第九話「カッフェーと初依頼」
――コンコン……
ドアをノックする音が聞こえる。靄のかかった意識が徐々に浮上してくるのを感じた。
心地の良いまどろみにまだいたくて、体にかかったぬくもりをたぐり寄せる。
「おい、ミナ! 起きないのかよ!!」
優しいノックの音は、ドンドンという大きな音に変わる。
ドアの外から聞こえる声によって、私はようやく飛び起きた。
自室ではないベッドと小さな机と椅子だけが置かれた質素な部屋。見るとカーテンのない窓からは朝日がさんさんと差し込んでいた。
「いい加減にしないと先行くぞ!」
「ああ! ちょっと待って!!」
私は薄い布団を蹴飛ばしてベッドから出ると、急いで椅子の背もたれにかけていたデニムシャツを羽織る。パジャマなんてないため、昨日は上に羽織っていたデニムシャツを脱いでそのままの服で寝るしかなかった。
寝癖で跳ねている髪は手ぐしで一つまとめに結うと、私は部屋のドアを開けた。
マリウスは腕組みをしてドアのすぐ横の壁に寄りかかっていた。
「遅い……」
「ご、ごめん……」
いつもならスマートフォンの目覚ましで起きるのに、こっちに来た途端、黒い画面のまま動かなくなっていた。そんな状態で起きられるはずもなく……と言うかそもそも今何時なのかもわからない。
「今日から依頼受けるんだし、はじめが肝心だぞ」
「はい、その通りです」
だいぶ年下のマリウスに説教される。
年上の立場がない……。
「じゃあ、朝飯食べて早く行くぞ」
「うん」
でもこうして待っててくれるマリウスは本当に優しい。私が頼りないだけかもしれないけど……。
部屋からリュックを持って、階段を下りていくマリウスを追う。
この宿屋アンゼルマは、一階が食堂、二階が宿泊用の部屋になっている。
一階に下りると、食堂には何人かの人が席に座り、朝食を取っていた。
「お二人さんおはよう。よく眠れたかい?」
「おはようございます。私はぐっすりでした」
女将さん――この宿屋と同じアンゼルマという名前らしい――に挨拶を返す。
疲れ切っていたのか、昨日の夜は夢も見ずにぐっすり眠った。枕と布団……というより環境自体が変わっても眠れるとは我ながら図太い。
「俺もまあ、そこそこは」
「なんか足りないものが言ってくれたらいいから。あ、そうそう。朝食はここから自由に取っていくことにしてるんだ」
そう言ってアンゼルマがカウンターに私たちを連れて行く。
そこには木のトレーがいくつか並べられ、その上にパンとチーズ、ハムが載ったお皿が並べられていた。
「水はここで、カッフェーはこれ。どっちも好きに飲んでいいよ」
「カッフェー?」
「カッフェーを知らないのかい? この辺でよく飲まれてる飲み物だよ。ちょっと苦いから子供はあまり飲まないけど大人は好んでよく飲むんだ」
そう言ってアンゼルマはポットの中身をカップに注ぎ入れる。「これだよ」と言って差し出されたカップには見覚えのある焦げ茶色の液体が入っている。
香ばしい独特の香りがする。
「コーヒーだ」
「あら、知ってるのかい? まあ、好きに飲んで」
アンゼルマはそう言って、仕事に戻っていく。
私とマリウスは食事の載ったトレーとカッフェーをカップに入れると、適当な席に座った。
「いただきます」
ライ麦パンのような少し固めの茶色いパンをムシャッと手でちぎり口に頬張る。
少し酸味がある味で、チーズを載せて食べるとすごくおいしい。
向かいに座るマリウスを見ると、パンの上にハムとチーズを載せて豪快に齧りついていた。
普段、あまり朝食を食べないからか、なんだか充実した朝! って感じがする。
もしゃもしゃとあっという間に食べてしまったマリウスに、私の分のパンも上げると、嬉しそうに食べている。
高校生だもんね……。若いわ~。
朝からすごい食欲のマリウス。吸い込まれるようにパンがなくなる様子は、いっそ惚れ惚れする。
砂糖やミルクは入れないらしく、ポットのそばに準備もされてなかったため、ブラックのままのカッフェーをちびちび飲む。
「今日の予定だけど……」
口の中のものをゴクリと呑み込んだマリウスが切り出す。
「ギルド行って依頼を受ける。たぶん町の外に出ることになるから、どっかで昼飯も調達しよう」
「うん、それでいいよ。あ、でも戻ってきたら買い物したい」
「買い物?」
「だって、着替えないし、マリウスの服も作らなきゃいけないでしょ?」
「そうだな」
「と言うか、その前に今着てる服も手直しした方がいいよ!」
マリウスも昨日と同じ服を着ている。
いろいろと細かいところを気にし出すとキリがないが、一番直したいのが彼のシャツの首元に付いている革紐だ。摩耗してちぎれかかっており、それが目に入るたびに気になってしょうがない。
他にも膝は今にも穴が空きそうだし、そもそも丈が短いし!
