第八十五話「それぞれの領分」
エアハルトとユッテは他のパーティーメンバーがアインスバッハに到着するまでの間、宿屋アンゼルマに滞在することにしたらしい。
それまでに二人で情報収集とパーティーメンバーと共同で生活する拠点となる物件探しをするとのことだ。
食事を終えてからも、偵察隊とエアハルト、ユッテは宿屋アンゼルマの食堂にいた。食事が済んでるにも拘わらず居座るのは悪いので、食事とは別に蜂蜜酒を注文した。
こちらの世界でよく飲まれているお酒といえば、蜂蜜酒だ。食文化的にビールが飲まれてるかと思いきや、意外にも違っていた。
元の世界では馴染みがなかった蜂蜜酒だが、飲んでみると結構おいしい。というか、割と甘みがあるので苦みのあるお酒が苦手な私でも飲むことができる。
ただ、ストレートで飲むととても濃い。
もちろんストレートで飲む人もいるが、水で割ったり、お湯で温めたりと、いろんな飲み方をする。
男性陣はストレートで、女性陣はお湯で割ってそれぞれ飲んだ。
ちなみにこちらの世界での成人は十六歳。年齢によって飲酒を禁止する法律はないが、慣例的に成人したらお酒を飲んでもいいらしい。
蜂蜜酒を手に、みんなは冒険者談義に花を咲かせる。
マリウスとディートリヒは、エアハルトにゼクスベルクの様子を聞き、逆にエアハルトはアインスバッハのことを知りたがる。
そこにはシルヴィオという共通する人物がいるため、シルヴィオの様子も含めて話している。
これに本人のシルヴィオは苦い顔をしていたが、余計な口を挟むのが面倒なのか渋い顔をしながら静かに蜂蜜酒を傾けていた。
一方、ティアナとイリーネはユッテと話している。
冒険者は男性の方が圧倒的に多い。その中で数少ない女性冒険者同士ということもあって、こっちも盛り上がっていた。
その二グループのちょうど境界あたりに座る私は、両方の会話を聞きながらもどちらにも加われずにいた。時折、頷いたり相づちを打ったりはするが、その程度だ。
どちらの話も聞いていて楽しくはある。
ただ、冒険者じゃない私自身が語れるものは何もなくて、聞き役をするしかなかった。
……それもそろそろ厳しくなってきた。
私はそっと椅子を引く。
すると、隣に座るマリウスが「どうした?」と聞いてくる。
「飲み物もなくなったし、ちょっとアンゼルマさんに話しておきたいこともあって……」
「そうか」
「あ、マリウスこっちに座りなよ。その方がエアハルトさんと話しやすいんじゃない?」
私は座っていた席にマリウスがずれるように勧める。
八人が座るテーブルの一番端に座るマリウスの位置では、話をしづらいだろう。それなら聞くだけの私がどいた方がいい。
「いいのか? じゃあ……」
マリウスは自分の飲んでいた蜂蜜酒を持って移動する。
中断されていた会話が再開するのを聞きながら、私はテーブルを離れた。
カウンターに向かうと、片付けをしていたアンゼルマが顔を上げる。
「ミナ、おかわりかい?」
「いえ、お酒はもういいかな……。それより今後のエルナのことなんですけど……」
今日はお休みだったエルナだが、明日はうちに来る予定だ。
「ああ、明日は大丈夫なんだろう?」
「はい、そのつもりです。ずっと作業する予定なので」
「それじゃあ、エルナは見たがるはずだね」
アンゼルマはそのエルナを想像しているのか微笑ましそうな顔をする。
「じゃあ、いつも通りの時間にってエルナに伝えてください」
「ああ、わかったよ」
毎日夕食を宿屋アンゼルマで食べているので、その時にエルナの来る日程を相談している。わざわざ席を立ってするほどの内容ではないんだけど、それでもあの輪の中から抜けるのにはちょうど良かった。
アンゼルマはまだ仕事があるので奥に行ってしまった。
お酒はもういいと言ったからか、ローマンがお湯で割ったりんごのジュースを出してくれる。少しスパイスも加えているのか、香ばしくて体が温まる。
一人カウンターでそれをちびちび飲む。
後ろからはなおも賑やかな声が聞こえてくる。
それに羨ましさを感じてしまう。
もしも。
私のスキルが戦闘に向いているものだったら、冒険者をしていたんだろうか……?
