第九十八話「寝顔と完成」
脳内に響く『付与完了しました』の声と共に、ちょうど最後の一刺しが終わる。ほつれないように処理をしてから、余分な糸を切った。
「――で、できたー!」
カチコチに固まった肩。しょぼしょぼする目。きっと充血もしているかもしれない。
襲ってくる疲労。
けれど、それを上回る達成感に、私は深く息を吐き出した。
乾いた目をいたわるようにしっかりと瞬きをしてから、周囲を見る。室内には昇ってそう時間が経っていない朝日が差し込み、明るく室内を照らしていた。
どうやら夜通し作業をしていたらしい。
集中するあまり気付かなかった。
見るとテーブルの上にはいくつかのランプが置いてあった。すでに油が尽きかけているからか、その中の火は消えそうなくらい小さい。
マリウスが気を利かせて点けてくれたのかな。
完成したシルヴィオの新しい服をさっと畳んでテーブルに置く。
小さく残るランプの火をフーッっと吹き消してから、何かの気配に気付いた。
「っうわ!」
作業しているダイニングからよく見える位置にある一人がけのソファ。肘掛けに頬杖を突いて、寝ているシルヴィオがいた。
「シルヴィオさん……?」
小さく呼びかけてみるが、起きない。
シルヴィオが無防備に寝ているところは初めて見る。興味深くて側に近づいてみた。
眉間に皺のない気が抜けた顔。普段よりもあどけない。
まつげ長いな……。
切れ長の目を縁取っているまつげは意外と長くて。男性ながら美しいなと思った。
珍しい彼の寝顔をじっと見ていると、不意にその目がぱちりと開いた。
「わ!」
上から覗き込むようにして観察していた私は、急に開いた目にびっくりする。しかも、あろうことか驚いたことによって、体勢を崩してしまった。
「……っと」
急に倒れ込んできた私をシルヴィオがキャッチしてくれる。寝起きだというのに、私より遙かに優れた反射神経だ。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、大丈夫か?」
「はい……!」
体勢を立て直しながら、私はシルヴィオに謝る。寝顔を見られるのが嫌だったかもしれないのに、その上、転びそうになったところを助けられるなんて……。
とても気まずい。
あ!
「あの、できましたよ! 服!」
若干ごまかすようにシルヴィオに報告する。
「できたのか!」
私の言葉にシルヴィオは驚いたように目を見開く。
寝る間も惜しんで完成させたシルヴィオの服。きっと彼は私が約束した期日を守ると信じてここで待っててくれたのだろう。
「一度着てみてください! おかしいところがあったらすぐ直しますので!」
「ああ、わかった」
私はできあがったばかりの服をシルヴィオに渡すと、試着室へ向かってせかすように背中を押した。
試着室に入ったシルヴィオは早速着替え始めたらしい。
簡単に遮られた向こうから、わずかに衣擦れの音か聞こえる。
私は二人がけのソファに腰を下ろす。
柔らかいソファの背に寄りかかると、どっと疲れを実感する。そのままの体勢を維持しているのも少し辛くて、私は肘掛けに腕を伸ばし、寄りかかる。
窓から差し込むまぶしい光に目を細めると、そのまままぶたがくっつくように下がっていく。
ここ数日張っていた気が緩んだと同時に、徹夜での睡眠不足により、私の意識は瞬時になくなっていた。
試着室で新しい服に着替える。
以前の服よりも、より体に沿うように作られた服はとても着心地がいい。
それに全身着替え終えた途端、何かがカチリとはまるような感覚があった。
おそらく付与された「防御」の効果を実感したのだろう。
まだ確認してないがプレートメイルくらいの防御効果がありそうだと感覚で思う。布製の服は防御力が鎧より格段に落ちる。
その分、機動力があるので重宝しているが、これはもしかしたら鎧以上の効果があるんじゃないだろうか?
特殊スキルに目覚めてそう時間が経っていないはずなのに、これほどのものを作るとは、ミナの力には恐れ入る。
その上で服としてもしっかりとサイズ通り誂えた極上の出来だ。
そう広くない試着室だが腕や膝を曲げ伸ばしたりしても違和感なく、むしろ服に体がしっかりと支えられている安心感がある。
着る人の動きを邪魔せず、守る服。
これこそ冒険者にうってつけの服だと思う。
瞬時に湧いてきた感動を共有しようと、試着室を出る。
「ミナ」
応接室で試着を待っているだろう彼女の名を呼ぶが、返事がない。
見ると彼女は二人がけのソファの肘掛けに寄りかかり、健やかな寝息を立てていた。
この数日間、ミナは寝る間を惜しんで服の製作に当たってくれた。完成と同時に集中の糸が切たのだろう。
疲労も溜まっているだろうし、寝てしまうのも無理はなかった。
おかしいところがあったら直すと言っていたが、特に問題のある部分はない。起きる様子もないし、このまま寝かせておこうと思う。
ただ、風邪を引くといけないから上に何かかけた方がいい。
周囲を見回し、防寒になるものをと探す。すると、先日背中がスッパリ切れてしまった俺の服があった。
見るとその部分もしっかりと補修してある。
参考にしたいからと預けていたが、今は毛布代わりにこれをかけておこう。
コートのようなその服を彼女の上にそっとかける。
体格差からか俺の服は彼女の身体をすっぽりと包む。
ミナが纏ったのは見たことがない黒い色。珍しい取り合わせになぜか優越感のような感情が浮かぶ。
苦しくないように口元が出るようにコートを調整する。
ほんの少し開いた唇の隙間から、すーっという寝息が小さく聞こえた。
くりっと大きい小動物のような目は閉じられ、二十歳を超えているとは思えない若々しい顔をさらにあどけなく見せる。
いつも綺麗に整えられた髪は乱れ、白い額が覗いていた。
若いけれど幼いわけではないその寝顔。安らかに眠りながら年相応の色っぽさがある。
「それにしても無防備過ぎないか?」
それなりの付き合いがあるとはいえ、男の前で眠りこけるとは……。
俺の服のために頑張ってくれたのだと思うが、それでも大丈夫かと心配になる。
「何されても文句は言えないぞ」
乱れた栗色の前髪を撫でるように持ち上げると、そこに唇を寄せる。
見事な服を作ってくれた感動を感謝、そして少しの警告と愛しさをのせて――。
前髪を直してから、最後に意趣返しのように彼女の鼻をちょんと摘まむ。すると、彼女がむずがるように顔をしかめた。
それが面白くて俺は小さく笑う。
その時、階段から遠ざかっていく小さな足音が鳴ったが、俺は気付かなかった。