198. 狂信者
お読みくださりありがとうございます。流血を伴う残酷な表現があります。どうかご注意ください。
「駄目よ、行っては……貴女はこの子がどうなっても良いの?!」
ジーナが暴れるコリンを羽交い締めにしながら、森に駆け込もうとしていたクロエに叫ぶ。
(アタシに言ってるの?!やはり狙いはアタシなんだ!)
振り返ったクロエの足は完全に止まった。
「クロエ!僕の事はほっといて、早く逃げろっ!」
「あら、優しいお兄ちゃんね。さっきもあの子を必死に外へ出してたものね。
……でも、こっちは本気なの。これでもそう言える?!」
「ウグッ!」
ジーナは刃物を持ち替えて、コリンの脇腹に柄の部分で打撃を加えた。
「まずは軽く、ね。酷いことはしたくないのよ。だからアタシが刃を使わない内に早くこちらに来てちょうだい、お嬢ちゃん」
「……クロエ、来るな、来たら……ダメだっ!」
しかしジーナの背後から、細い剣先が左肩を貫いて現れた。
「っ!キャアアーーッ!アー!か、肩がーーっ!」
見るといつの間にかジーナの背後を陣取ったディルクが自身の仕込み杖を抜き、彼女の左肩を容赦なく貫いていた。
「……娘よ、コリンを離せ。さもなくば、次は首を貰う」
「あ……あぁ……は、ハーシュ……」
左肩から剣を抜かれたジーナは血を吹き出しながら崩れ落ち、コリンはその場に放り出された。
「ガルシアッ!コリンを連れていけ!その男は儂が引き受ける!」
ディルクが叫び、ハーシュを押さえていたガルシアの元に向かう。
そしてガルシアと代わり、ディルクがうつ伏せのハーシュの首に左足を乗せ、剣を首に突き付けるようにした。
「……“闇”を呼びます。暫く持ちこたえて下さい」
ガルシアがヒソヒソとディルクに耳打ちをし、ハーシュから離れて踞っていたコリンに駆け寄り、彼を抱えあげた。
「クロエ!コリンは無事だっ!早く森へっ!」
ガルシアが声を張り上げる。
「お兄ちゃんっ!……良かった」
クロエはコリンが助かったのを見て安堵したが、段々今になって体に震えが来た。
だがそんな自分を叱咤し、森に駆け込もうと又身を翻して走ろうとしたその時。
「……甘いですよ、ハッ!」
うつ伏せで首を踏みつけられて押さえられていたハーシュが、どんな方法を使ったのかディルクを押し退けて彼から離れた。
膝を付いて首を押さえながら、ハーシュは懐から小刀を出して構える。
「貴様……どうやら武を身に付けておるようだな。単なる庶民ではあるまい。
……狙いはわかっとる。誰の差し金だ?」
ディルクが幾分身を屈めて剣を中段に構え直しながら、低い声でハーシュに問う。
しかしハーシュはそれに答えず、森の手前で止まったままのクロエに向かって叫んだ。
「貴女はコイツ等に騙されているんですよ、クロエ様っ!
俺は貴女を助けるためにこんなことをしたのです!
貴女はこんな所に居るべき方ではない、可哀想な貴女はここに囚われているも同然なのですからっ!」
ハーシュの言葉にガルシアが叫ぶ。
「ハーシュ、貴様っ!言うに事欠いていったい何を……!」
ガルシアの叫びを無視しながらハーシュが再び叫ぶ。
「貴女はこんな男の娘なんかじゃありませんっ!
貴女の本当の親は大領地インフィオラーレの領主なのですっ!
その親が貴女を捨てて、この者達に下げ渡したのですっ!
貴女の力を恐れるあまり、貴女をこの森で閉じ込めたのですっ!」
クロエはハーシュの言葉を一瞬理解できなかった。
(な、何を言ってるの……。アタシが父さんの娘じゃない?……え、なに?どういう意味?)
衝撃を受けたクロエは、ただ叫ぶハーシュをぼんやり見つめる。
「貴様、血迷ったかっ!幼子を惑わす妄言、許さぬっ!」
ディルクがハーシュに猛然と斬りかかる。
ハーシュはディルクの猛攻を小刀で受け流しながら、尚も叫ぶ。
「貴女はこの者達に囚われていたのです!
