第五十五話「冒険者の服屋『竜のドレス』開店」
新居に引っ越して二日目。
初日は、細々とした整理や掃除をして一日が終わってしまったが、今日からは服作りにしっかり取りかかるつもりだ。
――チリンッ
接客用の応接間で準備をしていると、玄関ドアに付けているベルが鳴った。
「おはようございます……!」
玄関ドアを恐る恐る開けて顔を覗かせたのは、エルナだった。
「おはよう、エルナ。入って入って」
私が声をかけると、エルナはぱあっと目を輝かせて入ってくる。
「すごいね! ここがミナお姉ちゃんの新しいお家……!」
「お店でもあるしね。ここで接客したり服の打ち合わせをしたりして、奥で服の製作するようにしたんだ~」
説明しながら軽く室内を案内すると、エルナは興味津々な顔で後ろをついてくる。応接間の奥は食堂だが、そこに大きなダイニングテーブルを置いている。そのテーブルを服作りの作業台にする予定だ。
「あとはこっちがキッチンね。お客さんにお茶を出したりするんだ~」
「……お姉ちゃん、お茶はいいけどご飯はどうするの?」
素朴な疑問だったのか、エルナはきょとんとした顔で質問を投げてくる。それに私は少しだけギクッとした。
「えっと……」
「もしかして、お姉ちゃんお料理できない人?」
「いやいや、できないわけじゃないよ! ……ただ、やらないだけで」
「それってできないのとどう違うの?」
「……そうですね。できません……」
エルナからの純粋な指摘に私はごまかすことを諦めて、肩を落とす。
元の世界にいる時から、私はあまり料理をしなかった。一人暮らしで自炊をするのは上手くやらないとかえって高く付く。材料費や光熱費、調理する時間を考えると出来合いのものを買ってきた方が圧倒的に楽だった。
そしてこちらの世界に来てからは、宿屋アンゼルマに食堂があって、料理をする機会もない。
その上、新居のキッチンを見るなり私の料理への意欲はなくなった。
なぜなら現代的なキッチンとはほど遠かったのだ!
コンロは木をくべて使うタイプのものだし、当然電子レンジなんかの便利な調理家電はない。
さすがに水道はちゃんと蛇口があって、レバーを何度か押せば水が流れてくるものだったから安心した……。
なので、私はこの家で……というよりもこの世界で料理する気持ちは皆無なのである。
ただ、来客がある時になにも出さないのは無作法なので、お茶くらいは淹れようと思っている。そのためにコンロの使い方も一応覚えた。お湯を沸かすくらいなら細かい火加減ができなくても問題ない。
食事はこれまでと同じように、夕食は宿屋アンゼルマに食べに行き、朝食はパンか何かを買うつもりでいた。こちらの世界では昼食は簡単に済ませることが多いので、だったら食べなくてもいいかな、とも思っていた。
エルナの裁縫指導もだいたい朝から昼までにしているので、エルナは家に帰って食べたらいいと考えていたのだ。
そんな私の考えを見透かすように、エルナはじっと視線を向けてくる。やがて仕方ないなぁと言わんばかりにハァと息を吐き出した。
「お父さんに言って、お姉ちゃんと私のお昼ご飯を持ってくるようにするね」
「え! 本当!? やったー!」
予想もしていなかった嬉しい提案に私は素直に喜んだ。
だって、エルナの父、ローマンの作る料理は本当においしいのだ。宿屋アンゼルマに泊まっていた時もお昼をごちそうになっていたけど、こちらの世界ではお昼に軽食やお菓子を食べることが多い。
ローマンの作るクーヘンやトルテなどのお菓子は絶品で、私はすっかりファンになっていた。
それをエルナが持ってきてくれるというのだから嬉しくないはずがない。
お昼は食べなくてもいいかと考えていたけど、できるなら食べたいというのが本音だ。さらにそれがおいしいものなら大歓迎である。
「もう、お姉ちゃんったら……。その代わり、しっかり教えてよね!」
現金な私の反応にエルナはちょっと拗ねたような顔をして言う。エルナは自分が来るのはお昼ご飯を配達するためじゃないんだぞ! と言いたいらしい。
「もちろんだよ! お店も本格的にはじめるからね。エルナにはその助手もしてもらおうと思ってるんだ」
「助手……!」
私の言葉にエルナが目を輝かせる。これまでは私が教えた縫い方で、小物や簡単な服を作ったりしていた。それはそれで勉強にはなっている。しかし、それだけでは足りない。
実際に私がお客さんに服を作っているところを見ることで、学ぶところはたくさんあるだろう。
しかも助手だ。エルナの裁縫の腕を多少なりとも当てにしてないとできない役目だ。
それをエルナも理解しているのだろう。助手という役割を与えられて嬉しそうだ。
「お姉ちゃん、私がんばる!」
「うん、よろしくね!」
まだまだ新米な師弟同士、絆を深めたところで、ドアの方からベルの音が聞こえてきた。
「誰か来たのかな」
「お客さん!?」
さっそく助手の出番かとわくわくしているエルナを微笑ましく思いながら私は玄関ホールに向かった。
「いらっしゃいませ」
「おう、ミナ。新居はどうだ?」
「アロイスさん!」
やってきたのは私のスキルの先生であるアロイスだった。
「これ、新居祝い」
そう言ってアロイスは玄関ドアの向こうから立派な椅子と丸テーブルのセットを運び込んだ。
「え、なんか高そうな椅子とテーブル……」
「まあ、座り心地はいいぞ。中に運んでいいか?」
「はい。じゃあせっかくなのでお店の窓際にお願いします」
まだ物が少なく殺風景な応接スペース。この椅子とテーブルならインテリアとしてもとても映えそうだ。
中にアロイスを通すと、彼はさっそく窓際に椅子とテーブルを設置する。そして、おもむろに腰掛けた。
「おお、これはいいな」
応接間の窓は、南向きに大きく取り付けられているため、とても日当たりがいい。そこに座り心地のいい椅子が設置されたら最高だろう。
新居祝いとして持ってきたはずなのに、そのアロイスがそこに座ってすっかりくつろいでいる。なんだかちぐはぐな状況が面白くて私は笑ってしまった。
こうして私の店『ドラッヘンクライト』は開店したのであった。




