175. 黒髪の秘密、その2
お読みくださりありがとうございます。
前話の続きです。
「母体……?アナスタシア様の命と身体を守るために……結婚?」
呆然とオーウェンの言葉を繰り返すクロエ。
オーウェンはそんなクロエを辛そうに見ながら、話を再開する。
「きつい話ですまない。
……母さんは黒髪の力を欲する者達に、狙われていた。
フェリークは神秘の森を持つ緑豊かな領地だ。裕福な領主の娘に生まれた母は、野心的な貴族達にとって格好の獲物だった。
家格も程好く、資産も見込め、魔力に至っては極上の娘。
……母を巡って熾烈な争いが起きるのは当然の成り行きだった。
母に近寄る者はほぼ何らかの命を請けていた。女であれ子供であれ……。
疑えば疑うほど周りが全て母を狙う者達に見えてきて、あの人は気の休まる時が無かっただろう。
勿論、祖父母も曾祖父も母を守るために必死だった。
伯父上も友人が妹を狙う輩に見えて、疑心暗鬼になっていったそうだ。
……そんな時、母を狙った奴等が身内を傷付ける事件を引き起こした。
祖母が母を庇って毒を飲んだんだ」
「グ、グレース様が?!」
「祖母は身体が弱い。元々あまり丈夫な方では無かったらしいが、でも今ほどではなかった。
祖母の身体があそこまで虚弱になったのは、その毒の後遺症なんだ。
母の数少ない友人が引き起こした事件だった。
その友人の恋人が母に懸想したのが始まりだった。婚姻寸前でその身体も捧げていた恋人が、母を手に入れるためにその友人を捨てたんだ。
母のせいで無いのは、その友人だって分かっていた。
だが母の元に連日押し掛け求婚し、挙げ句の果て屋敷に不法侵入したそいつは騎士団に拘束され、怒り狂った祖父から断罪されて、その家からも勘当されたんだ。
結局身を持ち崩したその馬鹿は、酒場でゴロツキ共と揉めて、刺されて死んだ。
既にそいつの仕打ちで傷付けられボロボロだった友人の心は、皮肉にもそいつの死で壊れてしまったんだ。
ある日屋敷にやって来た友人は、手土産の酒を共に飲んでほしいと母に頼んだ。
母は友人の様子がまともじゃないのが分かっていたから、とにかく帰って身体を休めるようにと気遣ったそうだ。
すると友人は烈火のごとく怒りだして、母に酒を飲まねば自身がこの場で自殺すると喚き出したんだ。
従者達も必死で友人を止めようとしたが、手に持った小刀を振り回し、誰も近づけなかった。
母に早く酒を飲めと自分の首に小刀を当てて迫り、母は友人の命を失いたくはないとその酒を飲む覚悟を決めた。
その時飛び込んできた祖母が
「こんなことをしても貴女の失った大切な者は戻らない。
私の可愛い娘を奪わないで!
