132. 森の意志
お読みくださりありがとうございます。
クロエさんのトンでも行動で、てんやわんやと大騒ぎの森の家。ですが彼等はここで森の脅威に触れることになります。何もできないもどかしさに臍を噛むお話です。
一方、こちらは森に飛び出したガルシア。
彼は家の敷地から足を踏み出して森の領域にと進んでいく。家の敷地から緩やかに結界の層が次第に厚く彼に纏わり付いてくる。
家の敷地から1歩か2歩出た程度では森の結界は発動しない。緩やかに結界のカーテンが森を進むに連れ、その者に掛かっていくのである。
森から“守り人”としてこの神域足る森で住まうことを許された者は、非常に厳しい誓約を森と結んでいる。
ガルシアがジェラルドの家に引き取られた際は、まさか王都でたまたま見つけた浮浪児がこの様な力を持っている等と誰も思わなかった。
実はガルシアの前には“真”の守り人は居なかった。
ジェラルドが領主と云うことで森は近付くことを許しはしたし、又極たまにだが森の中に入ることを許される時もあったのだが、ガルシアの様に彼は森の中に滞在を許された事はない。
ジェラルド達が出来たことは、ただ敵意を見せずに従順に、森の“中”まで踏み込まずに森と人の領域の境目を探る事と、たまに森が許した範囲に入る事のみが精一杯だったのだ。
ある日、たまたまその仕事に少年となったガルシアを同行させたことで、思わぬ変化が起きた。
何も知らない筈のガルシアが、ジェラルド達が苦労して探り何とか推定した森と人との世界の境界線を、小さな彼はいとも簡単に越えて森の中に踏み込んでいくのだ。
ジェラルド達も行こうとするが、ガルシア以外の者は目に見えぬ何か……“結界”に体の自由が奪われ、彼の後に続けない。
少年のガルシアは、ある一定の位置から動かないジェラルド達を見て彼等がふざけているのかと訝しんでいたが、やがて何かに反応し森を見つめて立ち尽くす。
「誰だ……呼んでるのは」
呟いてガルシアは森を見据える。
ジェラルド達には何も聞こえなかったが、少年の耳には何らかの声が聞こえているようだ。
ガルシアは動けぬジェラルドに振り向き
「何か呼んでるから、僕行ってみます。あ、ジェラルド様達はここで居てください。
僕しかこの先動けないだろうってソレが言ってるし。
悪いものじゃ無いと思います。取り敢えず来いって。
じゃあ、行ってきまーす!」
と言うとジェラルド達が止める間も無く、少年は森の中へと軽やかに駆けていった。
……それがガルシアと森との最初の出会い。
“守り人”ガルシアは、家から森の領域に完全に変わった地点まで進んで漸く足を止める。
強張った口調で森に問う。
「あの子をどこに隠したのですか……」
暫しの間。
「私達の子供です。例え血を成さなくとも!
帰してください……どれだけ賢くとも未だ1歳の赤子なのですよ……!」
又、暫しの間。
「……無事なのはわかっています。だが今すぐあの子を私達に帰してくれ!
何故、こんな!
……誓約を成さない者に何故領域への歩みを許したのです?
そんな事は有り得ない、それを一番知っているのは私だ!
まさか赤子に誓約を交わさせるつもりですか!
では私との誓約はどうなるのです!
私が守りたい者達には何もしないのでは無かったのですかっ!」
ギリッと歯を食い縛り、森を見回すガルシア。
又、暫しの間。
ガルシアは肩を落とし、片手で顔を覆うとハァと嘆息する。
「……解りました。待ちます。
だが速く、必ず無事に戻してください。
……何とか普段通りに過ごす様にはしましょう。家族達は私が抑えます。
だが愛する家族の行方が知れぬまま普段通りに過ごすなど、我等には耐えられない責め苦です。
……人はそれほど強くはありません。
……今後は必ず知らせを」
又々暫しの間。
「……!解らぬ等とっ!
一体あの子に何を見ているのです?何が狙いなのですか?
