200. 別離
お読みいただいてありがとうございます。
ハーシュは少し苛ついた様子でクロエに噛み付く。
「クロエ様、いい加減この木の戒めを解いては頂けませんか?
いやはや、戒めによる痛みのあまり、つい言葉が過ぎてしまいました。
本来の私はもっと穏和な人間なのですが、崇拝するクロエ様の御前ではやはり緊張してしまうのですね。
そのせいかいつもでは考えられない数々の暴言を口にしてしまいました。
いやいや未だ未だ未熟者でございます。
ですが落ち着いて話すことが出来れば、きっと私達は解り合えます。
それにジーナも助けてやらなければ。冷たい事を申しましたが、やはり我が妻が苦しむ姿を見るのは身を切られるように辛いのです。
だから早く……」
「……うるさい、黙れロリコン」
「……ろり?クロエ様、今なんと?」
「アンタの事なんか知らない。黙ってよ、声も聞きたくない!」
「……何と言う乱暴な言葉遣いを。あぁ、貴女の神性が汚されます!やはりこんな田舎で捨て置かれたせいで……」
「黙れって言ってるでしょ!アタシはアンタの言う女神なんかじゃないし、黒の乙女だとかもう全然訳解んないっ!クズなアンタ相手に丁寧な言葉を使うのもイヤ!
ホント、アンタってバカじゃないの?アタシはアタシ、見ての通りのただの7歳の女の子よ!
せっかく初めてのお買い物を楽しみにしていたのにアンタ達に邪魔された可哀想な子よ!
その上大好きな家族をアンタ達に傷つけられて、アタシ生まれてはじめてメチャクチャ怒ってる!
こんなに腹が立つことって無いわ!
ハーシュ、アタシアンタの事が本当に大嫌いよ!
ぜーったいアンタとは一緒にどっかに行ったりしない!だってアタシ、アンタみたいな変態大嫌いなんだもん!
ねぇジーナさん、貴女旦那さん選び間違えたんだよ。こんな男サイッテーなんだからね!
……アタシはガキだから先生の手当てだけで本当に必死なの。だから貴女の事まで助けられない。
お兄ちゃんや先生を傷付けた貴女をアタシは絶対に許さない。……だけど助けられるなら貴女を助けたかった。ごめん、力不足で」
クロエはディルクの手当てをしながら、感情を爆発させたように思いを言い放った。
ハーシュは一瞬戸惑った表情を浮かべたが、直ぐに持ち直して彼女を宥めようとした。
だが聞く耳を持つつもりの無いクロエは彼の言葉を遮り、更に怒りを彼にぶつける。
「ハーシュ、アンタここまでの事をしといて、良くも話し合えば解り合えるなんて言えるよね。どんだけ面の皮が厚いの?
大体こんなチビが女神だの世界を変えるだの、頭おかしいんじゃない?お医者様に見てもらうといいよ、絶対病気だから、アンタ。
でもアタシがここに居ると、頭のおかしなアンタは本当に何するか解んないからね。だから決めたよ。
アタシはアンタの知らないところに行く。
アンタに二度と会わなくてすむように、アンタのその汚い手が届かないところへね!」
クロエの言葉にディルク以外の者、皆が目を剥いた。
「何ですと?!」
「クロエ……まさかお前……」
「何言ってるの、クロエ?!」
三人三様で彼女にその真意を問う。
クロエはハーシュを無視し、父と兄に優しく目を向けた。
「……もうここには居られない。ずっと皆と暮らしたかったけど、大事な家族が狙われると解ってて、ここにいられるほどアタシは強くないんだよ。
ごめんね、今まで大事に育ててくれたのにこんな形で出ていくなんて。最悪だよね……本当にごめんなさい」
そしてハーシュに向き直る。
「アタシから大事な家族を奪うアンタを、アンタの仲間をアタシは許さない。
だけどただのチビのアタシが、力でアンタ達に立ち向かえる筈もない。
アタシに出来るのは、ただ逃げることだけ。
だからどこまでも逃げてやる!
どんなにみっともなくとも、どんなに惨めでも、アタシはアンタ達から逃げ続ける。
アンタ達はアタシを追うが良い。
アタシはアタシの持つ力全てを使って逃げおおせてやる。
……誰がアンタ達の玩具になんかなるものか。子供だからって舐めてんじゃないわよ。
変な知恵だけは回るんだからね、アタシ。子供の利点を上手く使ってとことん逃げてやるから、覚悟してなさい!」
クロエの啖呵を聞いたハーシュは馬鹿にしたように嗤う。
「まぁ何とお可愛らしい脅しなのか。しかし貴女も所詮は子供ですね。
口は達者でも言う内容が残念すぎます。
私から逃げると仰いましたが、まさか本当に一人で逃げられるとでもお思いですか?
この森を出たことの無い貴女が?
だけどそんなに外は甘く無いですよ。まぁまだお小さい貴女には解らないとは思いますが、逃げるにも何をするにも大人の手助けが必要なんです。子供の貴女に出来るのは、大人の言うことを聞くことだけなんですから。
私がこれからはその辺りの事もしっかりと教えて差し上げます。
さぁ、もう夢を見るのもその位になさい。でないと自分を馬鹿な子供に貶める事になりますよ?」
ハーシュはそう言って高笑いした。
クロエはハーシュを残念そうに見て、鼻で嗤う。
「ま、アンタならそう言うとは思ってたけど、ほんとステレオタイプね。テレビでやってた嫌みな悪役そのまんまのセリフ吐いちゃって、バッカみたい!
