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夏来たる〜帰省

『次は、終点――みころ村。終点、みころ村です』


 若い女性のテープの声で、停留所が近づいたことが告げられる。少なくとも15年前から、この声は変わらない。

 1日5本しか走らない、超ローカル線のバス。いつ廃止になっても可笑しくない赤字路線だが、これでも10年前の鉄道廃止後に残された、村の内外を結ぶ唯一の公共機関だ。


 当然、乗客はあたしだけ。終点を告げるアナウンスで窓外に目を向けると、寂寞とした夕焼け空が広がっている。道路を挟む山々は、既に影絵のようなシルエットに沈みんでいる。

 毎年のことだが、始発のターミナルから2時間弱で、異界に拐われたかのような錯覚にすら陥る。


『終点、みころ村。みころ村です。どなた様もお忘れ物のないよう、お気をつけください』


 バスは停車し、ドアが開く。テープのアナウンスが流れる中、座席に残留物がないか、運転手が1つずつ確認して回る。

 車内を全てチェックし終えた彼は、ドアを閉じて路線表示を「回送」に変える。バスは営業所へ走り去った。


「あぁー、着いたあ」


 『村役場前』と書かれた終点停留所で、あたしは大きく伸びをした。

 乾いたアスファルトと、地熱を含んだ草いきれ。


 ああ、夏だ。みころ村の香りがする。


 最終便は、19時半着。昼間の暑さと鮮やかな残照に騙されがちだが、夏至を過ぎた7月下旬は、少しずつ宵の始まる時刻が早まってきている。

 黒い山の稜線の上に、明るい星が光っている。一番星、いや宵の明星だろうか。


 バス停のベンチに腰掛けて、あたしはショルダーバッグからスマホを取り出した。短くメッセージを送る。


なおちゃん、ただいま! 今、着いたよ』


 待ち構えていたかのように、掌の中のスマホが「ピロリン」と答えた。


梗子きょうこ、迎えに行こうか?』


 メールの相手は、「尚ちゃん」こと清水尚樹しみずなおき。彼は、あたしの背後の建物――村役場の地域振興課に勤める課長さんだ。


『ううん。色々挨拶あるから』


『荷物は? 運んでおくかい?』


 相変わらず、この人は優しい。返事をタップしながら、思わず微笑みが浮かぶ。


『ありがとー、大丈夫よ。お土産入ってるから』


『そっか。りょーかい』


 報告を終え、スマホをしまうと、あたしは立ち上がる。


 カタ……カタカタッ


 傍らの真っ赤なスーツケースの中から、小さな音が鳴った。お土産達が窮屈だと呟いている。


「はいはい、あとちょっとで着くわよー」


 囁いて、スーツケースをトントンと叩く。鎮まったことを確認してから、あたしは持ち手を掴んで歩き出した。

 宵の明星が消えた稜線の延長上から、歪んだ月が顔を覗かせていた。


-*-*-*-


 旧知の長老の元を幾つか訪ね、目的地に着いた頃には、月が天頂付近まで昇っていた。


かずちゃーん、尚ちゃーん、起きてるー?」


 門を潜り、玄関には行かず建物に沿って庭を回ると、離れの縁側に声をかける。


「あ、帰ってきた」


 縁側の襖がスッと開き、眼鏡をかけた面長の男性――尚ちゃんが現れた。ふわふわの癖毛が夜風に揺れる。グレーのTシャツに、黒いハーフパンツ。リラックスタイムのラフな部屋着だ。

 彼は微笑むと、あたしの横の真っ赤なスーツケースに視線を向けた。縁側の上から手を伸ばしてくれたので、素直にスーツケースを預ける。踵の低いサンダルを石の上に脱ぎ、ピョンと室内に上がったあたしは、尚ちゃんの背中に抱き付いた。


「ありがとー。尚ちゃん、会いたかったぁ」


 彼はあたしの頭をくしゃくしゃっと撫でる。全身に温かなエネルギーが駆け巡る。ああ、心地良いなあ。


「お帰り、梗子」


 背後から、落ち着いた低い声があたしを呼ぶ。

 振り向くと、切れ長のくっきりと美しい二重瞼に、鼻筋の通った男性が、部屋のソファーで寛いでいた。仕事着の作務衣ではなく、藍染の浴衣姿が涼しげだ。


「やーん、和ちゃん、久しぶりぃー!」


 和ちゃんこと清水和臣しみずかずおみに飛び付いて、あたしはスベスベのスキンヘッドを抱き締める。


「こら、暑苦しい」


 和ちゃんは、じゃれつく猫をあしらうようにあたしを剥がす。


「だってー、和ちゃんの磁場が一番気持ちいいんだもん」


 なおもペタリと引っ付いていると、プン……と良い香りが鼻をついた。


「疲れただろ、梗子。冷やしうどん食べるか?」


「わ、食べる、食べる! 尚ちゃん大好き」


 いつの間にかちゃぶ台の上に、ガラスの器とツユの徳利が乗っている。たっぷりのネギと特大の油揚げが乗った冷やしうどん、あたしの大好物だ!


「長老達は、息災だったか」


 ぞぞぞっ、とうどんを啜っていると、ソファーから静かに問いかけてくる。


「うんっ! ……ぞぞぞっ……今年も……ぞぞっ……バイトさん、揃えて……ぞぞぞっ……くれる、って」


「こら、喋るか食べるかどっちかにしろ」


「えー……ぞぞぞっ……訊いてきたの、和ちゃんじゃん」


 モチモチのうどんを頬張りながら、上目遣いで睨むが、和ちゃんは意に介さない。


「梗子、今年はゾンビを出そうって企画あるんだけど、いけそうかい?」


 すかさず、ちゃぶ台の向かいの尚ちゃんがあたしの気を拐う。


「……ぞぞぞっ……ゾンビぃ?」


「シゲさんが、ネット検索したら流行ってるって」


 シゲさんは、定年退職後に覚えたPC操作とインターネットにハマり、齢70になった今も日課のネットサーフィンを欠かさない。そして毎年のように、彼が言うところの「流行り」を取り入れた斬新な企画書を提出するのだった。


「純和風のうちの村で、ゾンビだと?」


 怪訝な表情で、憮然とした声が上がる。


「まーたー、硬いこと言うなよ、和」


「……いいよ、あたしがバイトさんを特訓するんだから」


 うどんを平らげたあたしは、半分かじった油揚げをツユに浸す。


「いやー、頼りになります、梗子さん」


「全く。梗子は、尚に甘いな」


 ちょっと大袈裟に頭を下げる尚ちゃんと、不機嫌そうにしながらも満更でない和ちゃん。

 なんのかんの言って、この兄弟は仲がいい。


「ふふ。ちゃんと資料ビデオ用意してよぉ。皆で見るんだから」


 特大の油揚げを飲み込むと、あたしは笑顔で答えた。




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