その16
賢児の部屋を訪ねるのは初めてだったが、玲香はなぜか懐かしい気がしていた。
「なんや、神社にいるみたいやな」翔太がそう言いながら、辺りを見回す。
「そうね。大正時代の西洋館という感じなのに、なぜか古い日本の空気に包まれているみたい」玲香が同意する。
「あんまり深く考えたことなかったけどな。半年前に戻って来てから、ほとんど寝に帰ってくる場所でしかないし」賢児も部屋を改めて見回す。
「ここにも、さっきほどじゃないけど、おっきいテレビが、あるねんなあ」翔太がソファーの向かい側の40インチモニタに近づく。
「もっと、大きいのあるぞお」賢児がリモコンを操作すると、ソファーの前面の壁面が左右に開き、巨大な画面が現れた。
「うひゃあ。黒板みたいやあ。これ、もしかして110インチいうんやろ?」
「ああ。よく知ってるなあ」
「じっちゃんが欲しい言うたら、おかんにえらい怒られとった。仮面ライダー、これで見れるん?」翔太が目を輝かせながら賢児にたずねる。
「もちろん」
「ええなあ…」じっと画面をみつめる翔太。
「仮面ライダーと戦隊なら、確か龍が録画してるはずだから、これで見ていけばいいよ」
「ほんまに?」翔太がうれしそうに賢児の袖をつかむ。
「こら、翔太。賢児さまだって、ゆっくりここで見られる時間があまりないのよ。ダメでしょ、お邪魔したら」
「大丈夫だよ。普段から俺の優先順位は下のほうだから。紗由がこれでディズニー映画を見たがって、占領されることが多いんだ」賢児が苦笑いする。
「そっか。賢ちゃんのおもちゃなのに、賢ちゃん、あんまり使われへんのか…。じゃあ、俺はええ」少し寂しそうに下を向く翔太。
「あ、いや、そういう意味で言ったんじゃないんだ。見てってよ。な」賢児が慌てる。
「いいんですよ、賢児さま。もう小学生ですし、我慢することも覚えないと。翔太。七代目を継いだら自分で買いなさい。好きなだけ見ていいから」玲香が翔太の頭をぐりぐり撫でる。
「じゃあ、探し物でけたら、見せてえな」
翔太は賢児にそう言うと、自分のリュックの中から影童を取り出し、包んでいた絹布で、きれいにぬぐった。影童を右手で前に差し出すようにして、部屋の中を歩き出す翔太。
「水戸黄門か?」印籠を差し出す助さん角さんに見えたのか、賢児が怪訝そうに聞く。
「頭が高~い!…って、んなわけあるかい!」翔太が左手を払うようにして突っ込む。
「おおっ。これがウワサのセルフボケツッコミだな」
「お屋敷広いし、この子が反応するところを探すのが早いやろ」
「確かに、プロの泥棒でもないと難しいかもな。離れとは言うけど、4LDKだし」
「それで影童を使ったダウジングというわけね」なるほどという顔で翔太を見る玲香。
「喜ぶときは、ぴかぴかが強うなるから、そこいら辺探せばいいと思う。ちゃっちゃと探さんと。祭りの準備もあるし、明日帰らなあかんからな」
翔太が再び部屋の中を歩き出したとき、賢児が「あっ!」と短く声を上げた。
「どうしたんですか?」
「祭りだよ、祭り。何か抜けてるような気がしてたんだけど…紗由はこの前、“おまつりのしゃしん”もあったと言ってた。さっきのアルバムの中にはそれがない」
「そういえば、言ってましたね。お祭り…変なお祭りって」玲香も記憶の糸をたどる。
「お祭りの写真探せばええの?」
「そうね。…だけど、特定せずに探したほうがいいかも。紗由ちゃんの言うお祭りが、どんなものか、よくわからないし」
「紗由は、人がたくさん集まってると、お祭りだって騒ぐしなあ」くすりと笑う賢児。
「翔太も紗由ちゃんくらいのときは、うちわを見ただけで、お祭り行くの?って聞いてました」玲香が笑うと、翔太が口を尖らす。