本当の貴女はこの地をその御力でお救い下さる“黒の乙女”っ!
いずれこの地に降誕されると伝えられてきた、古の女神なのですっ!」
「馬鹿な事をっ!クロエ、この狂信者の話に耳を貸すなっ!早く森へっ!」
ガルシアがコリンを抱えながらクロエの側まで駆け寄り、呆然と佇むクロエの肩を掴む。
「あ、と、父さん……そ、そうだ、アタシ早く森へ行かなきゃ……」
クロエは血の気の引いた顔でフラリと森の方向に体を向けようとした。
「行かせ……ない……」
いつの間にか刺された左肩を押さえながら、ハーシュと斬り合うディルクの近くまで這いずって来ていたジーナが、そのディルクの体に背後から体当たりした。
「うおっ?!……グアッ!」
ジーナの体当たりでバランスを崩したディルクの脇腹に、その隙を見逃さなかったハーシュの小刀が突き刺さった。
刺されながらもディルクは自身の細剣をハーシュの太股に突き刺す。
「グッ……!じ、爺が……、クソッ!」
ディルクは血を流す脇腹を押さえつつ、振り向き様に自身に体当たりしたジーナの腹を一刺しする。
「ウアァーッ!」
ジーナはたまらず地面に伏せ、腹を押さえてのたうち回った。
クロエは目の前で繰り広げられた惨劇に、悲鳴をあげた。
「イヤァーーーッ!先生ーーーっ!」
再び体を翻してディルクの元に駆け寄ろうとするクロエを、ガルシアが止める。
「俺が行く!お前は早く逃げろっ!」
「嫌っ!先生がっ、先生がーーっ!」
ディルクが脇腹を押さえて膝をつく。
「は、早う……逃げろ……グッ……」
苦し気なディルクが呟いた小さな声が、不自然なまでに鮮明にクロエに届く。
クロエは首をフルフル振りながら、尚も恩師の元に駆け出そうとする。
「嫌です!刺された先生を放ってなど……!」
焦るガルシアが舌打ちをし、暴れるクロエを持ち上げようとした。
「……クッ。……だ、大事な者を心優しい貴女は放っては置けますまい。
貴女に我らの言葉に耳を傾けて貰うには、荒療治が必要なようです。
……些か心苦しいですが、これも大義の為だ。
この者には死んでもらいましょうっ!」
膝をついたディルクの側で、ハーシュが小刀を振りかざした。
クロエはそれを見て、あらん限りの声で叫ぶ。
「ダメーーーッ!止めてぇーーーっ!」
すると、ハーシュの足元からブワッと何本もの木の根が地面を突き破って現れた。
木の根は瞬く間にスルスルと伸び、小刀を振りかざしたハーシュの体に絡み付く。
「う、うわぁっ?!な、何だ、何だーーっ!」
ガルシアは目の前の出来事に目を見開く。
「なっ?!一体これは……!」
「父さん、離してっ!早くお兄ちゃんを森へっ!」
クロエは父の手を振り切り、丘を下ってディルクの元へ走る。
「ば、馬鹿者が……!こ奴等の、狙いは……お主なん、じゃぞ……」
そう呟いたディルクは、脇腹を押さえたままドォ……と横倒しに倒れた。
「先生っ、先生しっかりしてくださいっ!」
転がるように走り寄ったクロエは、倒れたディルクの脇腹を見て悲鳴をあげる。
「あぁっ!こ、こんなに血が……、酷い、何てこと!どうしよう、どうしたら……」
とにかく止血をとクロエは手を伸ばし、ディルクの刺し傷に手を当てる。
『……クロエよ、力を貸す。そのままその者の腹に手を当てておれ。其方の持つ“癒しの力”を誘導し、切り裂かれた肉を繋ぎ合わせる。
……だが、その者の失われた大量の血は戻せぬ。
早く休ませねば、命にかかわるぞ』
「っ!森さんね……解ったわ、言う通りにします。……先生、動かないで下さいね」
クロエは両手をディルクの脇腹にかざし、目を瞑り集中する。
すると自分の脳裏にあの大きな穴が浮かび、そこからキラキラ光る柱が立ち上がるのが見えた。
(あの穴とあの光だ……あれで先生の傷を癒せるの……?)