ふとそんなことが頭をよぎる。
一瞬考えてみて、私はすぐにそれは無いな、と答えを出した。
そもそも、元の世界にいたときだって、人並み程度に運動ができなかったのだ。きっとそれはこっちの世界の人からしたら全然できない範疇だと思う。
まずもって体力からして違う。
こちらの世界に車や電車のような便利な乗り物は当然ない。人々の交通手段といえば徒歩か、よくて馬車だ。
自分の足で移動することが基本だからか、みんな足腰が丈夫で体力がある。
さらに、生活に関しても電化製品のような便利なものはあまりない。
冒険者ギルドでは、よくわからない技術が使われているけれど、それは日常生活では見られない。
水道はあるけれど、コンロは薪をくべて使うタイプで、スイッチを押しただけで火が付く元の世界の物とは雲泥の差。
日常生活にかかる労働コストが全然違っているのだ。
日常生活する程度の体力しかない私が、冒険者をやるなんてよっぽど鍛えないと無理だろう。
しかも、魔物と戦わないといけない。
これまで生きてきた人生の中で、生き物と戦った経験はほぼない。あるとしても害虫くらいのもの。
そんな私が魔物と相対するのは、とても覚悟が必要だと思う。
命を奪うのは可哀想、などの聖人のような考えなわけではない。
ただ単に怖いのだ。
生き物と戦ったときに感じる匂いや感触が生理的に無理。血も苦手だ。
小さい頃からの慣れというのもあるんだと思うが、肉や魚も加工されて売られているのが当たり前だった世界出身の私にはハードルが高すぎる。
だから、スキルがもし合ったら……と考えても私には冒険者はできなかっただろうなと思う。
うん。
デザイナーになりたかったんだし、何を迷うことがあるというんだ。
私にも、私にしかできないことがあるはずだ。
現に、このアインスバッハで容量拡大効果のある鞄を作れるのは私しかいないんだよね……!
楽しそうだなぁって見えたのは今だけで、冒険者だって楽な仕事じゃないだろう。辛いことや嫌なことはいっぱいあるはず。
羨ましいと思うのは、一時のその場の空気に流されたからだ。仲間はずれにされたような気がしてさみしかっただけだ。
別に私は冒険者になりたいわけじゃない。
現実を冷静に見つめると、気持ちが落ち着いてくる。
そうなると現金なもので、せっかくのシュニッツェルだったんだからもっと味わって食べたら良かったなと思えてくるのだからおかしなものだ。
前向きな気分で、少し冷めてきたりんごジュースを飲む。
そんな時、私の隣の椅子が引かれた。
見ると、隣に座ったのはシルヴィオだった。
「シルヴィオさん、お酒のおかわりですか?」
「いや……」
そう言って言葉を濁したシルヴィオに、私は彼の行動の理由を察した。
おそらく自分の話が出るのがいたたまれなくなったのだろう。こっちに逃げてきたようだ。
私は苦笑して口を開く。
「何か飲みます?」
「……ミナは何を飲んでるんだ?」
「これはりんごジュースのお湯割りですね。ローマンさんが作ってくれて」
「じゃあ、同じのにするかな」
私たちの会話が聞こえていたのか、カウンターの奥で明日の仕込みをしていたらしいローマンがすぐにシルヴィオの分を用意してくれる。
カウンターに並んで、温かいカップを傾ける。
背後からは六人の楽しそうな声が聞こえてくる。
「ミナ」
「はい?」
「あいつらの鞄作り。大変だろうけど頼んだ。ダンジョン攻略には欠かせなくなるだろうから」
そう言うなり、シルヴィオはまたカップに口を付ける。
一言。
シルヴィオからしたら何気ない言葉だったのかもしれない。
でも私には、とても励みになる一言だった。
さっきまでささくれだっていた心の表面が一瞬で綺麗に治ったようだった。
「いい鞄、作りますね!」
そう言って隣のシルヴィオを見る。
彼の視線は正面を向いたままだけど、その目元がほんの少し。柔らかく細められた。