「そないなこと言うてると、もう探さへん!」
「そんなこと言うなよ、翔太ぁ」賢児が翔太の前に回りこむ。
「もういっかい、高うして、くるくる~て、やってくれたら探してもええ」
きゅっと唇をかむ翔太。大人びた口をきいても、まだ子供だ。
「お安い御用だ。ほーら、3回転!」
賢児が翔太を高く抱え上げた後、回転ブランコのように、くるくると回転する。
「うわあ。うわあーっ! ひゃあ!」楽しそうに声を上げる翔太。
「目まわっちゃったか?」賢児が翔太をソファーの上にゆっくりと降ろす。
翔太は「まわったあ!」と叫びながら倒れこんだが、次の瞬間、「あれ?」と言うと、右手に握ったままだった影童を、ソファーの座る部分全体にかざすように動かした。
「賢ちゃん、このソファーん中、なんかある」
「中?」
「この子がすごく喜んどる」翔太が影童を賢児の前に出す。
「…こういうときってさ、映画だとジャックナイフでソファー切り裂くんだよな」賢児が、ナイフでソファーを切る真似をする。
「そやそや。ごっついナイフで、魚の皮に切り目入れるみたいにするんや」翔太も、包丁で十字に切り目を入れる真似をする。
玲香が二人を呆れた目で見ながら、コホンと小さく咳をした。
「とりあえずですね、ヤクザ映画でも魚料理でもないので、まずは座席部分がはずせるかどうかと、何かレバーとかスイッチのようなものがないかどうかを調べましょう」
「はーい」つまらなそうな顔で玲香を見る二人。
玲香がソファーを丹念に触っていく。翔太はソファーの背のほうから下に手を入れて探り、賢児はあちらこちらをはずせるかどうか確認していた。
「ここ…ソファーの生地が薄いというか、押すと凹みがあります」玲香がソファーの前面の真ん中辺りを指で押す。
「本当だ。…この生地、切って剥がしてみるか」
賢児が言うそばから、前のほうに回った翔太がソファーの下に手を入れる。
「賢ちゃん、これ、はがれる」翔太が言うやいなや、めりめりという、マジックテープが剥がれるような音がした。
「玲香、そっち側剥がして」
3人で3箇所から生地を剥がしにかかる。20センチほどの生地の折り返し部分全体には、マジックテープが施されていた。賢児が全体をめくり上げると、木の台座部分が現れた。玲香が言ったように、真ん中には、5~6センチの穴が開いている。
「何でしょう、この穴」
「映画だと、何か差し込んで、それが鍵になったりするんだよな」
賢児が映画を引き合いに出すと、翔太もまたそれに応じた。
「そやそや。こんくらいのもんを、こうやって差し込んで、くるんて…あ、あれ?」翔太が冗談半分で羽童の足を穴に入れて右に回すと、カチッという音がした。
「ビンゴか!?」
「持ち上がるかしら」玲香が台座部分をあちこちいじっていると、ノートパソコンのふたのように、台座の上が開いた。
「こ、これは…いったい?……」
3人は、目の前に現れた不思議なものを、そのまましばらく見つめていた。
* * *
翌朝、賢児は普段の土曜日通り、リビングのソファーでコーヒーをすすりながら、大型モニタで映画のDVDを見ていた。普段と違うのは、横に玲香と翔太がいることだけだ。
「11時か…そろそろ電話が来る頃だな」壁の時計を見ながら賢児がつぶやく。
「どなたからですか?」
「兄貴からの内線だよ。紗由に映画を見せてやってくれという連絡。俺が通路の鍵を解除しておくと、しばらくして紗由が駆け込んでくる」
「紗由ちゃんだけか?」
「ああ。入り口までは送ってくるけどね。土曜の午前中は、周子さんは事務所、龍はバイオリンなんだ。帰って来てから合流で、兄貴はその間、書斎で仕事してるよ」
