153. 兄姉の思い
お読みくださりありがとうございます。
オーウェンは老教師、エレオノーラはミラベルに慰められます。
コリン君は果たして……?
勉強部屋に誘われたオーウェンは、勧められるまま椅子に座る。
ディルクも無言のまま2人分のお茶を入れ、オーウェンと向かい合わせに座った。
だが、オーウェンは俯いたまま、一言も喋らない。
ディルクは一口お茶を飲み、そんな彼の様子を静かに見つめていたが、やがてゆっくりと目の前の少年に声を掛けた。
「なぁ、オーウェン。クロエを見ていると、次第に自分が無力に思えてくるであろう?あの子は次から次に思いもよらないものを見せてくれるでの。
実は儂も其方と同じ様に、あの子の凄い能力を見て、自信を無くしたことがあってな。焦るあまりにあの子に辛い思いをさせてしもうた事があるんじゃよ。
……その時の事を思い出すと、ホンに情けないんじゃがな。
まぁあの子を見て自信を無くすのは、其方だけではないと言うことじゃ。あまり落ち込むな」
労るようなその声に、オーウェンは漸く顔をあげた。
「先生がクロエを見て、自信を無くしたのですか?」
オーウェンが信じられないと言う表情を浮かべて、恩師に問う。
ディルクが苦笑を浮かべ、頭を掻く。
「あぁ。自信を無くしたと言うか、ふてくされたと言うか……。
儂の知らない能力をあの子が持っていると解った時、あの子から信頼を得ていると思っておった儂は、嘘を吐かれたと思い込んでしもうてな。
心乱した儂は、己の力に悩み苦しんでいた年端もいかぬ子に対して、師であるのに教え子にあらぬ疑いの目を向け、ひどい言葉で突き放したのだ。
あの子なりの言えぬ理由があったのだが、そんな事にも考えが及ばず酷く責めてしもうた。……愚かであろう?
これで知恵者とは笑わせるわ。
卑屈で狭量な年寄りでしかない自分を自覚し、なけなしの自信はポッキリ折れた。
まこと情けない自分に辟易したよ。
経験を積んできた儂ですら、あの子を見ていてそうなったのだ。
優秀な其方でも、悩み自信を無くすのも無理はない」
ディルクは自嘲の笑みを漏らし、又お茶を飲んだ。
「そう、でしたか。クロエは本当に凄い子なんですね。
僕程度なら落ち込んで道理、か……」
オーウェンがそう溢す。
ディルクがそんな彼に又話し出す。
「あぁ確かに凄い子じゃ。
しかしオーウェン、其方は一つ心得違いをしておる。
自分とクロエの力の強弱や希少度等を比べても、何の意味もないのだぞ。解るか?
仮にそれで自分が勝ったからと言って、一体それが何なのだ。……単に兄の其方の自尊心がくすぐられるだけの話だ。
クロエに頼られたいと思う気持ちは解るが、だが自分の力があの子より弱ければあの子を守れぬのか。そんなことは無いだろう?
例えどんなに力が弱くとも、又力自体無くとも、大事なものは守らなければなるまい。
そもそもあの子から何かを守るのではなく、何かからあの子を守るのだからな。
寧ろ守られる対象が少しでも強い方が、守る側としては有り難いではないか。鉄壁の守りなど所詮出来はしないものだ。
勿論楯や矛となりあの子を守るが、何が起こるか解らないのが世の常。
掻い潜った魔手がいつあの子に到達するやも知れぬ。
守る我等は己を鍛え上げそれを阻止しなければならないが、守られるあの子自身も強くなれば、より確実にあの子は敵の手から守れると言うもの。……なのだがな」
オーウェンの目を見ながら、老教師は静かに言葉を続ける。
「実は、今儂はあの子が自分の身を守れると言うたが、それは怪しい。
恐らくあの子の中にどんなに強力で膨大な力があっても、あの子はその力で他者への攻撃はおろか自身を守るための迎撃すらできぬだろう。
あの子には自己防衛の為であっても、他者を傷付ける行為は恐らく無理だ」
ディルクの言葉にオーウェンが驚く。
「何故?!クロエが優しい子だと承知していますが、自分を守るための攻撃ですら無理なんて、それは……!」
オーウェンの半ば非難じみた反応にディルクは沈痛な表情となる。
「それがあの子なんだよ、オーウェン。……訳は未だ言えぬがな。
あの子は自分の身を守ることが出来ない子だと儂は考えておる。
其方とクロエの魔力は確かに属性や質は同じだ。恐らく其方に次いで魔力量も豊潤であろう。
通常であればあの子自身で敵を払い除ける事が可能だと、考えて当然の力量の持ち主でもある。
