第七十五話 アインスバッハの最前線
「今、とりあえずあるのはこれだけなんですけど……」
私が今持っているのはギルドに納品しようと思っていた通常の「回復 小」のミサンガだ。作る上で効果の規格を揃えられ、汎用性が高く、さらにある程度お手軽な価格設定にできるということからギルドの売店はこのミサンガを中心に納品している。
そのミサンガは偵察隊の全員がすでに所持している。しかもマリウスとシルヴィオに至っては、より性能のいいものを特注で作ってさえいた。
持ってきたのはいいが、今更このくらいのミサンガが必要なんだろうか。
「今はいいけど、これからを考えると回復の手段を確保しておきたいんだ。もうすでにポーションは価格の高騰がはじまっている」
「おそらくそれはダンジョンが落ち着くまでは続くだろうね」
ハーラルトの言葉にディートリヒが補足するように続けた。
「ダンジョンを攻略するために、ここにいる偵察隊は重要な役割を担うことになる。申し訳ないが他の冒険者よりも偵察隊を優遇せざるを得ない。だからこそ、ギルドが支援をしてでもミナのミサンガという回復の手段を確保しなければならないんだ。冒険者はたしかに自由な職ではある。でもこの町の冒険者ギルドという立場上、町を防衛するためには尽力しなければならない。ギルドからの直接依頼をしてもらう以上、必要物資としてミサンガは重要なアイテムなんだ」
切々と訴えるハーラルトの言葉に、私は身が引き締まる思いだった。
正直、私は今でもダンジョンという存在をまだリアルに想像できていないんだと思う。ほんの少し町の外に出たことはあったが、私は安全な塀の内側にいる。
ぼんやりとした危機感しか持てていないのだ。
冒険者ギルドがミサンガをこんなに評価して、必要としてくれている。
嬉しい反面、責任の重さがのしかかる。
「もちろん今価格が高騰しはじめているポーションも偵察隊には提供するが、ミサンガとうまく併用するようにしてほしい。今のところ偵察隊の君たちがアインスバッハのダンジョン最前線だ。攻略をする前により情報を集めるために〝偵察隊〟としているからなるべく無駄な戦闘は避けてほしいが、戦わないということは無理だろう。ダンジョンや町の外の様子が激変した今、これまでと同様にとは言えないがなるべく効率的に偵察を行ってほしい」
ハーラルトの説明に私は納得した。
いわばこの偵察隊は冒険者ギルドの肝いりだ。ダンジョンを攻略する前段階の重要な依頼で、それによってアインスバッハ全体の方針が決まってくる。
その偵察隊をサポートする手段は何十にも用意しておきたいということだろう。
「まあ、できるだけそれに沿うようにはするが、何があるかわからない以上、備えは必要だ」
ハーラルトの説明に、それまで黙っていたシルヴィオが言った。
「そのためのミサンガだろう?」
シルヴィオの核心を持った言葉にハーラルトが頷く。
「そういうことだね」
「わかりました。今はこのミサンガしかないですが、希望があればもっと性能のいいものは用意できるので言ってください」
今のところ作れる最高品質のミサンガは、マリウスが付けている「回復 小+」。ただ、シルヴィオから特注で依頼があったように、素材があれば「中」以上の効果が付与できるミサンガを作ることも可能だろう。
偵察隊やギルド側が、汎用性が高くすぐ作れる「回復 小」のミサンガを大量にと考えるか、それともより高い効果のものを特注で作るようにと思うかは今後の動向次第なのかもしれない。
私もいろいろ考えておいた方がよさそうだね……。
それはミサンガだけじゃなく、他の装備についても力になれることがあれば協力したい。
偵察隊の五人は、みんな私の顔なじみだ。
不要な戦闘は避けるとはいえ、未知のダンジョンに挑むのだ。何があるかわからない。
できれば全員ケガもせず、無事に帰ってきてほしい。
そのために、ミサンガが必要なのであれば快く提供したいと思っている。
「じゃあ、ひとまず今ある分のミサンガは買い取らせてもらうね」
「はい」
ハーラルトはすぐ手続きに入った。この部屋にも冒険者カードに情報を書き込むためのツールがあるらしく、私は自分の冒険者カードを彼に差し出すとあっという間に手続きが終わった。
「これでよし。……それでは偵察隊のみんなには、これからさっそく行動をしてもらうわけだが、その前に今わかっている情報をすり合わせながら、計画を詰めよう。こっちに集まってくれるかい?」
そう言いながらハーラルトはテーブルの上に紙を広げる。見たところによると、アインスバッハの周辺地図らしい。
すでにいくつか書き込みがされているが、私が見てもどこがどうなのかわからない。
この先は冒険者たちの詳細な打ち合わせになるんだろう。
小さな疎外感はあるが、そこは仕方ない。
座っていた椅子から立ち上がり、偵察隊の五人はハーラルトの周りに集まる。
一番情報を持っているシルヴィオを中心として、ディートリヒも時折言葉を挟みながら情報が共有されていく。
マリウス、ティアナ、イリーネの三人は、真剣な面持ちで地図を見ながら情報を頭に刻み込んでいるようだった。
その様子をぼーっと見ていると、不意に私の隣の椅子が引かれた。
見るとアロイスがそこに座るところだった。
「不安そうだが大丈夫か? ミナ」
「アロイスさん……。不安、もありますがなんかダンジョンがあるっていうのが想像できなくて……」
「まあ、そうだろうな。私もダンジョンをまだ直接見ていないから、できれば信じたくない気持ちはある。ただ、現状はそうも言っていられないからな。できるだけのことはやらねばならん」
「はい、それはわかります」
私がしっかりと頷くのを見て、アロイスは優しさがこもった表情をした。
「私とミナは偵察隊のサポートをすることになると思う。今後、シルヴィオに作ったような『毒回復』くらいの品質が求められる可能性もあるだろう。ミナにない素材の知識は私が補っていこうと思っているから、ミナもできるだけ協力してくれるか?」
「それはもちろんです! みんなにケガをしてほしくないですから……」
「ああ、そうだな」
今は引退してしまったけど、アロイスは元ギルドマスター。冒険者たちのことを心配する気持ちはまだ強く持っているのだろう。
表情にはあまり出ないけれど、五人の方に向けるアロイスの目には、私以上に偵察隊を憂う気持ちが浮かんでいるような気がした。