「涼一はんは入り口までなんか?」
「前は一緒に見てたんだけどさ、映画の途中で紗由に何だかんだと薀蓄披露しながら話しかけて、すんごい顔で怒られたんだよ。“しーっ! うるしゃいです!”って。それ以来、びびってる」くすりと笑う賢児。
「なるほどなあ。龍くんは、とうさまにいろんなこと教えてもらうのが好きだったみたいやけど…あ、うちの庭にいたときの話な。紗由ちゃんはなあ、じっちゃんとこ行って、自分の好きなことだけ聞いとったわ」
「賢児さまも、おっしゃってましたよね。紗由ちゃんはマイペースだって」
「ああ。実は、そういう紗由って子どもの頃の兄貴にそっくりなんだけどな。…親父の思惑なんかおかまいなしに、好きなことだけ極めてた。その結果が、サイエンス誌に載るような科学者なわけでさ」苦笑いする賢児。
廊下をぱたぱたと歩いてくる足音がドアの外から聞こえてきた。
「おおきいおひめさま、みる!」
開いたドアから、待ちきれない様子で紗由が駆け込んでくる。
「紗由ちゃん、ちょっと待ちいや」
賢児の横に座る紗由に翔太が声をかける。振り向く紗由。
「なあに? さゆね、おひめさまみるからいそがしいの」
「紗由ちゃんは、もうすぐ4つやったよな?」
「うん」紗由がうなずく。
「4つ言うたら…もう、大人やなあ?」
「うん」大きくうなずく紗由。
「紗由ちゃんは、幼稚園のお友だちがおもちゃで遊んでるときに、それ取ったりするか?」翔太が紗由を覗き込むようにして聞く。
「しないよ。そんなの、わるいこだもん!」
「そやなあ。悪い子や。…紗由ちゃん、知らんかったかもしれへんけどな、このおっきいテレビは賢ちゃんのおもちゃんなんやで」
「さゆのだもん」口を膨らませる紗由。
「違うなあ。これは賢ちゃんのや。賢ちゃんは、毎日お仕事忙しうて、土曜や日曜しか、ゆっくりとおもちゃで遊べへん。紗由ちゃんが、おっきいお姫様見る言うて割り込んだら、賢ちゃんは遊べへんのや」
翔太が紗由をじーっと見つめると、紗由も見つめ返す。しばらく見合ったままの二人。
「紗由ちゃんは大人やから、順番を待ついうことができるよなあ」翔太がにっこり笑う。
「おひめさま…」
「ああ、やっぱり無理か。大人やないと無理やもんなあ。賢ちゃん、映画止めてや。紗由ちゃんにお姫様見せたって」紗由に背中を向けて、賢児に言う翔太。
「できるもん! さゆ、おとなだもん!」紗由が叫ぶ。
「そおかあ。偉いなあ。やっぱり紗由ちゃんは大人やなあ。じゃあ、一緒に順番待とな」
「うん」
「じゃあ待ってる間、お話しよか。ちょっと退屈やもんな」翔太が紗由の隣に座る。
「おはなしする」
「紗由ちゃんは、神様とも、いっぱいお話しとるんか?」
翔太の問いに首を振る紗由。
「じゃあ、たまにやな?」
やはり首を振る紗由に、不思議そうに玲香がたずねる。
「紗由ちゃんは、神様とお話したことがあるんでしょ?」
「ない」
「え? ないの?」驚いて振り向く賢児。
「せやけど、紗由ちゃん、時々神様が言うたこと、みんなに教えたってるやろ? ウソなんか?」
「ウソじゃないもん!」プイと横を向く紗由。
「お話はしてないけど、神様の言うことがわかるの?」玲香が聞くと、紗由がこくんと首を振る。
「かみさまは、にいさまとおはなしがしたいの」
「神様は、にいさまに話しかけてるの?」
「にいさまはしらんぷりなの。さゆがおしえてあげるの」
「紗由ちゃんは、神様が言っていることを、にいさまに教えてあげてるのね」
「さゆとおててつなぐと、にいさまは、かみさまのおはなしがわかるんだよ」うれしそうに笑う紗由。
