第六十七.五話「ダンジョン偵察」下
いよいよこの先にダンジョンがある。
上がった息を整え、ショートソードに付いた血脂を拭う。今のところどこも怪我をしていないので、ポーションを飲む必要もない。
多少の傷はミナのミサンガがあるので心配はないが。
全員、装備を確認しなおすと、シルヴィオに視線を向ける。
彼は岩から少し顔を出し、前方の様子を窺っている。
「ちっ、やっかいなことにサンドジャッカルだ」
舌打ちと共に呟いたのは、俺にとって因縁のある魔物だった。
ミナを逃がして、単独で戦ったサンドジャッカル。あの時はシルヴィオが助けに来てくれなかったらどうなっていたかわからない。
でも、あの時よりは強くなっているはずだ。
「シルヴィオ、数は?」
「見えているのは十だが、ボスが見当たらないからもっといるだろう」
サンドジャッカルは群れで活動する魔物だ。
必ず他の個体より一回り大きいボスがいて、群れを統制しているのだ。
以前俺とミナが遭遇したのは群れからはぐれた奴らだった。ボスがいるサンドジャッカルは、あの時戦ったものよりもさらに手強いとあとからシルヴィオに聞いた。
でも、もう遅れを取らない。
「一匹にでも気づかれたら、すぐ他を呼ばれる。戦闘になる可能性が高いからその準備をしておけ」
シルヴィオは警戒するように全員に言った。
それに頷くと、シルヴィオは「じゃあ、これからダンジョンまで一気に近づく」と言って、素早く岩から飛び出した。
俺もそれに続く。
なるべく足音を立てないよう慎重に動く。所々ある岩に隠れながら進んでいく。
しかし、やはりサンドジャッカルには気づかれた。
匂いに敏感な魔物だから距離が近づくとそれだけれ察知されてしまう。
いち早く気づいた一匹が遠吠えする。
すると、離れていたサンドジャッカルがあっという間に集まってくる。
「いくぞ! ディート、ボスは任せる」
「了解」
シルヴィオは一気に駆け出すと、まだこっちに気づいていない一匹を後ろから切りつける。
一撃で倒してしまったその手腕はさすがだ。
俺もシルヴィオに続く。
シルヴィオの攻撃でこちらに気づき、飛びかかろうとしてくるサンドジャッカルを躱しながら、その首をショートソードで切る。
急所にうまく入ったことで、サンドジャッカルは討伐証である尾だけを残して消えた。
サンドジャッカルに囲まれつつも、群れの数を確実に減らしていく。
それでも、元の群れの数が多いのだろう。まだざっと三十匹はいるようだ。
ただ、数が減ったことで、ボスの姿が確認できた。
俺たち五人を取り囲んでいる群れの一番奥にいる一回り大きい個体。
サンドジャッカルは灰色にところどころ黒が混じった毛色なのだが、ボスは通常の個体より黒い毛が多い。
そのため、一目でボスだとわかった。
サンドジャッカルをはじめ、群れを作る魔物はいろいろといるが、そういった魔物を討伐するためにはまずボスを倒すことだ。そうすると他の個体は統制がとれなくなって瓦解する。
……しかし、そのボスを倒すというのが難しいのだ。
何しろ群れに守られるように奥にいるから、ある程度数を減らさないとボスまでたどり着かない。もしたどり着いたとしても、ボスだけあって他の個体の数倍強いのだ。
セオリーとしてはわかっていても、それをできるかは別の話である。
しかし、このパーティーでは違った。
ボスが目視できた瞬間、シルヴィオとディートリヒが視線を合わせる。
すると、ディートリヒが杖を掲げて集中する。
何かをしようとしているのだろう。戦闘になる前にシルヴィオが「ディート、ボスは任せる」と言っていたので、そのための準備だと予想する。
俺は無防備になるディートリヒを守るため、彼にサンドジャッカルが近づかないようにする。
それを察したのだろう。ティアナは弓でけん制し、イリーネは槍の長い間合いを保つようにして、ディートリヒの近くにサンドジャッカルが近づかないようにしていた。
次の瞬間、ディートリヒが杖をボスに向かって振る。
目には見えないけど、何かの塊が飛んでいくような気配がして、そがボスの周囲を覆った。
