りたーんまっち
で、これが。まるで棒読みのまま、鬼谷がつぶやく。
はい、これが。怯えの色もすっかり払しょくされた百瀬が、元気よく答える。
「たろうもも、なんだな」
「たろうもも、なんです」
「……これさ」鬼谷は、ようやく当初の衝撃から立ち直ったようで、片手で頭を抱えながらも顔を上げて尋ねる。
「本当に……タッケーが書いたの?」
「いいえ」さも当然のごとく、百瀬は答える。
「竹内先生はご不在でしたので、僕が代わりに」
ふぇぇぇ、鬼谷が幼女みたいな泣き声をあげる。「もう明日おおみそか」
「ですね」百瀬は満面の笑みで応える。「間に合って、よかったです」
ヨカネーーーーヨ!!鬼谷の怒りがさく裂、かというその時
「いいんだよ」
よく通る低い声とともに、ドアが勢いよく内側に向かって蹴破られた。
「ワンチャン!」百瀬が叫ぶ。
「来てくれたんだね!」
「おお、遅くなって悪かった」
戸口に立つ男は身の丈二メートル近く、プラチナブロンドの短髪を四方に立て、黒いサングラスをぎらりと光らせ、にやりと笑った。
黒いロングコートをはためかせ、黒いワークブーツの靴音が床に響く。
鬼谷は原稿を取り落とし、棒立ちになった。
「……どちらさま?」
唖然としたまま、つぶやくように尋ねている。
「ちょっとタロちゃん、急にどうしたのよ久々に呼び出したりして」
艶やかなテノールとともに、偉丈夫に続いて誰かが入ってくる。
青い髪はベリーショート、金のカチューシャが光る。真っ赤なミニ丈のワンピースにピンクのフェイクファーの襟巻をふわりと垂らし、グリーンのタイツ、カチューシャと同じく金のヒールで颯爽と現れたのは、
「モンキー!」
百瀬はうれしそうに両手を差し出す。「うっわ、ぜんぜん変わってないね」
モンキーと呼ばれた美男子が、ちらりと彼をみてウィンクしてみせる。
「お世辞でもうれしい、ありがと」
その影からおどおどとした少女の顔がのぞいた。
「あ、あのアタシも、あの、ごめいわくかなーってちょっと思ったんですケドあの」
「キジちゃんもっ?」
極彩色の脇からぴょこんと飛び出したのは小柄な少女だった。
白いブラウスに黒いタイトスカート、どこからどこまで見ても就活中のしかも高校生か? といった感じの彼女は長めのオカッパをゆらして、あわてて頭を下げた。「きじまゆいこです、よろしくおねがいします」
ついつられて、頭を下げる鬼谷。だが、一拍おいて彼らが全員視界に収まったらしく、急に激昂する。
「っつうか何なんだオメエらは!? 誰なんだ? 何しに来た? もしかしてコ、コ、コイツの(と、震える手で百瀬を指しながら)差し金でオレをそ、そ、その何だし、シ、始末しに」
じっと見つめる闖入者たちと黙って原稿を拾い上げる百瀬とに交互に目を配り、鬼谷は退路を探るかのようにじりじりと後ずさりを始める。
「わ、わかったぞ、オマエ、百瀬……オマエが書いたってこの話……オマエが桃太郎でそ、そこのヤツラがお供の犬猿雉で、そ、そんでオレが『オニ』って訳だな……つまりオレの殺害予告をわざわざ……」
「鬼谷さん、」
すっかり覚醒した百瀬が立ち上がり、すい、と背筋を伸ばす。
「鬼谷さんの悪いクセだ。原稿をおしまいまでちゃんと読んでいただけたら分るのに」
小学生並みにつばをとばし、鬼谷は反論する。
「こ、こないだのタッケーのは読んだぞ! 最後まで。めでたしめでたし、って」
