第五十五.五話「目標と憧れの人」
「いってきます」
「いっへらっひゃーい!」
まだ見慣れないドアを開け、俺は依頼に向かう。応接間の奥の食堂から、まだ食事中であるミナのくぐもった声が返ってきた。
それに小さく笑って、俺は玄関ドアを閉める。その拍子にドアにかかっていた看板がずれたので直しておいた。
『冒険者の服、作ります!』
そう書かれた看板が下がるこの家はミナの自宅兼お店だ。まさかこんな立派な家を購入することになるなんて、俺は全く予想していなかったし、そこに居候することになるなんて考えていなかった。
ミナの世界のお金があんなに高く売れるとは思わなかったし……。
競売の結果を聞いて、あまりの桁の多さに俺は嘘だろと思った。数字しか聞いてなかったから全く現実感がなかったし。
でもこうして家を買えちゃうんだから、本当にすごい金額だった。冒険者の俺が同じ額を稼げるようになるまで果たして何年かかるだろうか。
とはいえ、最近の俺はようやく生活にも余裕が持てるくらい稼げるようになってはきていた。
着実にランクアップもしているし、指名依頼も定期的にある。
冒険者は上手くやらないと続かない仕事だ。身体的な適性もあるだろうが、それ以上に賢く依頼をこなさないとただ時間を浪費してお金にならない。
その点、俺は恵まれている。
まずミナのおかげで着るものと住むところは困っていない。女性の一人暮らしは危ないからと用心棒代わりにと格安な家賃で住まわせてもらっている。食費は別だけど、宿にいた時の出費に比べると安いので、俺のメリットはとても大きい。
さらにミナに作ってもらった二着の服。俺のようなまだ新人の域にいる冒険者には過分と思えるような効果付きの服は、俺の依頼をとても助けてくれている。
俺のためだけに作られた服は、着心地がとても良く、動きやすい。寝るときはさすがにミナが手直ししてくれた古着を来ているが、比べると雲泥の差だ。
違う世界から来たミナの世話を焼いているようでいて、俺はミナにお世話になりっぱなしだった。
だから、今はまず作ってくれた服の代金を返すこと。そして、今度は割引価格じゃなく正規の値段で三着目の服を作ってもらえるくらい稼ぐことを目標にしている。
今日もコツコツ依頼だ。
依頼の張り出された掲示板からめぼしいものを選び、依頼が書かれた木札を取る。このアインスバッハの町は低ランク冒険者向けの依頼が多いことで有名だ。
そのため、Dランクの依頼は多いものの、割の良い依頼は争奪戦だ。限られた時間の中で依頼をこなすなら、一度にたくさん稼げる依頼の方を選ぶのが当然だろう。
俺も以前はあの中にいた。でもCランクに上がってから変わった。
依頼の難易度は上がったが、依頼料はDランクの依頼とは比べものにならないくらい良い。冒険者はリスクのある職業だが、ランクが上がれば一攫千金もあり得る。
夢があり、ロマンがあり、自由がある。
たしかに怖いことや辛いこともないわけではないし、子供に冒険者という職業を勧められるかと言ったら話は別だ。昔出会った冒険者が、冒険者になりたいと言った俺にかけた言葉の意味が、今ならわかる。
それでも、その人と同じように俺は冒険者としてやっていくと決めたし、この道しかないと思っている。だから、ひたすら冒険者としての高みを目指すだけだ!
メインで受ける依頼の他に、併せて受けられそうな依頼がないか掲示板を眺めていると、ギルドの入口の方からざわめきが聞こえてきた。
これはもしかして……。
その方向を見ると、やはり予想していた人物がこちらに歩いてくるところだった。
「シルヴィオさん!」
俺が声をかけると、彼は変わらぬ表情のままこちらにやってきてくれる。
「マリウス、これから依頼か?」
「はい!」
「シルヴィオさんも外行くんですか?」
「ああ」
そう言いながらシルヴィオさんは俺の隣に並び掲示板を見上げた。
この全身黒の服を纏った彼はシルヴィオ。Aランク冒険者で俺が今、憧れている人だ。
シルヴィオは、特殊な指定依頼でこの町の周辺を調査している。
彼と親しくなったのは、俺が昔会った冒険者とシルヴィオを間違えて声をかけたのがきっかけだった。その後、パーティー依頼を受けられず困っていた俺を見かね、一緒に受けてくれたのだ。
はじめはなぜ高ランク冒険者がわざわざ低ランクの俺とパーティーを組んでくれたのかわからなかった。
その後も俺に剣を勧めてくれたり、依頼や魔物討伐のコツを教えてくれたり。言葉数は多くないし、表情も豊かな方じゃない。でも、俺の何かを気に入ってくれたのだろう。いろんなことを教えてくれた。
ミナと採取依頼に行ってサンドジャッカルの群れに俺が苦戦していた時も、シルヴィオはあっさりと倒してしまって、俺はその力を羨望した。しかし、一方で悔しさも感じた。
俺が必死に戦い倒したサンドジャッカルをいとも簡単に倒してしまったのだ。もちろん俺が一人で戦っていた時とは状況が違う。
それでも、襲い来るサンドジャッカルの動きを読んでいるのか、ひらりと躱しながら攻撃を入れる動作は一切の無駄がなく、洗練されていた。
俺と同じ歳に冒険者になったシルヴィオは今二十六歳。十年後の俺は、これほどの強さを手に入れられているだろうか?
