第七十一話「伝播していく不安」
ギルドの中には、たくさんの人がいるはずなのに、ディートリヒの声が妙に響き渡った。
〝ダンジョンが生まれた〟
しんと不気味に静まりかえったギルドの中に響いたディートリヒの言葉を、人々が理解するまで数秒。
じわじわと頭が理解してくると、戸惑いと不安の声が広がっていく。息づかい程度のさざめきがどんどん大きくなり、ギルド内は騒然となった。
「なぁ、マリウス」
ギルド内の喧騒を横目に、シルヴィオがマリウスに問いかける。
「は、はい……」
まさか自分が見たものがダンジョンだとは思っていなかったのだろう。呆然としていたマリウスはシルヴィオの声にハッとしたように返事をした。
「ダンジョンはどこにできたんだ?」
シルヴィオの断定するような言葉に、マリウスはゴクリと唾を飲み込む。自分の目で見てきたはずなのに、にわかに信じられないのか戸惑いに瞳を揺らしていたが、そんなマリウスをシルヴィオは真剣な面持ちで見つめた。
その目にマリウスは気圧されながらも口を開く。
「場所は南門を出てまっすぐ進んだ草原の真ん中です。前に俺が調査に付いていった時に、魔素が高いと言っていたあの辺りでした」
マリウスの言葉を聞いて、シルヴィオが息を飲んだような気がした。私がそうかな?と思うくらい小さなものだったが、彼には何か思い当たることでもあったんだろうか。
「そうか。マリウスの言葉が真実のものとして動いた方が良さそうだ」
シルヴィオがディートリヒとアロイスに向かって言う。
「そうだな。早いうちに状況を把握しておいた方がいいだろう」
「僕も領主に報告しないとだし」
アロイスとディートリヒは、真剣な面持ちでシルヴィオの言葉に頷いた。
「マリウス、詳しく話をしたいから来てくれ」
「はい……!」
これからする話し合いにマリウスも呼ばれるのだろう。何しろダンジョンができたところを直接見た目撃者なのだから。
ギルドの職員たちもにわかに慌ただしくなった。見るとめったに見ることのないギルドマスターのハーラルトが受付の前に出てきていた。
これじゃあミサンガの納品どころじゃないなぁ……。
ミサンガを納品するために冒険者ギルドに来たのだが、今は納品どころではないだろう。
「マリウス、私先に帰ってるね」
移動しようとしているシルヴィオたちに付いていこうとするマリウスに私は小声で話しかけた。
「わかった。気を付けてな」
「うん」
マリウスと言葉を交わしていると、シルヴィオがマリウスを待っているのかこちらに視線を向けていた。
私はさっき支えてくれたお礼も込め小さく会釈をして、その場を離れた。
ギルドの外に出ると、早くもダンジョンのことが知れ渡っているようで、人々は家や店から外に出て、不安げに会話をしている。
まだアインスバッハの町のすぐ近くにダンジョンができたことくらいしか確かな情報がないのだが、町の人々は少しでも多くの情報を集めたいのか、あちらこちらで井戸端会議がはじまっていた。
それを横目に歩きながら、私はそれほど不安に感じていないことに気付く。
正直なところ、ダンジョンというのがいまいちピンと来ていないということが大きいのだろう。そもそもダンジョンというのがどういうものかよくわかっていない。
RPGに出てくるダンジョンと言えば、塔や洞窟が迷路状になっているものだ。
この世界のダンジョンも同じものなのかな?
だったら宝箱とかもあったりするんだろうか。
……実際にあったらあまりにも都合がいいよね、宝箱って……。
古い遺跡とかだったらあってもおかしくないだろうけど、魔物ばかりいる中に宝箱って不自然だよなぁ、と私はどうでも良いことを考える。
まあ、そもそもこちらの世界の常識に疎い私が、ダンジョンの知識なんてあるわけもなく。だからこそこうして落ち着いていられるんだなと、混乱気味の町を歩いて思う。
シルヴィオさんやマリウスはこれから忙しくなりそうだなぁ……。
おそらくダンジョンができる前兆だった魔物の異変により、最近は依頼も少なくなっていたが、これからはイレギュラーなものが増えるだろう。
シルヴィオは今までもアインスバッハの町の周辺を調査していると言っていた。その調査の途中でダンジョンが発現したが、そこからはさらにダンジョンの調査という依頼にスライドするのではないだろうか。
そしたら、この前作った毒回復のミサンガのようなものが必要になってくるだろうか?
「できるだけ協力したいよね……」
一緒に戦ったりはできないけど、服飾品でのサポートなら私にもできる気がする。
まだシルヴィオの服は作れないかもしれないけど、ミサンガは気に入ってもらえたのだから、私にもできることはあるはずだ。
それに通常の回復ミサンガも今日は納品できなかったが、最近は品薄になっている。今私にできるのはそのくらいしかないけれど、こんなに人々が不安になっている中で少しでも安心してもらえたらいいよね。
そう思うとやる気がこみ上げてくる。
私はいつもとは違う空気を纏う町の中、足早に自宅を目指した。




