第九十二、五話「無力と残された気持ち」
「――マリウス!」
初めて聞くようなシルヴィオの鋭い声。その後で俺の視界は黒と赤に染まった。
何が起きたのか頭が追いつかない。
黒の向こうで、イリーネが余裕のなさそうな顔で槍を振っている。
「マリウス、動け!」
怒声に近いディートリヒの声でハッとする。尻餅をついている体勢から起き上がると、ようやく周囲の状況を理解する。
俺に覆い被さっていた黒はシルヴィオだった。
険しい顔に気付いて背中を見ると、彼のコートはぱっくりと切り裂かれ、傷口から血が溢れていた。
「シルヴィオさん……!?」
俺が声をかけるも、シルヴィオは片膝をついている体勢から立ち上がる。
すぐ後ろにイリーネが討ち漏らした魔物が迫っていて、シルヴィオは振り向きざまに剣を振る。
あっさりと倒された魔物は討伐証だけ残して消えた。
他のメンバーもその場にいた魔物を倒すと、シルヴィオは俺の方を振り向いた。
「大丈夫か?」
「俺は大丈夫ですけど……」
大丈夫じゃないのはシルヴィオの方だ。服もその下の体もざっくり切られている。
「シルヴィオ! 傷は!?」
ディートリヒが焦りを露わに駆け寄ってくる。女子二人もその後を追ってきた。
「血は出てると思うが、薄皮一枚を切られたくらいだから酷くはないと思う。回復アイテムでなんとかなりそうだ。だが……」
シルヴィオは冒険者カードを取り出した。なぜ今カードを出したのかと不思議に思っていると、シルヴィオはいくつか操作してから「やはり」と呟く。
「服に付与されていた効果が消滅してる」
あっさりとした声音で言った。
「え、それって全然大丈夫じゃないですよね!?」
反応の薄いシルヴィオにティアナが突っ込む。
「効果が消滅するくらいのダメージ受けたってことでしょ。とりあえず今日は引き上げよう。シルヴィオはポーション飲めよ」
「ああ」
ディートリヒがテキパキと取り仕切り、撤退の準備を進める。ティアナとイリーネは散らばった討伐証を拾い集め、シルヴィオとディートリヒはここまでのマップを記憶アイテムに残している。
俺はいろんなタイミングを逸したまま、呆然とした。
シルヴィオは俺をかばって怪我をした。その上、服の効果が消失してしまった。
――俺のせいだ。
あの時は完全に油断していた。
代わり映えしない同じ場所をぐるぐるしている気がして、つい気が緩んでいた。ダンジョンに入ってからは強い魔物と遭遇していないこともあり、こんなものかと侮る気持ちも少し浮かんでいた。
冒険者としてそんなことを考えたらダメだったのに……。
ものすごく後悔する気持ちが頭を占める。
「マリウス」
シルヴィオの声にハッとして顔を上げる。
彼はこちらに視線を向けることなく、前を見たまま口を開く。
「気にするな。俺ももっと注意するべきだった」
「……っ!」
自分が悪いと言うシルヴィオに俺は返す言葉がなかった。完全に悪いのは俺なのに、シルヴィオは微塵も責めない。
それが逆に悔しかった。
シルヴィオからすると、俺はまだ守るべき存在で、同じ冒険者として肩を並べて戦う相手ではないのだ。
偵察隊に選ばれてどこか慢心していたのだろうか。
自分の力のなさと、意識の低さを感じる。
意気消沈しつつも、まだここはダンジョン。町に戻るまではとにかく細心の注意を払って足を進めた。
冒険者ギルドに報告のために立ち寄る。
冒険者ギルドには今日もダンジョン目当てに余所の町から移動して来たらしい冒険者が詰めかけていた。
そんな中、シルヴィオの状態はとても目立つ。
当然、何があったのかと探るような視線がそこかしこから集まってくる。
こそこそと「そんなに強い魔物が出たのか?」「でも負傷してるのは一人だしな……」と囁く声が聞こえてくる。
シルヴィオはまったく気にした様子もなく淡々と連絡事項を済ませている。けれど、俺はいたたまれなかった。
周りの冒険者には俺のせいだとはわからない。
それが、シルヴィオの名前を傷つけている。
さすがに気にしなくても視線が集まるのは煩わしいのだろう。シルヴィオは用を済ませると「行くぞ」とさっさと冒険者ギルドを出た。
「シルヴィオ、その服どうすんの?」
いつもの流れで俺も住んでいるミナの店に足が向く。そんな中、ディートリヒが切り出した。
「予備があるからしばらくはそっちを着る」
シルヴィオがなんの問題もなさそうに答えるが、以前予備の服は今着ているものより性能が落ちると話していた。
「……あの、ミナに直せるか頼んでみましょう」
俺はシルヴィオに提案する。
これまでいろいろと効果の付与された服やアイテムを作ってくれたミナ。きっとシルヴィオの服も直してくれるのではないか。
きっとシルヴィオの服にも効果を付与しなしてくれるんじゃないか……。
都合良くも俺はそう考えた。
「……まあ、ミナちゃんに頼むのが一番だろうね」
ディートリヒはそう言いながら俺を見る。
口元は弧を描いているが、深い青の視線がじっとこちらに向けられた。何かを見透かすような目に心臓が妙にざわつく。
