第五十六話「『ドラッヘンクライト』の日常」
自分の店『ドラッヘンクライト』が開店し、数日が経った。
店と言っても、ミサンガ以外すぐ売れるような商品はないから、ひっきりなしにお客さんが来るということもなく、だからといって、経営上困っているわけではない。
一方で毎日やってくる人はいる。
「ミナお姉ちゃん、おはよう!」
「おはよう、エルナ」
まずは私の弟子で裁縫指導をしているエルナだ。
「今日もお父さんからお昼ご飯預かってきたよ! 今日はクラップフェンだって」
「やったー! それ好き! 楽しみ~」
そして、エルナは毎日父であるローマンが作ってくれるお昼ご飯を持ってきてくれるのだ。
今日はクラップフェンらしい。クラップフェンは、中に果物ジャムやドライフルーツが入った揚げパンのようなお菓子だ。外はさっくり、中はしっとりふわふわでとてもおいしいのだ。
お昼ご飯が入ったバスケットを受け取り、キッチンに運ぶ。
その間に、エルナは作業場になっている食堂のダイニングテーブルに、自分の裁縫道具を準備しはじめた。
私は作業中飲むお茶を準備しはじめる。
朝ご飯を食べた時に使ったコンロはまだ温かい。
コンロと言っても、私が見慣れたガスや電気式のものとは全く違うそれにも、数日間で少しなれた。
一口に言うと、薪ストーブのような形状をしたもの。それがこの世界のコンロだ。
四角い台のような形をしていて、側面に扉が左に二つと右に一つ付いている。
左側の扉の上部分は薪を入れるところだ。その下に灰が落ちるようになっていて、溜まったら扉を開けてかき出す。
右側の扉はオーブンだ。扉の中で上下二段に分かれている。
天板は熱くなるようになっていて、そこで調理をするようになっている。
私は薪を入れる扉を開けると、まだ残っている薪に新しいものをくべた。お湯を沸かす程度で十分なので、薪はそれほど多くいらない。
水を入れたケトルを天板にセットすればあとは待つだけだ。
そこまでやると、玄関からドアベルの音が聞こえてきた。
「エルナー、出てもらっていい~?」
「はーい!」
キッチンから食堂に顔だけ出して、エルナにお願いする。
トコトコと玄関ホールへ向かったエルナはすぐに戻って来た。
「アロイスさんだったー!」
「よお、邪魔するよ」
エルナの後ろから顔を出したのは、アロイスだった。
そう、アロイスが毎日やってくる二人目の人物である。
「アロイスさん、また来たんですか? お店は大丈夫なんですか?」
「ああ、そもそもたいして客が来ない店だし、何かあればこっちにいるって張り紙してあるから大丈夫だ」
「え、それって大丈夫なの……?」
私の反応にアロイスは「ははは」と笑って、応接間の窓際にある椅子に向かう。その椅子はアロイスが開店祝いにと持ってきたものだが、結局彼しか座ってない。
開店祝いとは……? と思っているが、まあくつろいでるし、私もアロイスにはスキルのことで助言をもらったりしてるから好きにしてもらっている。
「アロイスさんもカッフェー飲みますか?」
「おう、もらうよ。薄めで頼む」
「はーい。エルナはりんごのジュースね」
「うん!」
私はキッチンへ戻る。
コンロにかけているケトルとは違うカッフェー専用のケトルを用意する。カッフェーは所謂、コーヒーのことだ。
こちらの世界ではコーヒーをよく飲んでいる。
粗めに挽いた豆を数杯ケトルに入れると、そこに沸騰したお湯を注ぐ。そして、豆が入ったケトルをコンロにかけた。
ケトルの中を覗くと、次第にもこーっと泡が出てくる。表面が泡で覆われたら一度コンロから下ろし、浮かんだ豆を沈殿させる。
上澄みを漉しながらカップに注いだら、カッフェーのできあがりだ。
本当は泡立てて豆を沈ませて、というのを何度かやるとさらに濃くなるのだが、私もアロイスも薄い方が好きなのでこの淹れ方に落ち着いた。
エルナのりんごジュースもカップに入れて、運んでいく。
「はい、エルナ」
「ありがとう!」
食堂のテーブルに私の分とエルナの分を置いたら、応接室のアロイスの元に向かう。
「はい、アロイスさん」
「おお、ありがと」
アロイスが椅子とセットで持ってきた丸テーブルにカップを載せる。今日のアロイスは書類のようなものを持ち込んでいる。
おそらくギルドからの報告か何かなんだろう。
冒険者ギルドのギルドマスターだったアロイス。今は引退しているが、相談役として今でもギルドに関わっているらしい。
こうしてアロイスはうちにいろいろ持ち込んでは作業していることが多い。
たまにうとうと昼寝したりもしてるんだけどね。
普段は穏やかなおじいちゃんという風体のアロイスだが、やっぱりギルドマスターだっただけのことはあって、この町では知らない人はいない。
夜はマリウスが、昼間はアロイスがいるこの店は、異世界人である私と、子供のエルナがいる場所としては何気にとても安全を確保されているのであった。
仕事としては、現在ティアナとイリーネの服の仮縫い作業をしている最中だ。
仮縫い段階では、効果を付与する必要がないため、エルナにも手伝ってもらっている。縫うのもしつけ程度なので、エルナの練習にももってこいだ。
ただ、その際にちょっとご機嫌ななめなのが私のスキルちゃんだ。
『本当に効果の付与はしなくてもよろしいですか?』
脳内に響く音声は、私の特殊スキル・製作者の贈り物(ルビ:クリエイターズギフト)だ。
はじめは手探り状態で効果を付与していたのに、突然音声で効果について案内してくれるようになった私の特殊スキル。
付与する効果を選んでくれたり、作成中の付与率を教えてくれたりと、とてもお役立ち機能なのだが、いかんせん仮縫いの時は手持ち無沙汰なのかこうしてちょいちょい話しかけてくる。
といっても、私の脳内だけなので周りには聞こえてないんだけど……。
「仮縫いだから効果はいらないから」と心の中で呟く。するとまた脳内で声がした。
『承知しました……』
心なしか返ってきた声がしょんぼりしている気がする。
付与させてあげられなくて申し訳ないが、でも仮縫いの糸は結局全部ほどいてしまう。私の特殊スキルは糸を縫うことで効果が付くらしい。仮縫いで付与できないこともないが、ほどくと同時に効果も消えてしまうので、付与しても意味がないのだ。
でもなんとなく可哀想になってきた私は、考えて心の中で呟く。
「この後、ミサンガ作るからその時にお願いね」
『……! 承知しました』
少し嬉しそうな声が返ってきて、私は一人小さく笑う。
そんなやりとりが私の脳内でありつつ、仮縫いは進んでいった。