「たまたま、でしょ」百瀬が応えて、極彩色の彼が「きゃっ」とはしゃいだ声で両頬を押さえる。「やーだタロちゃん、タマタマなんてぇ」
百瀬は柔らかい笑みで彼をふり向き、それからまた鬼谷に向き合う。
「僕は、桃太郎ではないし、もちろん鬼退治なんてしません。鬼谷さんをやっつけようなんて、これっぽちも思ってませんよ」
「ほんとか?」
「ほんとです、それに」ふり向いて、後ろに立ち並ぶ三人を指し示す。
「犬猿雉のお供なんていませんし。彼らは僕の大切な友人であり、ビジネスパートナーなんです」
「び、じねす?」鬼谷はすっかり毒気が抜けている。「な、んの、ビジネスですか」
「これです」
百瀬は鬼谷の方を向いたまま、スクワットの要領で中腰になった。そして
「うんっ」と軽く、いきんでみせた。すると
しゃららららん
軽やかな音がして、彼の尻の間から何か輝くボール状のものが転がり落ちた。それは床に当たって軽く弾み、彼の股の間を転がってちょうど鬼谷の足もとで止まった。
硬直して立ちつくす鬼谷に、百瀬が優しく告げる。
「お受け取りください」
言われるがまま、ぎくしゃくとかがみこみ、鬼谷はそれを拾い上げる。「なんだこれは」
「太郎桃です」
「た、ろう、もも?」
たじろいだ拍子に、掴んだ桃が軽くしゃららんと鳴った。「だって音が、それに」
急に我に返った声で百瀬に言いつのる。
「今見たぞオレは、確かに見た。ケツから出したんじゃねえのかっ? 喰い物だろう? フケツ、フケツだ! フケツフケツフケツだーーー」
「今このヒト、ケツって何回言ったのォ?」モンキーは半分笑っている。
「タロちゃん、アタシがデザインしたズボン、役に立ってるじゃない?」
「ああ」百瀬が笑った。
「記憶がない頃、不思議でしょうがなかったんだよな……なんで僕のズボンとパンツ、全部尻にスリットが入ってるんだろう、って」
談笑のさなか、鬼谷はおそるおそる桃を口元に持っていった。
確かに見た目は、水蜜桃そのものだ、ピンクの地肌も、金色がかった産毛も。
手にずっしりと重い桃は、軽やかな音とともに、かぐわしくも甘い芳香を放ち、彼の鼻をくすぐっている。
しゃらららん
音に誘われるように、鬼谷は大きく一口、桃に喰いついた。
柔らかすぎず、固過ぎず、鬼谷の歯は桃の果実にずぶりとめり込んだ。飛び散る果汁と、更に強い芳香。「んむっ」鬼谷は口を閉ざしたまま唸る。じゅるじゅるじゅる、とそのまま口の中いっぱいに溜まった果肉と果汁とをのどの奥に流しこむ。
果汁の最後の一滴が、するりと胃の中に落ちる。
鬼谷は思わず中空を見上げて目を閉じた。体中に震えが走る。振動は桃を握る手に伝わり、果実は不完全な球体でありながら、しゃららららんと涼しげな音をたてた。
鬼谷の口が大きく開いて、ため息とも思える声が発せられる。
「あ、あ、ああああああああああああああああああ」あ、をのばす度に膝が曲がり、背は反り返る。リンボーダンス一歩手前まできて急に
「あまいっっ!!」
手にした桃の残りをぎろりと睨みつけ、皮も剥かずに息つぎもせずに一挙にかぶりつく。
その様子をじろりと一瞥したワンチャンが
「やっと味が分ったか?」さあ、と百瀬の肩に手をやりドアをくぐろうとしたせつな
「逃がすかあっっっ」鬼谷の体が低い弧を描き、宙を舞った。
そして一番手近な所に立っていたキジマユイコに手をかけ、ぐいっと引き寄せる。
「キジちゃん!」息を呑む百瀬。連れの二人も固まる。
「オマエらぁ」鬼谷はゆらりと上体を揺らし、彼らに薄く笑いかけた。