「龍は、紗由がいないと神様とお話できないのか?」
「さゆがいないとこ、しらない」
「それはそうだな。愚問だった」苦笑いする賢児。
「にいさまは、今まではいつも、神様が話しかけて来ても知らんぷりだったのね?」
「あのね、しょうたくんちいったときは、にいさま、わかったんだよ」
「そっか。にいさまは神様に気がついたんか。紗由ちゃんは、そゆとこ、よーく見とって偉いなあ。さすがは大人の女やなあ」
翔太の言葉に気を良くしたのか、さらに話し続ける紗由。
「にいさま、かみさまとおはなしして、おばあさまとも、おはなししたの。…あ。いまのは、ないしょ」
紗由はしまったという顔をすると、ソファーから降り、部屋の外へ駆け出した。賢児が慌ててあとを追いかける。
「紗由! 待てっ」
その様子を見ていた玲香と翔太が見合って首をすくめる。
「紗由ちゃんを思い通りにしようというのが間違いだったみたいね」
「気まぐれなオナゴやさかいなあ」
「でも、けっこうな収穫だったかも。さすがね、翔太」玲香がウインクする。
「…だめだ」しばらくすると、渋い顔をしながら賢児が戻ってきた。
「どうなさいました?」
「あっという間にリビングにいた兄貴のひざの上だよ。声かけたら、ベソかくもんだから、取り付く島がない」
「あら大変。でも、“内緒”のことは、聞いても、もうしゃべらないでしょうね」
「まあ、確かにな。中途半端な情報を出すと、兄貴も混乱しそうだし、とりあえずモニタの調子が悪くて映画が見られないと言っておいた」
「お疲れ様です」
「いっぺんに、ぎょーさん聞いても、あかんしな。機嫌ようなったら、また聞けばええ」
「けっこう重要なこと話してたよな。さらなる疑問も増えたけどさ…」
「そうですね。紗由ちゃんの言うことが本当なら、紗由ちゃんが主で龍くんが従、といった捕らえ方は逆だったってことですよね」
「“命” さまは龍だってことなのかな」賢児が首をかしげる。
「でも龍くんは、先週まで、神様が話しかけているのがわからなかったんですよね。紗由ちゃんは、自分が直接は神様と話ができなかったようですけど、その様子を理解していた。つまり、先週までは紗由ちゃんのほうが、その種の能力が優れていたということなんでしょうか…」玲香も首をかしげる。
「何で話せるようになったんだろう。何かきっかけみたいなものがあったのかな」
「おばあさまともお話したんですよね」
「うん。いつだろう。変わった様子あったかなあ…」賢児が記憶を掘り起こそうとする。
「いったい何を話したんでしょう。紗由ちゃんに口止めしたのは龍くん…しかいませんよね。なぜなんでしょう」玲香が腕組をする。
「うーん。わからへんなあ。昨日の、これん中のもんもそうやし、やっぱり“命”さまに聞くか」ふいに立ち上がる翔太。
「え?」驚いて翔太を見つめる賢児と玲香。
「賢ちゃん、“命”さまの電話番号教えてや」翔太がスマホを握って賢児の前に来た。
「俺、かけるさかい。…それとも、今日かけたんか?」首を傾ける翔太。
「い、いや。しばらく掛けてないよ。家の者が掛けても、いつも出ないし」
「名前が出てしまいますものね」
「俺は家の者やないし」
「そうだな…試しにかけてみるか」
賢児が番号を読み上げると、ひとつひとつ丁寧にキーを押して入力する翔太。発信のボタンを押すと、コール音が鳴り始めた。
「あ。もしもし」
「出たのか?」翔太の携帯に耳を寄せて息を潜めていた賢児が、思わず声を出した。
「“命”さまですか? こんにちは。僕は静岡の清流旅館7代目当主の高橋翔太いいます。ちいとばかし、お聞きしたいことがあって電話しました」はきはきと挨拶をする翔太。