すっと視線を外された時には、なぜかホッとしてしまった。
ティアナとイリーネが心配そうに俺たち三人を見ていた。
ミナのお店兼俺も住まわせてもらっているドラッヘンクライトに到着した。
俺は中に入るや否やミナの元に駆け寄った。
「ミナ……!」
俺の様子がおかしいことに驚いたのか、ミナは目を瞬かせた。
「どうしたの?」
ミナはそう問いかけてから俺の後から来た人物を見て、目を見開いた。
「え、シルヴィオさん、その服……!」
背中側を直接見なくてもいつもと服の感じが違うことに気付いたらしい。
シルヴィオの服は背中の真ん中から左脇にかけて大きな切れ込みが入っている状態。左横から少し見ただけでそれが見えるのだ。
「怪我は!?」
心配そうな表情でミナは俺の横をすり抜け、シルヴィオの元に駆け寄っていく。
「怪我は大丈夫だ。薄皮一枚切れたくらいだからミサンガでもう回復している」
シルヴィオの言葉にミナは、ホッと胸をなで下ろす。それでも切れ目から見える地肌に視線を向けて本当か確かめていた。
「それにしてもこれ、どうやって……?」
安心したら、なぜこんな状態になったのかとミナは疑問を口にした。
「俺のせいだ。シルヴィオさん、俺をかばって……」
言って、とても情けない気持ちでいっぱいになった。
ミナにはいいところを見せたいと思っていた。でも、これだと真逆だ。
シルヴィオに助けられ、そのかわりシルヴィオが負傷した。もし俺が偵察隊にいなければ、負わなくてよかった怪我だ。
ずっとソロで活動してきたシルヴィオならうまく立ち回っていたと思う。
俺は自分のふがいなさに唇を噛んだ。
「あれは仕方ないよ。死角だったし……」
ティアナがフォローするように言ってくれる。
しかし、ディートリヒは厳しい声で言った。
「でも、代償は大きいよ。シルヴィオの装備がなくなるのはこれからのダンジョン攻略を考えると進みがグッと下がる。無理もできなくなったしね」
ティアナのフォローはありがたいが、本当にディートリヒの言うとおりだ。
どう考えてもシルヴィオの状態は偵察隊の戦力を確実に低下させた。
俺は顔を上げ、ミナを見つめた。
「……ミナ、どうにか直すことはできないか……?」
もしかしたら、という希望にすがるようにミナに問いかける。
「うーん。直すレベルにもよるね。ただ形を戻すって言うのであれば繕うことはできるけど、効果もってなると難しいかも。私が作った服じゃないから……」
やや言いにくそうにそう話すミナ。表情には困惑の感情が浮かんでいた。
――ああ、俺は失敗したのか。
安易にもミナならできると思った。
ミナが特殊スキルを持っているから、服と付与効果に関することなら簡単にどうにかしてくれると考えてしまった。
自分がどうにもできないから、人にその責任を押しつけようとした。
しかも、よりにもよってミナに。
自分の中にある甘えを自覚して嫌になる。
どうしようもない自己嫌悪に苛まれていると、シルヴィオが「ミナ」と呼ぶ声が聞こえた。
「はい!」
いきなり呼ばれて驚いたのか、ミナが呼ばれてシュッと背を正す。
「すまないが、この切れた部分を縫い合わせてもらうことはできるか?」
「それはできますけど、効果とかは……」
「効果のことは気にしなくていい。たぶん効果が消失していると思うからもうどうにもならないだろう。ひとまず着られるようにしてくれたら大丈夫だ」
「わかりました」
シルヴィオがコートを脱いで、ミナに差し出す。下に着ているインナーも切れているが、それは後で渡すことにしたらしい。
どのくらいの程度で直せばいいか軽くやりとりをして、シルヴィオが「それと……」と続けた。
「急で悪いが、代わりになる服の制作を頼めるか」
その言葉にミナは目を見開いてシルヴィオを見た。新しい服の依頼までもらうとは思っていなかったんだろう。
数回パチパチと瞬きをしてから、ミナの頬がじわじわと紅潮していく。
言葉にして聞いたことはないが、ミナはシルヴィオの服を作りたがっていたのを俺は知ってる。
出会ってはじめの頃、二人の仲はあまり良くなかった。
何があったのかはわからない。でも、シルヴィオはミナに冷たかったし、ミナも反発していった。
でも、このドラッヘンクライトを開く頃から徐々に二人の仲は良くなっていった。
いつかミナが「シルヴィオさんに絶対認めさせてやる」と呟いていたのを聞いたことがある。その気持ちは今も変わっていないだろう。
シルヴィオに褒められた時、ミナは一番嬉しそうだから……。
俺に言われるよりも――。
「……私でいいんですか?」
期待と不安が入り交じったような顔。でも、ミナの全身から作りたいという気持ちが聞こえてきそうだった。
「この町でミナ以上に作れる職人はいないだろう。……それとも無理か?」
「いえ! やります! 作りたいです!」
ふっといたずらに微笑むように言ったシルヴィオに、ミナはやる気十分にニヤリと笑う。
以前はなかった信頼の絆が二人の間にはあった。
俺は一人、とり残されたような気持ちでそれを見ているしかなかった。