あのね、アタシだってそのくらいはわかってるわよ。
その上で言ってるのに、少しはのぼせ上がった少ない脳ミソ働かせて考えろっての、この変態が!」
クロエはそう吐き捨てると、父と兄をもう一度見つめる。
「父さん、コリンお兄ちゃん、今までありがとう。
母さんやライリーお兄ちゃん、ミラベルお姉ちゃん、インフィオラーレの家族に謝っといてくれるかな。突然のさよならでごめんなさいって。
だけど、どこに居ても皆の事は忘れないから。皆の幸せを祈ってる。
アタシ、皆の事が大好きだよ。森の家族も、外の家族も、この森も全部大好き!
なのにこんなひどい別れを選んだアタシはとんでもない親不孝者だよね。
とても許してなんて言えないや……だからアタシを許さないで怒って?
怒ってても馬鹿だと罵っても良いから……だからどうかアタシの事、忘れないで。
最後まで我が儘言ってごめんなさい」
その時、クロエの手をディルクが強く握った。
クロエは小さく頷くと、震える口許で精一杯笑みを作る。
「泣いて別れるのは悲しいから、泣かないよ。
どうか元気で。アタシはどこに居たって生き抜いてみせるから……だから心配しないで。
……じゃあ、行くね」
クロエの目の前がぼやけ始める。
その霞む目の端で、脇腹を押さえながら自分に向かって走り出す兄の姿が見える。
顔を蒼白にした父が慌ててクロエの体を掴もうと手を伸ばすのもスローモーションで見える。
「……さようなら、皆」
クロエは静かに目を閉じる。
ガルシアの伸ばした手は、消え行く末娘の体を通り抜け、空を掴んだ。
そうして余りにも静かに、余りにも唐突に7歳の娘と老教師はその場から姿を消したのだった。
「クロエ?!……どこへ、どこへ行った!」
父は確かに今そこにいた筈の末娘を探して、声を張り上げる。
父の顔には全く血の気が無く、ひきつったその表情は切羽詰まっていた。
木の根に雁字搦めになっていた男には、その口許に猿ぐつわを噛ませるように木の根が又伸びてきて、やがて体を完全に拘束した状態で木の根が地面と切れると、拘束状態のまま横倒しに倒れた。
猿ぐつわを噛まされた男の目は飛び出さんばかりに剥き出しになり、必死に辺りを見回している。
男も今目の前で消えた幼女と老人の姿を探しているようだ。
痛む脇腹を押さえながら妹が居た場所まで必死に駆けてきた兄は、その場所の前で膝をつき呆然とする。
その場所には今はもう誰も居ず、足元の地面には消えた恩師が流した大量の血痕だけが有った。
兄はそこに手を伸ばし、震える声で叫ぶ。
「クロエーーーーッ!なんで、なんでーーーーっ?!」
そう言ってウワァーーと踞り、泣き叫んだ。
少し離れた所で倒れている女性は、今はもうピクリとも動かなかった。
しばらくその膠着状態が続いたあと、ワラワラとどこからともなく男達が集まってきた。
父は蒼白のままやって来た男達に今起こった事を詳細に告げ、それを聞いた男達の半分は又直ぐに姿をくらまし、後の半分はその場に残り転がった男女を回収する者と雑貨店へ店主達夫婦を捜索する者とに再び分かれた。
父は顔を強張らせたまま、妹が居た場所で泣き叫ぶ息子に近寄り、無言で息子を抱き寄せる。
「……今、捜す手配をした。待とう」
父の言葉に息子は泣きじゃくりながら叫ぶ。
「居ないよっ!どこにももう居なくなったんだよっ!捜したって見つかりっこないよ!
クロエならそうする、僕達を守るために、あの子はきっと出てこない!
守れなかった!兄ちゃんと姉ちゃんに約束したのに……母さんにも言ったのに!僕がクロエを守るって!
なのに、なのにーーーっ!」
そう叫んで父にしがみつく息子を、父はやるせない思いで抱き締める。
(森よ、お前が力を貸したのは解っている。還してくれ、あの子を。
頼むから娘を俺達の元に還してくれ……!
どれだけしっかりしてようが、あの子は未だ7歳なんだ。未だ早すぎる!
いずれ手放さなければならないのは解っていたが、こんな形であの子と別れるなんて考えられないっ!
お願いだ、お願いだからあの子を俺達の元に還してくれ……)
父と兄の悲痛な叫びに対して、答えるものは何もなく、ただ草原の草は静かに風に揺れ、森は沈黙したままであった。
これで本編第一章を締めます。が、後ちょっと周りの様子を書いておこうかなと思います。
その後一章を手入れしまして、第二章を始めたいと思います。
又再開は活動報告に上げますし、出来たらブックマークとpt、感想などをいただけると嬉しいです!
うん、200話+αで一章か。長っ!
二章はもちっとテンポ良くいきたいもんです。
では一章の後始末を又なるべく早く更新しますね。