だが……あの子は周りの者の為の防御か周りの者の力を補助するしか出来ぬだろう。それがあの子の持って生れた特性。
あの子のとてつもない力は他の者の為にしか効を奏さぬ。とても危うい存在だ。
だからあの子を守りたくば、それを心せよ。あの子は自らを守れぬ。……守らぬと。
ライリーが言っておったが非常に厄介で難儀な特性の持ち主なんだよ、其方の妹は。
今まで通り其方はあの子を守る力をつけるため、自らの研鑽に励め。其方が落ち込んでる暇など無いのだからな。時はあっという間に過ぎるぞ。
あの子がその命を終えるまで、この森に閉じ込めればおそらく守れるだろう。
しかしそれでは牢獄と何ら変わり無い。
いつかはあの子もこの森の外に出るときが来る。
その時までに其方等は、他者の追随を許さぬ知識や力、折れぬ心を養え。
宝は周りが守らねば、容易く敵の手に堕ちるものと思え。
宝は他者を弑しめることに於いては、何の力も持たぬと考えよ。
そんなあの子を今後守りぬくのだ。簡単なことではない。
解るか、オーウェン」
ディルクの真摯な言葉に只呆然とするオーウェン。
漸くその口から出た言葉はとても苦しげなものだった。
「あの子を森に閉じ込めれば守れる……。出したら、どうなるのか。
クロエはやはり僕達の元に戻せないのか……!
いや、でもそうと決まったわけではない。
今は未だ幼すぎて考えられないかもしれないが、成長すれば現状を認識し、あの子も身を守れるようになるんじゃないですか?
あの子は賢い子なんです。
きっと成長すれば……。
勿論、僕達も鍛練しますが……」
そう言うオーウェンをディルクは静かに見つめ
「確かにな。成長すれば……、あの子は賢いからな」
と小さく頷く。
オーウェンは漸く表情を緩めた。
「そうですよ。未来は誰にもわからない。
クロエは凄い力を持っている賢い子なんですから、心だって強くなります。敵を払い除ける事だって出来るようになりますよ。
今は森にいる限り大丈夫。
だがいずれ僕達もあの子も成長すれば、きっと外でもあの子を守れるようになります。
あの子がある程度身を守れるようになれば、もっと確実に。
そうなれば、あの子は本来の家に、家族の元に帰れる……!
確かに落ち込んでる暇などありませんね。僕が愚かでした。
余計な事は考えず、あの子を守れるように精進します。
お手を煩わせすみません。先生とお話して気持ちが落ち着きました」
オーウェンは冷めたお茶に手を伸ばし、一口飲んだ。
「あ、さっきの話で気になったのですが、ライリーがクロエの特性についてとても理解があるようでしたね。
……先生が話されたのですか?」
「いや、ライリーはあの子を見ていて気付いたらしい。
アレもクロエが居るから目立たぬが、相当に規格外な子供だからな」
「確かに。僕もあんな子供は初めてです。どうしてこんな森の中であそこまで優秀な子供が育つんでしょうか。
ライリーを見ていると正直焦ります。僕の方が年も上なのに、全てに於いて僕より優秀ですから。
あぁ、確かに落ち込んでなんか居られないな。
もっと僕は頑張らなきゃ!」
オーウェンが漸く普段の調子に戻って来た。
それを微笑みながら見つめるディルク。
しかし老教師の心中は複雑だった。
(クロエが成長すれば、な。だが恐らく無理だ、オーウェン。
既にあの子の精神は大人。前の世界で培われた価値観を書き換える事は出来ぬだろう。
あの子は他者を傷付けるくらいなら自分の身を投げ出す。
既にそれで一度命を落とし、その事を後悔もしていない。
こちらの世界の者では理解できぬ話だ。
クロエの過去をオーウェンに話していいものか、未だ判断がつかぬ。
受け入れられるとは思えぬからな。
オーウェンが普通なんだろう。
ライリーの精神力はやはりまともではない。
況してほぼ自身でクロエを見抜いたに等しいからな。
あれも不思議な子供じゃ……)
ディルクは又一つ小さく息を吐き、お茶を飲んだ。
一方、女の子部屋に下がったミラベルとエレオノーラ。
ミラベルが甲斐甲斐しくエレオノーラを労りながら、椅子に座らせる。
自分も椅子をエレオノーラの横に近付け、彼女の肩を撫でる。
「ホントにごめんなさい、コリンが馬鹿な事を言って。
オーウェンお兄ちゃんとエレオちゃんが辛い思いをして、クロエをウチに預けたなんて、夢にも思ってない子だから……。
母さんがしっかり叱ってくれるから、コリンを許してやって。
でも腹が立つわよね。たがらアタシにイライラを吐き出して?
