第八話「宿屋アンゼルマ」
「それで、これからどうするの? 依頼を受ける?」
「いや、今日はもう時間的に無理だろ。既に夕方だしな」
「そっか、夕方なんだ……」
こっちに来る直前はアルバイトの終わりの時間で夜だったはずだが、こちらの世界は昼。それからずいぶん時間が経っている気がするが、不思議と眠気はなかった。
驚きの展開ばかりで、変なアドレナリンでも出てるんだろう。
でも、そう思った矢先、私のお腹から音がした。
「はぅっ!」
私はとっさにお腹を押さえる。
私のお腹の虫はかなり元気が良いのか、結構な音だった。
確実に聞こえてるだろうと、そろりとマリウスを窺うと、彼は顔を背けて笑っている。
「はははっ! 俺も腹が減ったし、宿を取って飯にしよう」
「そうだね!」
笑いながら言うマリウスに、私は恥ずかしさから開き直って答えた。
「それなら良い宿を知ってますよ!」
まだそばにいたレーナが会話に加わってくる。
「宿なら『宿屋アンゼルマ』がおすすめです! ご飯もおいしいですし!」
「あまり高いところはちょっと……」
「安心してください! 冒険者の場合、少し値引きしてくれるんですよ! あと私からの紹介でと言ってもらえればもう少し安くなるかも!」
レーナはどうです!? と言わんばかりに推してくる。
私はマリウスと顔を見合わせた。
「マリウス、他に泊まろうと思ってた宿とかある?」
「いや、特にないけど……」
「じゃあ、一度行ってみようか。値段聞いて決めれば良いんだし」
「まあ、そうだな」
私はこちらの宿の相場はわからないが、マリウスならわかるはずだ。一度値段を聞いて決めても遅くはない。
「レーナさん、場所教えてもらってもいいですか?」
「はい! 『宿屋アンゼルマ』は川沿いをまっすぐ進んで、大きい橋の次の通りを右に入るとありますよ」
「橋の次の通りを右ですね。行ってみます」
なんだかとても親切にしてくれるレーナに見送られ、私とマリウスは冒険者ギルドを後にした。
「この辺だと思うけど……」
川に沿って私たちはレーナの道案内通りに歩いてきた。川沿いの通りを右折して小道に入る。
人二人が並んで歩ける程の幅の道で、本当にこの先に宿屋なんてあるのだろうか。
それなりの宿は大通りにあるイメージがあって、もしレーナの言う宿があったとしても、そこが怪しいところだったらどうしようと不安が過ぎる。
「あれじゃないか?」
マリウスが指さしたのは吊り看板の下がる建物。看板には『アンゼルマ』と書いてあった。
店の前にやってくると中からは賑やかな声が聞こえてくる。
それに料理の良い匂いがしてきて、私のお腹は思い出したように「ぐぅ」と音を鳴らした。
それを聞いてマリウスがまた吹き出す。
「泊まらなくてもとりあえず飯にしようぜ」
「うん……」
こっちの方がだいぶ年上なはずなのに、なんだか面目ない……。
笑いながらマリウスが店のドアを潜ると、私もそれに続いた。
「いらっしゃいませ~!」
私たちを出迎えたのは、幼い可愛い声。
見ると入口すぐのカウンター席から小学校低学年くらいの女の子が降りてこちらにやってくる。
「お兄さんたちはご飯? それともお泊まり?」
くりくりの目で見上げられ、問いかけられる。このお店の子供なのだろうか。
「とりあえずご飯で、値段次第で泊まりもお願いしたいんだけど……」
私は少し屈んで女の子に答えると、彼女は「えっと……」と数を数えるように両手の指を曲げる。
「ご飯は一回が大きい銅貨一枚で、泊まるのも同じで一枚。でも一緒なら大きい銅貨一枚と小さい銅貨が五枚、だよ!」
女の子はやりきった様子で値段を教えてくれる。
どうやら食事または宿泊は一回大銅貨一枚。宿泊と食事がセットなら大銅貨一枚と小銅貨五枚なのか。
レーナの紹介なら少し安くなるって言ってたけど、それはさすがにこの子はわからないだろうなぁ……。
そう思っていると、女の子の後ろからエプロンを着けた女性がやってきた。この店の女将さんだろうか。
「おや、お客さんかい? いらっしゃいませ。食事かい? 泊まりかい?」
「あの、冒険者ギルドのレーナさんの紹介で来たんですけど……」
「ああ、レーナの! それじゃああんたたち新人の冒険者かい?」
「ああ、今日登録したばかりで……」
「そうかい! 冒険者ならうちは安くしてるんだ! レーナの紹介だし、食事付きで十日宿泊だと大銅貨九枚だよ!」
女の子の言った値段よりかなり安い。
「マリウス、どう?」
「うん、いいんじゃないか?」