酒なら母の私が飲みます。貴女は私の苦しむ姿を見て、自分の犯した罪を思い知りなさい!」
と友人に言い放つと、母から杯を奪って酒を煽ったんだ。
やはり酒には毒が盛られていて、祖母はその場で倒れた。
その姿を見て母は泣き叫び、友人は自分のしでかしたことに堪えられず、とうとう発狂してしまった。
この騒ぎで念のため手配した医師が屋敷にいたお陰で、直ぐにその場で毒を吐き出させる事が出来たから祖母は助かったんだ。
だがこの事で母がすっかり参ってしまった。
早く自分を修道院に入れてくれと祖父に泣いて頼むようになったんだ。
だけど修道院に入ったところで、母を狙う輩が諦める筈がない。修道院に押し入って母を拉致するに決まっている。
さりとて母を任せるにしても、求婚してくるどの貴族も母を大事にしてくれそうに無い。
祖父は悩み抜いた末、先生に相談した。
相談を受けた先生は、父に母を娶らせる案を提示した。
筆頭侯爵家嫡男の父にはその時、王家から王女の降嫁の話もあったらしいんだけどね。
だが、尊敬する先生から母の話を持ち掛けられ、父は即決した。
元々父は母のことを気にかけてはいたらしい。黒髪の事を抜きにしても母は美人だし、父は母に少し惹かれてたんだ。
でも母を巡る争いに首を突っ込む気にはなれなかったそうだ。
しかし先生から事情を知らされた父は直ぐ様行動を開始した。
祖父と伯父上の元に行き、今すぐ母を自分の屋敷に匿いたいと申し出た。その上でしかるべき頃合いに母を娶りたいと頭を下げた。
祖父と伯父上はこの婚姻しか母を守る手立ては無いと、輩達に悟られる前にと母をその日の内にインフィオラーレに旅立たせたんだ。
道中は父と伯父上が付きっきりで警護し、インフィオラーレまではコレットさんが母の側仕えとして付いて下さったそうだ。
コレットさんは母にとって数少ない信頼がおける女性だったし、一般人でも魔力行使が出来る希少な人だからね。
父に表立って喧嘩を売れる貴族などいない。そんなことをしたら容赦なく潰されてしまう。家格が違いすぎるんだ。
それにインフィオラーレはこの国で一番の大領地だから、反目したら何かと不都合が生じる。
王家から降嫁の話を持ち掛けられる位、王族とも良好な関係を築いていたしね。
ともかく母は父との婚姻により、漸く落ち着くことが出来たんだ。
……僕が生まれるまでは」
オーウェンはそう言って唇を噛み締めた。
クロエはオーウェンを気遣うように彼の手に自分の手を伸ばす。
優しく彼の手を握ると、オーウェンは微かに震えてからその手を握り返した。
「2人の間に生まれた僕の髪は、完全な黒髪だった。
母を狙っていた輩達はそれを知ると又蠢き出したんだ。
何とかして母を手に入れて自分の子を産ませたいと云う輩と、僕を手に入れて手駒にして何れは娘の相手にしようと云う輩と……。
祖父と伯父上が味わってきた苦しみを、今度は父が味わうことになった。
だが父は強い。頭も切れるし力もある。おまけに保有魔力も母に匹敵する。
母は魔力量こそ多いがその優しい性質故、攻撃魔法の行使適性が無かったんだ。だから自身を守る守護魔法しか行使出来ない。
そんな母と生まれたばかりの僕を守るために、父は思う存分持てる力を発揮した。
時には襲撃にあったりもしたが、大抵の企みは決行前に父や祖父、伯父上、先生達により潰されていったんだ。
だが、母を狙う奴も僕を狙う奴も未だ居る。
まぁ僕も、今漸く自分を守れる程度には敵を迎撃出来る魔力行使が可能となったから、僕については未だ良い。
残念だが母は、恐らく年老いるまで狙われるだろう。
父や僕がついているから何とか凌いでいくけどね。
そしてエレオも母の血を継いでいる娘だから、黒髪の子を産めるかもしれないと狙われているんだ。母や僕ほどでは無いにせよ、ね。
……黒髪ってだけで、これだけの危険に晒されるんだよ。哀しいことだけどね。
もし妹が生きていたら、正直どれ程の輩が彼女を狙って来ただろうかと考えると、恐ろしいくらいだ。
だけど、それでも僕は“あの子”をこの手で守りたかった。
……もう叶わないことだけど」
オーウェンは哀しそうにクロエを見つめ、その手を又改めて握り締めた。
クロエも沈痛な面持ちでオーウェンを見つめ返す。