あのバカの代わりだと思って、罵倒してくれて良いから!
エレオちゃん、悔しく思って当たり前なんだもの。
クロエは本当は貴女の大事な妹なんだから。
ね、エレオちゃん?」
ミラベルの言葉にエレオノーラが首を小さく振る。
「ううん、わたくしは本当に大丈夫ですわ。
寧ろコリンの言葉は、的を得ていてよ。
クロエは生まれてすぐ、貴女達の家に引き取られたわ。
あの子を守る為には仕方無いと言う判断で。
でも、事実としてわたくしたちはあの子を見捨てたに等しい。
抱くこともせず、声も掛けず、姿も見せず……。それで姉なんて言えませんもの。
クロエに家族の温かさを与えてくれていたのは、コリンでありミラベル貴女であり、シェルビー家の方達よ。
ミラベル、貴女がクロエのお姉さんですのよ。
わたくしは違いますわ、血の繋りがあるだけの他人……なのです。
コリンは間違っていませんわ……」
震える声で呟くエレオノーラに、ミラベルが大きな声で否定する。
「馬鹿なこと言わないで!間違いまくりよ、エレオちゃん!
クロエを泣く泣く手離して苦しい思いをして、でもどうしても会いたくて会いたくてこんな遠い森までやって来たんでしょう!
そんな愛情深い貴女が他人だなんて、そんな悲しいこと言わないで!
…。貴女は立派な姉よ、貴女が否定しようとアタシが認めるわ。
アタシね、以前は貴女の存在が怖かったの。
貴女の大事な妹をアタシが取り上げて、貴女を差し置いてあの子と楽しく過ごしているなんて、きっと恨まれて当然だって。
クロエの本当の姉でもないのに、姉だと名乗ってる自分がとても嫌で……いつか真実をクロエが知ったら、きっとアタシを嫌いになるだろうって。
だけど、先生の例え話を聞いたクロエはこう言ってくれたの。
もし仮にアタシが姉と嘘をついていたとしても、それはクロエを思う優しい嘘だから嬉しい。
有り難いと思いこそすれ、怒ったり恨んだりなんて出来ない。
本当の姉がいて名乗らずクロエに会いに来てくれたとしたら、それも嬉しい。
名乗らずに会いに来るなんて、辛さが増すだけだろうに、それでも会いに来てくれたなんて、嬉しいとしか思えない。
姉は1人じゃない。2人居ても良いじゃないか。血の繋がりやそんなことは関係ない。
今クロエ自身が見て聞いたことだけが真実だって。
……例え話では兄だったし、勿論アタシ達やエレオちゃん達の事は何も言ってないよ?
だけどそれを聞いてアタシ、ホントに嬉しくて!
エレオちゃんにも聞かせてあげたかった。
クロエは見捨てたなんて思わない子よ。賢くて優しい素敵な妹。
エレオちゃんが本当のお姉さんだって知ったら、きっと嬉しくて大はしゃぎするわ!
アタシの事もその上でお姉ちゃんだって慕ってくれる子だよ。
だからそんな悲しいことはもう2度と言わないで。
クロエが知ったら泣いちゃうよ?」
ミラベルの言葉にエレオノーラが顔をあげて、口を押さえる。
「クロエがそんなことを……本当に?
わたくしを姉だと知ったら喜んでくれますの?
本当に……本当にそうならどんなに嬉しいか……!」
そう言って顔を覆うエレオノーラ。
「本当よ、嘘なんて吐かないわ。
大事な友達でお互い姉同士よ?
アタシ、クロエに感謝してる。エレオちゃんと知り合えて仲良くなれた。
欲しかった妹と欲しかった友達が出来た!アタシは2人のお陰で幸せになれたのよ。
アタシ、2人の為なら何でも出来る。いつかきっとエレオちゃんの元にクロエを返すわ。
だから耐えよう?頑張ろう?