すると、これまでしきりに威嚇するように吠えていたボスがピタリと止まる。
それに同調するように他のサンドジャッカルの威勢が弱まった。
突然起こった異変に俺が一瞬呆気に取られていると、ボスに向かって一直線に駆け出す人がいた。
シルヴィオだった。
あっという間に肉薄すると、彼はボスに向かって剣を振り下ろす。
断末魔の叫びもなく、一瞬でボスは倒された。
それからは、ボスがいなくなり惑うサンドジャッカルの掃討だ。
連携は崩れ、明らかに動きが鈍くなったサンドジャッカルを倒していくのはそう難しいことではなかった。
数はそれなりにいたものの、こちらも五人いる。
そう時間はかからず、周囲は静かになった。
「終了だな」
「はー、疲れた」
シルヴィオが剣を収めながら言うと、ディートリヒはがくりと脱力した。
俺もホッと息を吐く。
五人パーティーでのはじめての戦闘だけど、うまくやれて安心した。いつもは周りの警戒はしていても、ソロで狩りをするので他の人と連携を取ることを考えて動くことない。
シルヴィオと二人で依頼に出かけたことは何度かあったけど、シルヴィオとは実力が違いすぎて連携を取るレベルには達していなかった。そもそも、ダンジョンができる前のアインスバッハの周辺にいる魔物のレベルは、シルヴィオには簡単すぎた。
俺が強くなるために魔物の討伐はほぼ俺に任せてくれていたこともある。
だから、パーティーとしての戦闘は、実質これがはじめてだったのだ。
俺自身の印象だけど、誰かの邪魔になることなく、パーティーの戦闘に貢献できたんじゃないだろうか。
……とはいえ、サンドジャッカルの群れを倒す重要な部分は、シルヴィオとディートリヒが担っていたので、そのサポートという部分が大きいけれど。
規模の大きい戦闘が終わって、俺は気を緩めていると、シルヴィオが「おい」と声をかけてくる。
「一つ戦闘が終わったからといって油断するな。討伐証を拾って先に進むぞ」
その言葉に、ハッとする。
今日の目的はダンジョンの偵察。
今のはあくまで偵察のためにやむを得ず避けられない戦闘をしたまでのことだ。
俺は意識を切り替える。周囲に散らばったサンドジャッカルの討伐証である、サンドジャッカの尾を拾っていく。
数が数だけあって、俺の鞄はいっぱいになった。
「よし、じゃあ進むぞ」
シルヴィオの言葉に頷いて、隊列を組む。
このあたりは先ほどのサンドジャッカルの群れの縄張りだったのだろう。それからは小物魔物以外遭遇することなくダンジョンの入り口が見えるところまでたどり着いた。
数十メートル先。
地面が大きくひび割れ、穴を開けていた。
そこは数日前まではただの草原だった場所だ。
「あれだな」
シルヴィオが俺に向かって確認するように言った。
「あれです」
地面が大きく揺れた日。
たまたまこの近くにいた俺は揺れと共に地面がひび割れるのを見た。
そしてそこから魔物が這い出てくるように地表に姿を現したのだ。
あの瞬間はぞっとした。
はじめて見る光景だけど、ただ事ではないと思った。
「明らかにダンジョンだな」
シルヴィオは断定した。
ダンジョンがあるという前提で組まれた偵察隊だけど、実際のところ俺以外この穴を見た冒険者はいない。
ただ、シルヴィオが最近のアインスバッハ周辺の異変を調査していて、そこからダンジョンの可能性が高いと推測したのだ。
しかし、シルヴィオが実際に見てダンジョンだと言った。
ディートリヒも「やっぱりかぁ」と呟いている。
ダンジョンができたという前提で同行していた俺とティアナ、イリーネは、二人の言葉に息を呑んだ。
これがダンジョンか。
地面の裂け目から見える穴は暗く底が見えない。
その先は魔物の巣窟なのだと思うとお腹の奥がひんやりとしてきた。
「もう少し近づいて――」
シルヴィオが言いかけたその時。
ダンジョンの穴から低い羽音と共に何かが出てきた。
「……っ! よりにもよってポイズンビーか……!」
シルヴィオが苦虫を噛んだような顔で呟く。
黒と黄色の縞々の体に四枚の羽。ブゥン、と低い羽音を響かせて宙を飛ぶそれはポイズンビーと言われる蜂の魔物だった。