『そう、其方の持つ力だ。誘導する、感じ赴くままに力を解放せよ。
難しくはない、その者を癒すことだけを考えるのだ。
後は任せなさい、良いな、始めるぞ』
(はい)
クロエの体がうっすらと光を帯びる。
それ以上にディルクの脇腹を押さえる彼女の両手の平が、更に目映く光る。
「……クッ、お主、何を……!儂の事は良いから、早く逃げんかっ」
クロエはディルクに答えず、ただひたすら傷口を癒すことだけに気持ちを集中させた。
「な?!き、傷が塞がる……?馬鹿が、止めぬかっ!目覚めぬ魔力を引き出すなどしたら、又暴走が起きるぞっ!
お主、死ぬつもりかっ!」
ディルクの体に起きつつある奇跡を、木の根に雁字搦めになったハーシュが目の当たりにする。
目を輝かせたハーシュが
「おお……これが“黒の乙女”の力……!幼き御身にもかかわらず、与えたもう事の出来る女神の御技か!
やはり、やはり貴女は我等が探し求めていた御方……!
クロエ様、そんな輩に貴女が奇跡をお与えする価値など有りませぬ!
そ奴等こそ貴女を騙し、あの暗き森に閉じ込めた張本人達ですぞ!
どうか私の話に耳を傾けて下さいませ!」
と熱に浮かされたようにクロエに語りかける。
「黙らんかっ!この恥知らずがっ!
よくもそんな事をクロエに……」
ディルクが顔をしかめながら、ハーシュの言葉を遮る。
「あ、あぁ……は、ハーシュ……た、助けて……い、痛い……」
ジーナがクロエとディルクから少し離れた所で横たわりながら、ハーシュに手を伸ばして助けを求める。
「愚かな娘め……もっとうまく立ち回ればこんな事にはならなかったものをっ!
お前の失態が、この状況を生んだのだ!馬鹿がっ!」
ハーシュが吐き捨てるようにジーナを罵った。
「そ、そんな……あ、アタシ貴方の為に……父さんと、母さんを……裏切ったのに……。
お願い、アタシを捨てないで……助けて……ハーシュ……!」
ジーナは顔を歪めてハーシュに訴える。
ジーナの言葉を聞き逃さなかったのはガルシアだ。
「父と母を裏切った、だと?……おい貴様等、ロイドとターサに何をした?!」
「……父さん、母さん……に……石になって貰ったの……。アタシには……力は引き継がれなかったから。
父さんと、母さんは……力が有ったから……その子を飛ばす……力に……!
そこまで、したのに……捨てないって、言ってくれたのに……ハーシュ、貴方は、アタシを捨てるの……?」
泣きながらうわ言のように言葉を絞り出すジーナに、ディルクが歯軋りをして吐き捨てる。
「愚かな……っ!父母を贄にしたのか……魔石を作り出したなっ!禁断の技を……馬鹿者共がっ!」
声を荒げた衝撃で傷が痛んだのか、ディルクは顔をしかめ体を丸める。
「先生、動かないで!……もう少し、もう少しですから……」
クロエは周りの話に耳を貸さず、ひたすら傷口を癒し続ける。
「クロエ様、あぁ何とお優しいのか……是非是非貴女には我等の元にお越しいただかねばなりませぬ!
我等は貴女がこの世界に降りられる前より、貴女をお探し申していたのです。
腐った貴族が牛耳り、力無き者が食い物にされるこの世界を、その御力で貴女が正していく姿を見るために、我等は貴女の手足となって動き共に有りたいと願って、貴女を探していたのです……!
未だ貴女は私達を信じきれぬかもしれませぬが、我等は嘘は申しません。貴女はあのガルシアとか言う男の娘ではありません!
あのガルシアと妻のコレットとか言う女がインフィオラーレの領主夫人の療養先の屋敷から生まれたばかりの貴女を連れ出したのですから!
間違いありません、我等の仲間が確認しています!