………チッ…切れたか」
吐き捨てるように呟いたガルシアは虚空を睨んでいたが、やがて一つ頭を振ると踵を返して家に戻っていった。
「貴方……!どうだった?クロエは……?」
玄関を開けると待ちわびた妻のコレットが、客間から飛び出してきた。
ガルシアは妻を辛そうに見つめ
「……皆客間だな?そこで話そう。さあ、お前も……」
と言ってコレットの背に腕を優しく回し、客間へ誘う。
コレットが顔を歪め
「……居ないの?あの子は……見つからないの?」
とガルシアを見上げ、唇を震わせる。
ガルシアはギリッと歯を食い縛り
「……無事で居るのだけは確かだ。行方は森で間違いない。
……全てを話せないが、説明はする。さ、早く」
とコレットの背を押す。
客間の中に入ると、子供達とディルクが一斉にガルシアに視線を向ける。
ガルシアは皆の前に進むと
「……クロエは森に居る。間違いない、森が認めた。
無事だし、俺達の元に帰ってくる。それも大丈夫だ。
ただ、それは今ではない。
森がクロエを隠したのではなく、クロエから森に飛び込んで森が受け入れ匿ったというのが正しい。
……クロエが書いていたあの子だけが持つ力。それが何なのか、あの子が納得する答えを掴むまであの子自身が森から帰るつもりがないのだろう。
……その力については、森は何も言わなかった。だが否定はしなかったから、クロエの推測はある程度当たっているのだろう。
あの子の力について森は何かを知っている。
……森はクロエが関わると今までにない動きを見せる。
今は静観するしかないだろう。クロエはきっと無事に帰る。森は決してクロエに害をなすことはない。
……だから普段通りに過ごすんだ。クロエが戻っても直ぐに対処できるように。
良いな、皆。先生もよろしいですね?」
と感情を見せないで淡々と言い聞かせた。
ミラベルが信じられないという表情で立ち上り
「だ、だってあの子……森で一人でどうやって過ごすの!
食べ物だって寝るとこだって無いのよ!
水だってどうやって手に入れるの?!
アタシだって一人で森で過ごすなんて無理よ。クロエは尚更じゃない!
……獣だって居るのよ?森は厳しいっていつも父さん言ってるじゃない!
そんな……あの子一人でなんて……」
とガルシアに食って掛かり、その後顔を覆って崩れる様に座り込む。
ライリーがガルシアを見つめて
「森にとってクロエは特別なの?父さん。
僕達は父さんの言い付け通りにしか動けない。だけどこの前の視察の時も、クロエが一人で動いたら森が父さんの体に“降りた”だろう?
クロエの動きを森は見守っている。クロエを止めることもない。
一体森はクロエに何をさせたいの?」
と疑問をぶつける。
ガルシアは首を横に振り
「……わからん。お前の言う通り、森はクロエを特別視しているのは間違いない。
危害を加える気も一切無い事は解る。
だがあの子の力については、森は何も教えてくれはしなかった。
伺いを立てても何も返ってこなかったんだ。
森があの子を帰す気になるまで、俺達に出来ることは何もない。
早く戻せと言ったが、解らぬと意志が返ってきたんだ……」
と力無く答える。
ライリーは下を向きギリリッと歯軋りする。握りしめたままの拳は血の気がない。
ディルクがフラリと立ち上り
「すまなかったガルシアよ……。先程其方以外の者には説明したのだが、発端は儂が大人げなく拗ねてクロエに言った不用意な言動じゃ。
あの子は責任感の強い子だ。間違っても家族と儂を、自分のよくわからない力の犠牲にしたくないと考えた上での行動だったんじゃろう。
……儂が昨日の内に直ぐに詫びて、あの子に与えたその誤解を解いてさえいればこの様な事態にはならんかった。
……全ての責はこの儂にある。
だが、どうすれば良いのか……!
……とにかくジェラルドにはこの事を伝えねばなるまい。
すまぬが少々席を外す……」
と動こうとしたが、ガルシアに止められた。
「いえ、ジェラルド様には内密に。今、森の中に居る者だけにしか話してはならないと、そう森から命じられています。
……あの子が帰るまで、森の出入りは全て止めます。いつもの状態ではないのです。
森が人一人を飲み込んで隠しているのですから。
森にとっては、ジェラルド様達とて例外ではありません。全て森の外の者ですので。
……恐らくは魔術法具の通信も今使えなくなっている筈です。
普段通りに過ごしはしますが、決して通常ではありません。
かの地への出入りと畑仕事、家近辺の行動に制限はありません。
良いですね、先生。決して無茶はなさらないでください。森がどう動くか予想できませんから。
……皆もだ。クロエの帰りを祈るなら今は森の言う通りに。
わかったね?」
と家族と老教師に説明するガルシア。
家族と老教師はガルシアのその言葉に、自分達の居る森が人の力が及ばない神域であることを今更ながらに感じ、畏れると共に思いしったのだった。
老教師がクロエに対して取ってしまった言動と態度。家族も確かに大人げ無いと眉を潜めはしましたが、でも彼をとても責める気になれないのも共通した意見。何故なら誰かがクロエに対して、無謀にも治癒魔導をやろうとしたことや、自身もよくわかっていない力を他者に使おうとしたことを叱らなければならなかったという認識があるからです。嫌な役目を引き受けてくれたディルク、誰も責めることは出来ません。
優しい言葉は掛けやすい。巧く叱るのは知恵とパワーが必要ですからね。
次はトンでもクロエさんサイドに移ります。
なるべく早く更新します。