マリウスのオッケーも出た。まだこちらの金銭感覚はわからないが、町の通行料とギルドへの登録料が大銅貨一枚だったから、それに比べるとお得な感じはする。
「じゃあ、十日宿泊と食事でお願いします」
「はいよ~」
女将さんはカウンターの中に入ると、部屋の鍵を準備し始めた。
「部屋は一緒の方がいいかい?」
「いや、別々で!!」
私よりも先にマリウスがきっぱりと告げる。
ちょっと顔が赤いけど何を想像しているんだ、マリウスよ……。
「てっきり兄妹かと思ったけど違うのかい。じゃあ二部屋ね。一人大銅貨九枚――九十マルカだよ」
料金は先払いらしい。
私はリュックから財布を取り出し、小銭入れを開いて、はたと気付いた。
今私が持っているのは金貨一枚。これを出すのは迷惑なのではと思った。
「あの、これでも大丈夫ですか?」
マリウスが精算し終えた後、私はおずおずと財布から取り出した金貨を女将さんに差し出す。
「あー……両替してもらえって言うの忘れてたな……」
マリウスも今になってそのことに気が付いたらしい。
女将さんは金貨を見ると驚いたように目を見開いた。
「おや、あんたお金持ちだね! まあ、今日はお釣りもあるから大丈夫だよ」
支払えることにホッとする。
「それじゃあ、お釣りが銀貨九枚と大銅貨一枚ね」
「あの、重ね重ね申し訳ないんですけど、銀貨一枚を両替してもらうことはできませんか?」
「ああ、いいよ」
受け取ったお釣りから銀貨一枚を女将さんに戻し、大銅貨を十枚もらった。
そして、その中から二枚取ると、マリウスに差し出した。
「はい、借りてた分」
「そういえばそうだったな」
マリウスから借りていた通行料とギルドの登録料。忘れないうちに返したかったのだ。
彼は受け取ると、財布にしまった。
「で、食事はいつにする?」
「できればすぐ食べたいんですけど」
「じゃあ、あっちの席に座ってて。すぐ持っていくから」
私とマリウスはそれぞれ部屋の鍵をもらって、テーブル席に着いた。
「これから、っていうか明日からミナはどうするんだ?」
「マリウスは?」
「俺はさっそく依頼を受けに行くぞ」
「そうだよねぇ。私はどうしようかなぁ。マリウスの服を作るなら材料を仕入れたいかな。……あ、そういえば冒険者ギルドって依頼を受けなくても登録抹消とかってないのかな?」
「どうなんだろ?」
依頼を受けない場合の罰則については特に説明はなかった。
マリウスと首を傾げていると「お待たせしました~」と声がかかる。見るとお皿を両手に持った女将さんだった。
「はい、今日はアンゼルマ特製ブルストだよ」
テーブルに置かれたお皿にはこんがりと焦げ目が付いたソーセージ。付け合わせにマッシュポテトとフライされた玉ねぎ、それとザワークラウトっぽい野菜が添えてある。そこにパンとスープが付いていた。
「うわ、おいしそう!」
お腹がペコペコで何でもいいから食べたい状態の私には、とてつもないご馳走だ。
さっそくソーセージにフォークを刺すと、いい手応えを感じる。一口頬張ると皮がパリッとはじけ、中から肉汁が溢れ出す。
「あー、おいしい!」
香辛料とハーブの香りが口いっぱいに広がる。
腹ぺこが最高の調味料ということもあって、一口の満足感がすごい。
「おいしいなら良かった。で、そっちの子は冒険者として依頼は受けないのかい?」
どうやら女将さんは私とマリウスの話を聞いていたらしい。
「一応登録はしましたけど、冒険者になるつもりはないので……」
「そうなのかい。でも一番はじめの依頼は受けといた方がいいよ」
「一番はじめの依頼?」
「登録したばかりの時しか受けれない限定の依頼でね。これを受けたらランクが上がるから、受けて損はないし」
「そんなのがあるんですね」
これはマリウスも知らなかったらしく、興味深く女将さんの話を聞いている。
「たしかEランクのままだと登録抹消になったはずだけど、抹消された話は聞いたことないね。はじめの依頼を受ければ誰でもDランクになれるからね」
女将さんが言うには、子供のお使い程度の依頼内容なんだそうだ。
それなら私でも大丈夫そうだと安心する。
「じゃ、二人ともごゆっくり」
そう言うと女将さんはポツポツいる他のお客さんの席を回って、カウンターに戻っていく。
「ということで、明日は私も依頼を受けることにするよ」
「ああ、それがいいな」
ざっくりと明日の予定が決まった。
今はとりあえずお腹を満たすため、まだ熱々の料理を食べることに集中した。
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担当編集より