アタシ、その日が来るまでクロエを守るから。エレオちゃんも強くなって、待っていて?ね!」
ミラベルの言葉にエレオノーラは頷きながら、彼女にしがみついて声を圧し殺して泣き出した。
「声出して泣いて良いよ、エレオちゃん。今までずっと我慢してきたんでしょ。辛かったよね。
次いでにあの馬鹿弟に泣き声聞かせてやろう!バンバン泣いちゃえ!
コリンがエレオちゃんを泣かしたって反省させるのに良いし。
アイツは少しクロエにくっつき過ぎなのよね、調子に乗ってるのよ!
ね、だから遠慮せず声出して泣いちゃえ~!」
ミラベルの励まし(?)に、エレオノーラはウワァーーン!と大声をあげて泣き出した。
コンコンと扉がノックされ、そうっとガルシアが入って来る。
泣いているエレオノーラは気付かず、ミラベルは父にシッと合図を送る。
ガルシアが頷き、テーブルにミルクを淹れたカップを2つ静かに置くと、又音を立てずに部屋を出ていった。
父を見送ったミラベルは、エレオノーラを優しく慰めながら、彼女が泣くのを止めずに只、抱き締め続けたのだった。
こちらは客間にしょっぴかれたコリンと、母のコレット。
コレットがクドクドとお説教をしていたその時、部屋の外から女の子の泣き声が聞こえてきた。
「エレオちゃん……可哀想に。余程辛かったのね……。聞いていて胸が痛くなる声だわ。
コリンッ!貴方あの声を聞いてなんとも思わないの!
貴方の心無い一言でエレオちゃんはとても傷ついたのよっ!
わかってるの?」
「だ、だってホントの事言っただけなのに~!何で泣くの~?」
「だから言ったでしょ!亡くなった妹さんにクロエはとても似てるの!
エレオちゃんは妹がとても大事で大好きだったの!貴方もクロエが大好きでしょ?
……でも、エレオちゃんはもう妹に会えないの。
だからせめて、妹に似たクロエに会いたくて会いたくてこんな遠くまでやって来てくれたのよ?
母さん、聞いて涙が出たわ……。
なのに貴方は~!
あの可哀想な泣き声を聞いて、少しは反省しなさいっ!この馬鹿っ!」
そこへ扉が開いて、ガルシアが入ってきた。
「貴方、エレオちゃんは……?」
「ミラベルが慰めている。俺も可哀想で見ていられんから、直ぐに部屋を出てきたんだよ。
辛かったんだろうな、可哀想に。
……コリン、お前女の子を泣かせたな?男として最低だ。父さんは情けないぞ。
帰ってきたクロエが知ったらきっと悲しむだろうな……。
コリンお兄ちゃん、酷い!ってお前を詰るかもな~。
人の気持ちをもっと考えなきゃ……」
ガルシアの言葉にコリンがガバッと父にしがみついて叫ぶ。
「クロエが悲しむっ?!詰る?!
ど、どうしよう!僕、クロエに嫌われたら生きていけないよ!
どうしたら良い?ねぇ母さん父さん!僕、とんでもないことしちゃった……!
僕、エレオ姉ちゃんに謝る!土下座でも何でもする!許してくれるまで何度でも謝るから!
もう2度とあんなこと言わない!
だからクロエに嫌われないようにどうしたら良いか教えてーーっ!
嫌だぁ!ウワァーー!」
頭を抱えてうずくまり、泣き出すコリン。
コリンのパニック状態に唖然とする両親。
「……とんでもない効き目ね、ガルシア。クロエの名前を出したら、途端によ?
私がどんなに話しても理解できないみたいだったのに!」
「俺もビックリだ。コリンにはクロエが一番効くな。
……これからはこれで行こう」
両親の呆れ顔を余所に、コリンは自分の失言が招こうとしている恐ろしい結末を、何が何でも回避したいと泣きながら必死に考え、両親にすがり付いて助けを乞うのだった。
エレオノーラはコリンを快く許しました。が、ミラベルは許しません。
これから何日かはこのネタでコリンを脅し続けます。
エレオノーラがそんなミラベルを止める、それを見たコリンは漸く真の意味で反省し、エレオノーラに本当に申し訳無かったと謝るのです。
クロエは全く何があったのか解らなくて、いつも首をかしげることになります。
オーウェンはライリーをよく観察するようになります。自分を反省し、何が自分には足りないのかライリーを見て考えていくのです。
その内彼のなかに変化が訪れます。その話は又後に。
なるべく早く更新します。