もちろん、強張った表情の少女にかけた腕は、少しも緩む気配がない。しかも、いつの間にやらデスクから取り上げたらしい刃先の鋭いペーパーナイフを逆手に握っている。
切っ先はぴたりと、少女の細い首に当てられていた。
「その桃で、ビジネスだって? 面白いじゃねえか。オレが売ってやるよ、いくらでもな。オレが売りまくってボロ儲けしてやるよ。オマエはオレの言う事だけ聞いて、ぷりぷりいくらでもひり出していりゃ、いいんだ。この女の命が惜しけりゃ、すぐ従えよ。いいな?」
百瀬はあせった声で鬼谷に詰め寄ろうとする。
「だ、だめですよ鬼谷さんそんなことしちゃ。彼女を離してくだ……」
しかし、切っ先がわずかに首に食い込んだのをみて、ぴたりと足を止めた。
「まずは、そこのでっかいのと、ケバいオカマを縛り上げろ、すぐに」
鬼谷の冷たい言葉に、百瀬は泣きそうな顔でつぶやく。
「怖いです……離さないつもりなんですね」
モンキーはむしろ、呆れ気味に言い放つ。
「桃食ってあの態度? やっぱ、ニンゲンってこんなモンなのよねー」
「おい」急にワンチャンが声をあげた。面倒くさそうな物言いだった。
「もう俺は知らんぞ、先、行ってるからな」
はあ? 思わず素っ頓狂な叫びを上げる鬼谷。
しかし続けて、モンキーもぴらぴらと手を振って戸口から出て行く。
「鬼谷さん」
百瀬は悲しそうに、もう一度鬼谷の元に歩み寄ろうとした、が、彼の頑なな姿勢が全く揺るがないと見るや、まっすぐ姿勢を正し、それから深くお辞儀をして、くるりと向きを変えた。
「お、おい!! モモセ、どこ行く! オンナはいいのかっ?」
去って行く百瀬の背中につばを飛ばさんばかりに、鬼谷は叫ぶ、叫ぶ、叫んで叫びまくり
「いいんだよ」
ドスのきいた声がふと胸元から聞こえ、ひっと息を呑む。
切りそろえられた前髪の下からのぞく眼は、もはや少女のそれではなかった。
「……よりによって、どうしてキジちゃんを選んだんだ、あのバカ」
オフィス内の絶叫は外の通りまでは届かない、それでもワンチャンはぶるりと身震いして肩をすくめる。
「アタシを選んでくれたら、ヨカッタのに~~」
モンキーが身をよじって悔しがる。ワンチャンはさらりと受け流す。
百瀬がそっとモンキーの肩をたたく。
「それだって、ちょっとだけ寿命が延びる、ってだけだしね」
「でもタロちゃんが元気そうでよかった、やっと再スタートね」
明るい声でモンキーが百瀬にしなだれかかる。
「おい」ワンチャンが眉を寄せ、口をとがらせる。
「オマエだけのタロちゃんじゃ、ねえんだぞ、やめろよー」
不機嫌そうなワンチャンと、同じように口を尖らせるモンキーとを交互に見て、百瀬がつい、顔をほころばせる。と、
「すみませーん、遅くなっちゃってー」
ビルの出入り口から、白いブラウスの少女が駆け出してきた、同時に背後のビルが爆発炎上する。
「あーあ」空高く伸びる火柱をみながら、出迎えた三人の声が揃った。
「相変わらず、派手だなー」
てへぺろ、と少女が小さく舌を出して笑う。
「ま、いいよ」
百瀬太郎はさわやかに言った。
「そんじゃ、世界征服の続きと、まいりましょーか!」
えいえいおー、と明るい掛け声がどす黒い煙の上がる閑静なオフィス街に響き渡る。
百瀬太郎と仲間たちの、世界征服が再び幕を上げ、旧人類はゆるやかにしかし確かに、滅亡への螺旋階段を下っていった。
めでたし、めでたし。