マリウス自身は別に見た目は悪くないから、余計にもったいない!
私のデザイナー魂を刺激してどうもうずうずする。そんな私に、マリウスが「お、おう……」と少し引いたような声を出した。
「とにかく着替えを買って、マリウスの服を直すから! これは決定!」
「でも俺、そんなに金はないぞ」
「まあそこは今日の依頼での収入次第で考えよう!」
なんだか服を作れると思うとやる気が出てきた。カップに残るカッフェーを一気に飲むと、私は立ち上がる。
「それじゃあ行きますか!」
「おう」
空になったお皿を下げると、私たちは冒険者ギルドに向かった。
冒険者ギルドにやってくると、登録した時は閑散としていた受付が今日は混雑していた。
見ると、昨日はなかった大きな掲示板が中央に置かれ、そこに人が群がっている。
どうやらそこに依頼が張り出されているらしい。
「あれ? もしかしてミナさんとマリウスさん?」
入口で足を止めていると、後ろから声がかかる。振り向くと昨日手続きをしてくれた受付職員のレーナだった。
「お二人とも今日から冒険者デビューですね! じゃあさっそく初依頼の受付しますよ!」
「あっちのボードから選べば?」
マリウスが依頼の受け方を問えば、レーナはきょとんと首を傾げた。
「あれ、言いませんでしたっけ? あのボードはDランク以上の依頼ですね。お二人はまず初依頼を受けて、EランクからDランクにならないと、通常依頼は受けられないですね」
レーナはあっさり説明して「これをお伝えしてないなんて、昨日はうっかりしてました! えへへ」と笑う。
軽い調子のレーナに本当に大丈夫だろうか、と不安が募る。この子が鑑定部門に配属されないのってこういうところが原因なんじゃないかと思ってしまった。
ちらりと隣のマリウスを窺うと、彼も険しい顔をしている。彼もレーナに不信感を抱きはじめているようだ。
「とにかく初依頼を受けようか……」
「そうだな……」
なんにしても初依頼を受けてDランクにならなければ他の依頼を受けられない。
私は良いがマリウスは困るだろう。
もしレーナじゃない他の受付が空いてたらそっちで……と思い、室内を見回すがどうやら他の受付には列が出来ている。
「お二人とも依頼の登録をしますので、ほら、カードを出してください」
私の気持ちに反して、レーナは自分が手続きする気でいっぱいらしい。
仕方なくカードを取り出して、彼女に差し出すが、彼女がカードを掴んだ途端に手に力を込めた。
レーナはカードを受け取れなくて、不思議そうにミナに視線を向ける。
「ミナさん?」
「レーナさん、初依頼や依頼ボードについての他に説明が漏れていることはないですか? 場合によっては、他の受付の人に昨日の登録から、全部説明してもらうことにしますけど」
口元だけにっこりと口角を上げた顔で、私はレーナを見つめた。
何事もはじめが肝心だ。なのに「うっかりしてました! えへへ」でごまかされてはたまらない。
さすがのレーナも私の雰囲気に緩んだ表情を引き締めた。
「はひっ! おそらくないと思うのですが……」
「おそらく?」
「あ、あの! か、確認します」
レーナは慌ててマニュアルのようなものを取り出した。おそらくレーナも新人職員なんだろう。
私も新人冒険者ではあるが、社会人経験はそれなりにある。
契約事項ははじめのうちに聞いておかなければ、後で困るのは自分なのだ。
その後、冒険者としての手続きの仕方や、ワンポイントアドバイスまでしっかりとレーナに説明をさせて、私とマリウスは初依頼の登録を済ませたのだった。