どうか、どうか我等を信じて、その尊き御身を我等にお守り申させて下さいませ!」
ハーシュがディルクを癒し続けるクロエをうっとりと見つめながら、クロエにひたすら語りかける。
しかしクロエはハーシュを一瞥もせず、ディルクに小声で話し掛ける。
「……何とか傷は塞ぎました。ですが流れた大量の血は元に戻りません。
静かなところに先生を移さなければ、命にかかわります。どうか動かないで下さい。
それにアタシが塞いだ傷は油断すると開いてしまいます。安静は必須です。良いですね、先生?」
クロエの冷静な言葉にディルクは目を丸くして頷く。
「お主は……わかった、言う通りにしよう、動かぬようにする」
クロエは頷き、父に声を張り上げる。
「直ぐに助けをっ!先生は動かせませんっ!
ジェラルド様に助けをお願いして、父さんっ!
アタシは先生から離れるわけにいかないの、アタシが先生の命綱だからっ!お願い、急いでっ!」
クロエの叫びにガルシアが応える。
「大丈夫だ、既に手の者を召集したっ!もう間もなくここに来る、それまで油断するな!……コリン、どうした?!」
「父さん……僕は大丈夫だから。早くクロエの元に……!クロエを一人にしては駄目だ!僕を置いて、早く……!」
「コリン、すまない!わかったっ!」
ガルシアはそっとコリンをその場に下ろすと、クロエの元に向かおうとする。
しかしそんなガルシアに対し、クロエから反応を貰えずに苛立ったハーシュが毒を吐く。
「フン、白々しい!親子ごっこですか、見苦しい。
クロエ様、大義の為なら我等は手段を選んでいられません。
そこの愚かな女を私が利用したのも確か。ですが大事の前の小事です。
大義を前に我等は躊躇などしてはならないのです。
貴女に我等の元へ来る事をご決断頂くには、もう一手必要と見えます。
……インフィオラーレの貴女の実の姉の元に今、そこのガルシアの娘も居る筈。
貴女が又森にお隠れになると言うのなら、我等は無為の血を流さざるを得なくなります。
……良いのですか、貴女の姉を名乗っていたあの娘に何かあっても?」
「っ?!貴様……どこまで腐っているっ!」
「クロエ、耳を貸すなっ!聞いてはならぬっ!」
ガルシアがハーシュの呪いの言葉に噛み付き、ディルクがクロエに進言する。
だがクロエは目を見開いてハーシュを見つめ、唇を震わせる。
「あなた……まさかお姉ちゃんに何かするつもり?」
ハーシュはクロエが自分を認識したことに満足し、嬉しそうな笑顔で応える。
「ああ、漸く私を見てくださいましたね……怯えながらも果敢に行動なさる貴女は、気高く美しい。
その瞳に私が今映っている……何と言う幸せ!何と言う悦び!
あぁ、このまま死んでもいい……ですが低俗なコイツ等に貴女を渡したままには死ねませぬ。
さあどうかご決断を……貴女の大事な者達を苦しめたくは無いでしょう?
今は私を憎んでくださって良い……。ですが、私と共に来てくださればきっと貴女もご理解して下さいます。
どうか聡明なご判断を……クロエ様!」
ハーシュの言葉が次第にクロエの顔から表情を奪い取っていく。
そこにコリンの叫ぶ声が届く。
「クロエッ!姉ちゃんはそんなに弱くないっ!兄ちゃんだって、僕だって、お前を守るために今まで頑張ってきたんだ!
そんな奴に惑わされるな、お前は僕達が守るからっ!」
コリンが痛む脇腹を押さえて膝をつきながらも、立ち上がろうとしていた。
「お兄ちゃん……」
クロエはコリンに目を向け、泣きそうになる。
……だがコリンは彼女にだけは決して言ってはならない言葉を発してしまった。
「例え死んでも僕はお前を守るからっ!」
兄のその言葉に、クロエは体を固くした。
“魔石”は間違いではありません。この世界で自然に育まれて出来た魔力を含有した石は“魔晶石”、強い魔力を持つもの(魔力を使える人や動物等)を贄として秘術等を使い人工的に作られた石を“魔石”としています。
ハーシュは自身を20歳と言っていましたが、嘘です。彼は何らかの術を使い、姿を少し若く見せています。この話の中にチラホラ出てきた、とあるカルト教団の信者です。
なるべく早く更新します。