があるんです!アーニャのお母さんが作るご飯はとっても美味しいので、お客様も食べていってください!」
ガヤガヤと騒がしい空間にはテーブルが6つあり、どれも満席のようだ。
外観からは分からないが人気のある店なのだろう。
「おや?アーニャ、お客さんかい?」
「うん!お外にいたからアーニャがご案内したの!」
声のする方向を見ると、カウンターの奥に立つ40代くらいの女性がこちらを見ていた。
一つに結ばれた赤毛を見るに、この少女の母親だろうか。
「すみません、泊めていただきたいのですが部屋は空いているでしょうか?」
「それならちょうど一部屋空いてるよ。二人で一泊6000ダラーだが、泊まっていくかい?」
一部屋しか空いていないということは、今夜はアリア様と二人で寝ることになるのか…?
ちらりと隣を見るとアリア様と目が合った。
「なによ、野営ではずっと二人で寝てたんだから今更でしょ?それともセレナは私と同じ部屋は嫌なの?」
ムッとしたアリア様を見て慌てて弁解する。
アリア様と同じ部屋だなんて畏れ多いが、嫌なわけがない。
「えっと、ではその部屋をお借りします。」
「はいよ。部屋は二階にあるからアーニャから鍵を受け取っておくれ。アーニャ、お客さんのご案内を頼んだよ。」
「はーい!階段は左にあります!アーニャに着いてきてください!」
少女の後を追って二階へと続く階段を上る。
木製の階段からはギシギシと音が鳴り、なかなか古い建物のようだ。
「あっ、そういえばお客様にご挨拶をしてなかったです…!アーニャはこの宿屋の看板娘です!名前はアーニャです!8歳です!よろしくお願いします!」
ハッと思い出したように慌てて少女が自己紹介を始めた。
先ほどから忙しない少女…アーニャの姿に思わず笑みがこぼれる。
「随分と可愛い看板娘だね。私はレーナ、こっちはリリアだよ。よろしくね。」
こちらも名乗るとアーニャの顔は花が咲いたようにパッと笑顔になった。
それを見て逃亡生活で疲れた心が癒されていくのを感じる。
案内された部屋は二階奥の角部屋で、案の定ベッドは一つしかない。
ソファーもないので二人で寝るしかないのだが、なぜか胸が激しく高鳴って落ち着かない。
「それじゃあアーニャは戻ります!お客様もお食事がまだなら下に来てくださいね!」
「うん、ありがとうアーニャ。」
にっこりと笑ったアーニャはパタパタと足音を立てて部屋から遠ざかっていった。
部屋にはしんとした静けさが漂う。
「えっと、せっかくですし今夜はここで夕食をいただきましょうか。荷物を置いたら一階に行きましょう。」
「……セレナは子供が好きなの?」
脈絡のない質問にぽかんとするが、子供とはアーニャのことを言っているのだろう。
「好きかどうかは分かりませんが、私の暮らしていた孤児院には小さな子も多くいたので懐かしく感じますね。」
「……そう。あなたのあんなに楽しそうな顔、初めて見たわ。」
「…?そんな楽しそうにしていたでしょうか?」
たしかに可愛らしいアーニャの姿には癒されていたが、自分が楽しそうな顔をしていたという自覚は無かった。
「…別にいいわ。お腹が空いたから早く下に降りましょう。」
「あっ、待ってくださいアリア様!」
ムスッとして部屋から出ていったアリア様を急いで追いかける。
前と違って最近ではアリア様が不機嫌になることは少ないのだが、なにか失礼なことをしてしまったのだろうか…。
だが、いくら考えてもその理由はさっぱり分からなかった。