「“命”さまは、今どちらにいてはるんですか? お帰りは?……ああ、ええとこですなあ。ほれ、あの近くで売ってるあんこのお餅、あれおいしいですねえ。…そうそう、赤福、言いましたな。……そうなんですか。僕んちのほうだったら、デートしませんか」
電話の向こうから、かすかに笑い声が聞こえる。
「そんで、お家の人から…あ、今はダメなんですか……はい。わかりました。伝えます。……はい。僕、友達ですから……お知り合いですか? ほお。ああ、もしかして、あのときの方ですか。話、聞いとりますわ。……はい。ほな、さいなら」キーを押して通話を切る翔太。「お元気そうやったわ」
にこにこしながら二人を見る翔太に、玲香が声を荒げる。「ちょ、ちょっと翔太! 切っちゃダメでしょ。賢児さまに回さなくちゃ!」
「あんな、賢ちゃん。“命”さま、お伊勢さまで大事な用事済ませたところやて。来月には家に帰る言うてた。これから別の用事で静岡行くらしいで。
それで今、お家から電話されても話できへんらしい。龍くんには、もう大丈夫だから言うといてって。龍くんと仲良くしたってって言われたわ。
あと、あなたの叔母さんによろしゅうに言うてた。…これは玲ちゃんのことやな。あ、大事なこと抜かした。赤福おいしかったって」
賢児ににっこりする翔太から、玲香がスマホを取り上げてリダイアルする。
「…出ませんね、伯母さま」10回コールしたところで電話を切る玲香。「すみません、翔太ったら、勝手に切ってしまって」
「いや、大丈夫だよ。俺が代わっても、今、翔太が伝えてくれた以上のことは話さないだろう。いや、翔太だから話してくれたのかもしれないよ、うん。ありがとう」翔太の頭をなでる賢児。
「…ところで、玲香、伯母さんと面識あるの?」
「あ…いえ、その、あるような、ないような」歯切れの悪い答え方をする玲香。
「どっちなん」
「…たぶん、以前静岡で一度お会いしています。美術館の庭で」
「どういうこと? 何で今まで黙ってたの」
「…父に叱られそうで。…あ、別に父は直接関係ないんですが、自分がいい加減だというエピソードを披露するみたいなことになるので、ちょっと言いづらかったんです。それに、その方が伯母様だという確証があったわけではありませんし…」
気まずそうにうつむく玲香を見ながら、翔太が言う。
「ことよろおば様やろ」
「何でお前が知ってるの?」玲香がびっくりして顔を上げる。
「加奈ちゃんが時々、玲ちゃんの様子聞こうとして俺に電話してきてたんや。だから知っちょる。でも、家のもんには誰にも言うとらんで。じっちゃんに知れたら、玲ちゃん、娘クビになってしまうかもしれへんしな」
「どういうことなの?」賢児が真面目な顔で問いただす。
「玲ちゃんが多治見はんとこ行くかどうか加奈ちゃんに話しとったときに、なんや知らんおばはんが玲ちゃんに言うたんやて。お断りになったほうがよろしいわって。
だから、玲ちゃんと加奈ちゃんは、その人のこと、ことよろおば様って呼んでるんや。
んでもって玲ちゃん、加奈ちゃんこと置いてけぼりにして、おばはんの言うとおり、お断りに行ってしもたん」
「…そんなことが、あったんだ」
「その方は一瞬で行ってしまわれたし、黒いサングラスをかけていらしたので、顔を全部見たわけではないんですけど、紗由ちゃんを見たときに思ったんです。通り過ぎたときの、その人の横顔が、長いまつげと、すっとした鼻筋が、紗由ちゃんによく似てるなって。…伯母様と私に接点があるとすれば、それしか思いつきません」
「そうか…。それがもし伯母さんなら、感謝しなくちゃな。おかげで玲香は俺のところ…会社に来てくれたわけだから」