「……妹さんはオーウェンお兄ちゃんの気持ちをきっと喜んでいるよ。そして感謝してると思う。
アタシも前の世界で亡くなった後、家族の思いを知ってありがたく思ったし、もっと一緒に生きたかったって思ったもの。
一度死んだアタシが言うんだから間違いないよ。
きっと妹さんも、オーウェンお兄ちゃんやエレオお姉ちゃんと一緒に生きたかったろうな……アタシも妹さんに逢いたかったよ。
……世の中儘ならないもんだよね」
オーウェンはクロエの言葉にハッとする。
さっき聞いたばかりだが、この子は異世界で死を迎え、この世界に転生したのだ。
それがどれ程の苦しみだったか、オーウェンには分からない。
さぞ辛かったろう、苦しかったろう、悔しかったろうとは思っても、オーウェンは死を知らないから想像がつかない。
でも今クロエが自分に言ってくれた言葉は、本物だ。
その身で苦しみを味わった者だからこその言葉の重みを感じる。
そしてその言葉は例えクロエの為とは云え、自分の吐いた嘘を心から悼んでくれてのものだ。
嘘を吐かなければならない自分に嫌気がさす。
そんなオーウェンの心の動揺に気づいたリュシアンが目配せをする。
オーウェンはその合図にコクンと頷き、頭を一振りして気持ちを切り替える。
「ごめん。気を遣わせたね。話を戻そう。
ねぇクロエ、僕の話はそっくりそのまま君にも起こることなんだ。
だけど、幸い君は存在を未だ世に知られていない。
僕は立場上知られたのでしょうがないが、君は存在を隠し通そうとすれば隠し通せるんだ。
黒き森に居れば大丈夫なんだよ。
だけどそれは外の世界を見ることが出来ないと云うことでもある。
ずっと森に閉じ込められるに等しいんだ。
兄姉はこの森を巣立って行くが、君は命を大事にするならこの森に居るのが一番安全なんだ。
そしてその行為は君の家族を守る事にも繋がる。
ミラベルもエレオの様に狙われるだろうからね。
……こんなことは言いたくないんだけど、僕は君に僕のような思いをさせたくはないんだよ」
「オーウェンお兄ちゃん……。
そうだね。確かにお兄ちゃんの言う通り、アタシはこのままずっと森に居るのが一番みたい。
家族を危険に晒すわけにはいかないわ。
黒髪のアタシは姿を見せてはいけないのよね。
……フフ、この世界に転生した時ね、アタシ心に決めたことが有ったの。
前の世界では25歳で死んだでしょ?
積極性も無かったからホントに世界を知らなかったの。
それでもそれなりに幸せで楽しく過ごせていたんだけど、転生した今の人生はやりたいこと全てやろうって決めてたの。
世界を隅々まで見て歩いて、色んな人達と交流して、色んな体験をしたいなぁ、て。
だけど……それはどうやら無理みたい。
残念だけど仕方無いよね、ハハ……」
クロエはオーウェンに強張った笑顔を向けると、そのまま下を向いた。
「クロエ……」
オーウェンは哀しそうに彼女を見つめた後、すがるように視線をリュシアンに向ける。
リュシアンはオーウェンに微かな笑みを浮かべて頷くと、クロエの肩をポンポンと叩いた。
「うん、クロエちゃんは冷静な判断能力が有るようで良かったよ。
夢を諦めるのは辛いだろうに、良くオーウェンの助言を聞き入れてくれたね。
なら、そんな健気な君には僕達も精一杯力を貸すよ。
大丈夫、今すぐには無理でも、時が来たら君も外の世界を見て歩けるようにしてあげる。
要は黒髪を隠せば良いんだ。
簡単な話なんだよ」
リュシアンの言葉を聞いたクロエは、彼を見上げながら首を振る。
「まさか髪を染めるんですか?
でもそれはバレやすいんじゃないかな。
それに髪は直ぐに伸びますし、黒髪自体染まりにくいと思うんですけど。
……前の世界の知識ですが。
カツラって手もありますが、カツラは外れたら終わりですし。
やっぱり難しいですよ」
クロエが苦笑しながらリュシアンに言葉を返す。
リュシアンはウィンクをして、クロエに笑い掛ける。
「この世界は魔力がものを言う世界なんだよ、クロエちゃん?
大丈夫、魔術法具で君の髪の色を変えれば良いんだ。
ここには物作りを得意とする僕と先生が居る。
僕達で君の髪色を変える為の法具を開発する」
リュシアンの言葉にクロエは目を丸くした。
「魔法で……髪色を変える?!」
なるべく早く更新します。