強さというのは冒険者にとって圧倒的な強みである。
他の冒険者にも、そして魔物にも負けない強さが俺は欲しい。
もしシルヴィオくらい強かったら、ミナを逃がすだけじゃなく、守りながら戦うこともできたんじゃないか。
強くなりたい。いや、強くならないといけない。
俺は心の底からそう思った。
「今日はパーティー依頼、行くか?」
シルヴィオは掲示板を眺めたまま、俺にそう問いかける。
「あー、今日はこの依頼受けようと思ってて……」
「そうか」
せっかくシルヴィオが誘ってくれたのにもったいない気がする。現に、この町にはあまりいないAランク冒険者からパーティーを誘われた俺に羨望の視線が集まっている。
さらに断ったことに対して、咎めるような目も感じた。
けれど、今日は割の良い依頼があったから、そっちを優先させたかったのだ。
パーティー依頼も報酬は良い。しかも、パーティー依頼はたいてい報酬を山分け方式なので、必然的に二人パーティーになる俺とシルヴィオの場合、一人あたりもらえる金額が高くなる。
しかし、その反面、パーティー依頼は拘束時間が長いし、依頼の掛け持ちができない。
単独依頼は一日に三つまで並行して受けることができるが、パーティー依頼はその依頼が終わるまで新たな依頼を受けることができないのだ。
せいぜいできるのは道中で狩った魔物の素材を買い取ってもらうくらいだ。
だからシルヴィオには悪いけど今日は一人で依頼を受けることにした。
チラリとシルヴィオの顔を覗き見る。俺が断ったことにも表情一つ変えない。
おそらくだけど、俺がシルヴィオの機嫌を取るように二つ返事でパーティーの誘いに乗った方が、彼は気にくわないと思う。
憧れているし尊敬もしている。でも俺はシルヴィオに依存したいわけじゃない。
シルヴィオの方もそれを許さないだろう。
俺はまだまだシルヴィオには遠く及ばない。けれど、冒険者としてのプライドはある。いち冒険者として、いつか肩を並べたいと思うからこそ、彼に甘えるのは違うと思うんだ。
シルヴィオは眺めていた掲示板からさっと木札を取る。チラリと見えた木札はBランク以上じゃないと受けられない依頼だった。
さすがだな……。
「そうだ、シルヴィオさん!」
今日会えたついでに話しておきたいことがあったと思い出した。
「なんだ」
「俺、宿から引っ越したんです」
「宿を変えたのか?」
「そうじゃなくて、ミナが自分の店を買ったんで、そこに用心棒として住まわせてもらってるんです」
「店を……? よく買えたな」
シルヴィオはまだ若い、しかも渡り人であるミナが物件を買えるお金を持っているとは思わなかったのだろう。
俺は周囲を見回してから小声で話す。
「元の世界から持ってきたものが高く売れたらしくて。手元に大金があるのは怖いからって買ったそうです」
「そうなのか」
「アロイスさんのお店の近くなんです。『ドラッヘンクライト』って名前の店なんですぐわかると思います」
「へぇ、たいそうな名前を付けたもんだな」
シルヴィオはミナの店の名前を聞いて、にやりと口角を上げた。
まあ、変わった名前ではあるよな。ドラッヘンクライト――竜のドレス、なんて。
「俺はたいがい依頼に出てますけど、何かあったらそこにいるんで」
「ああ、わかった」
「あと、ミナに服の依頼をするのもオススメですよ!」
「……それは考えとく」
住まわせてもらっているから、ミナの店の宣伝もしてみたが、シルヴィオはフッと笑って、俺に背を向けた。
ミナもシルヴィオに憧れ……いや、違うか。こう、シルヴィオが自分の服を着てくれるくらいのデザイナーになりたいと思っているらしい。
冒険者の服を作る職人として、一流の人に着てもらえる服を作りたいと考えているのだ。
はじめはシルヴィオの厳しい態度に敵愾心を抱いていたミナも、最近はだいぶ態度が軟化しつつある。
サンドジャッカルのことがあってから、ミナは考えを変えた。冒険者向けの服を作ることに特化して、がんばることに決め、それを行動に移しはじめた。
シルヴィオは人の努力を認めてくれる人だ。人にも自分にも厳しくはあるけれど、真剣に取り組んでいる人を正当に評価する性格だ。
短い付き合いだけど、他の冒険者に対しての態度を見ていたらわかる。
彼の優しさは、厳しさだ。
甘やかさない優しさなのだ。
だから、俺もミナもまだまだがんばらないといけない。
まずは今日の依頼を着実にこなすことからだ。
シルヴィオの背中を追うように、俺は依頼を受けるべく受付に向かったのだった。




