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第五十四話「宿屋アンゼルマからの卒業」

 新居の準備はその日中にどうにか終わったが、そのまま新居で休むには私もマリウスもくたくただった。


 日も暮れてから、宿屋アンゼルマに帰ると、おいしそうな匂いが私たちを出迎えてくれる。


「おや、新しい家の準備は終わったのかい?」


 宿の一階になっている食堂に入ると、女将のアンゼルマが声をかけてくれた。


「どうにか住めるくらいにはなりました。あとはおいおい……」


「そうかそうか。じゃあ明日にでも引っ越しってことか」


「そうですね。今日が最後になります」


「本当にお世話になりました」


 私の言葉に続き、マリウスがアンゼルマに言った。


「じゃあ、今日は特別に大盛りにしてあげる! いっぱい食べな」


「ありがとうございます!」


 アンゼルマはにっこり笑ってサービスしてくれる。食欲旺盛なマリウスは嬉しそうに礼をした。


 私はそんなに食べられないから、残ったらマリウスにあげようかな。


 宿屋としてお世話になるのは今日が最後だが、食堂にはこれからも来るつもりだ。宿の主人であるローマンの料理は本当においしい。


 お昼も出かけず作業をしていることが多い私は、マリウスよりもローマンの料理を食べる機会が多かった。


 普段は出してくれないが、ローマンはお菓子もとてもおいしいのだ。私はすっかり胃袋を掴まれてしまったので、これからも通うつもり満々だ。


 それにエルナのこともある。エルナはうちに来て、裁縫の勉強をすることになっている。ある程度の基礎が身につくまで面倒を見るつもりなので、これからも宿屋アンゼルマの一家とは関係が続くだろう。


「さて、おまちどおさま! 大盛りにしたからちゃんと食べな!」


 いつの間にか私たちの元を離れていたアンゼルマは、両手に料理の載ったトレーを持ってやってくる。


「わぁ~! 今日もおいしそう!」


 食べ応えのある大きな肉団子がごろりと入ったスープ。湯気が上がっているところを見ると熱々なのだろう。


 それにライ麦のパンとザワークラウト、茹でたジャガイモが付いている。


 大盛りにしてくれたのはスープの肉団子だ。いつもよりもたくさん入っていた。


「うまそう! いただきます」


 マリウスはさっそくがっついている。


 私はまず大盛りの肉団子を二つマリウスの器に移してから、食べ始める。


 疲れたし、お腹もぺこぺこだったから、本当においしい……!


 この料理が気軽に食べられなくなるのは少し寂しい。ちょっとだけしんみりしながら、宿屋アンゼルマで過ごす最後の晩餐を私とマリウスは楽しんだ。




 翌朝、朝食を食べるといよいよ宿屋アンゼルマからのチェックアウトだ。


「忘れ物はないかい?」


 アンゼルマの言葉に私とマリウスは頷く。最後に数回部屋を見回ったが、忘れているものはなかった。


「まあ、すぐそこだから忘れたものがあっても届けられるんだけどね」


 そう言ってアンゼルマは笑う。


 そうなのだ。なにもこれが今生の別れではない。


「それでもまあ、二人とも体に気を付けて、しっかりやるんだよ」


「はい! お世話になりました」


「ありがとうございました」


 私とマリウスがアンゼルマにお礼を告げる。それをローマンは厨房の方から見守り、エルナはアンゼルマの足にしがみつきながら見ている。


「お姉ちゃんがいなくなるの、寂しいな……」


 エルナがしんみりした様子で呟く。それを聞いて、私は目線を合わせるために屈んだ。


「今度はエルナがうちに来てくれるんでしょ? お店も素敵にできたから見て欲しいな」


 私の言葉にエルナは表情を一転させた。


「うん、行く! 今度はお姉ちゃんのお店で裁縫の勉強するんだ!」


 あっという間に元気になったエルナに、私はクスクスと笑う。


「じゃあ、そろそろ行きますね。――あ、夜はまたご飯食べにきます」


「あははは、そうかい! いってらっしゃい」


 私の夜にまた来る宣言を聞いたアンゼルマは大きな口を開けて笑い、私とマリウスを送り出す。なんとも締まらない旅立ちだが、まあ湿っぽいのよりはいいだろう。




 マリウスと共に新居にやってきた。


 今日からここに住むなんて、嬉しいような少し不安なような不思議な気持ちだ。


 マリウスはこれから依頼に出かけるんだけど、その前にお願いしていることがあった。


「あ、もうちょっと右が上! ……あ、上すぎっ! ちょっと下、そうそう!」


 私の指示を聞きながら、台に乗ったマリウスは玄関ドアのすぐ横の壁に手を伸ばす。そこからは一本棒が突き出ていて、そこに木でできた吊り看板をぶら下げようとしていた。時間がなくて金属製のものは注文している最中で、急ごしらえの木製もものである。


 マリウスの「これでどうだ?」という声で看板を見ると、水平になった看板がぶら下がっていた。


「いいね! ありがとう」


「……それにしても面白い名前だよな、これ」


 マリウスは台に乗ったまま、看板に書かれた文字を見て呟いた。


 看板には『ドラッヘンクライト』とある。


 私の店の名前だ。


 意味は『竜のドレス』。自分でも変わった名前だと思うけど、これはアロイスからの提案があって決めたものだ。


 アロイスは、冒険者向けの服屋ってことがわかるように、強そうな言葉を入れた方がいい、と言った。


 たしかに普通の店名だと埋もれてしまう気がした。


 そこで思いきって、この名前を付けた。竜とドレス。相反するワードは目を引くんじゃないかと思う。


「ああ、そうだこれも下げとかないと」


 私は手に持っていたもう一つの看板をドアの正面に下げた。


「じゃあ、これ片付けたら俺は依頼受けにいってくる」


「うん、ありがとう!」


 マリウスは使っていた台を家の中に片付けると、使い慣れた鞄とショートソードを携えて出かけていく。


 私は玄関でそれを見送ってから、今日から住む新居に入った。


 パタンとドアが閉まり、その拍子にドアに下がった看板が揺れた。


 そこには『冒険者の服、作ります!』の文字が刻まれていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 書籍からきました! [一言] 今更必要ではないかもしれませんが 急ごしらえの木製もものである。 木製の物
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