「そやなあ。賢ちゃんにしてみたら、よう働く秘書と彼女をいっしょにゲットやもんな。命さまさまや」翔太が大きくうなずく。
「おかげで翔太とも友だちになれたしな」
賢児の言葉に、翔太がうれしそうに笑う。
「そう言っていただけると、ちょっと気持ちが楽になります。で、あの…話は元に戻るんですが、さっきの翔太の伝言で、龍くんにはもう大丈夫だと言っておいて、というのがありましたよね。龍くんは何か一連の事情を知っているんでしょうか。秘密にしておいたことがあるとか…」
「たぶん…これこそ、たぶんだけど、龍は故意に秘密にしていたというより、特に言う必要がないと思って言わなかったんじゃないかな。
隠し部屋で話をしていたときもそうだったけど、聞かれてないから言わなかったことが、けっこうあるみたいだった」
「龍くんは、とうさまが大好きやから、とうさまにわざとウソついたりは、せえへん思う。だいたい、聞かれもせえへんのに、べらべら喋るんは、お暇なマダムはんくらいや」腕組をして頷く翔太。
「確かにな」賢児が久我夫人を思い出しながらプッと笑う。
「そうだわ。そう言えば…龍くん、言ってました。おばあさまに不思議な力があることは、ずっと一緒だから知っていたと。おばあさまの感じていること、わかっていたんじゃないでしょうか」
「そうか。伯母さんたちがいなくなったことと紗由の力とが、どう関係があるのかばかり、俺たちは気にしてたから、龍は何も言わなかったんであって、もっと違うことなら知っているかもしれないってことか…」
「龍くんは、紗由ちゃんに力が現れてきたときに、周囲が騒ぐものだから、彼女を心配したけれど、自分にその力が先にあったことは、それが当たり前のことだったから、特に言う必要だとは思わなかったのでは」
「龍くんこと怒るんか?」翔太が心配そうな顔で賢児に聞く。
「怒る?」不思議そうな顔で聞き返す賢児。
「だって、そうやろ。みんなで何か聞いて、紗由ちゃんことが出てきたら、何で言わへんかったいうことになるやないか。龍くんが悪い子みたいやないか。龍くん、とうさまと仲悪うなったら、あかん」
翔太の言葉に、しばし黙り込む賢児と玲香。
「そうだな。兄貴の立場からしたら、そういうことになりかねないな。…玲香、この一件は、もうここまでだ。最大であと1ヵ月すれば、伯母さんは戻ってくる。そしたら、全部聞けばいい。兄貴には、今の電話のことを話しておく。龍への伝言以外のな。…親父には…一応、全部。それで、終わりにしよう」
賢児に向かって、玲香が深くうなずく。
「龍くん、いろいろ大変だったのかもしれないですね」
清流旅館の庭で龍と話したときに、もう少し龍の気持ちと状態を思いやれたらと、玲香は後悔していた。
「そりゃ、大変やろ。“命”さまのお家の子やったら、自分がそうなるんか思うて、きっとぎょうさん気い使いよるんやで」
「翔太も、ピカピカが見えるようになって大変か? つらいこと、あったりしたのか?」
翔太は、心配そうに聞く賢児の手をぎゅっと握った。
「俺は大丈夫や。ぴかぴか見えるんは、お客はんがしょんぼりしてたり、怒ってたり、気持ちわかるとええから、便利やで」
うれしそうに笑う翔太を、玲香が思わず抱きしめる。
「翔太が立派な七代目になれるように、神様が力を貸してくださっているのよ」
「うん。神様と玲ちゃんのおっぱいがあれば、俺、きっと立派な七代目になれるん」そう言いながら、玲香の胸をさわる翔太。
“それ…俺のだろ?”
賢児は、心の中で若干眉間にしわを寄せながらも、翔太が龍のことを一生懸命考えてくれていることに、心から感謝していた。
* * *




