109. 浄化する巫女
お読みくださりありがとうございます。
少々残酷な表現が出て参ります。苦手な方はお気をつけください。
「ん?ちょい待てよ……さっき枯れた草は触れたよね~。それに野原で寝た記憶はあるけど、雅の時みたいに死んだ記憶は無いぞ?第一、苦しんだり怖かったりした記憶が一切無いもん。
眠たくなったのだって、お腹一杯だったからだし。と、すると今回は死んでないよ、多分。……まぁ意識不明で本人に自覚無く亡くなるってのもあるかもだけどさ。でも今回は絶対違う、なんならアタシのご飯1回分賭けたって良いよ。……朝御飯ならね。いや、おやつか。おやつにしとこう、うん。
ま、まぁそれは置いとくとして、でもじゃあ今のこの状況って、一体どうなってるの?草は触れて、人は触れないって、何なんだ?う~ん……わからんなぁ。
……てか、さしあたってはこの人よ!大丈夫ですか?!アタシの声、聞こえますか?」
と触れない女性を揺り動かす訳にもいかず、とにかく声掛けをしてみる。
しかし反応は無く
「もしかしてアタシの声聞こえないのかな?……でもおかしいよね。アタシの周りの草はアタシの重みで倒れてるし、この人の周りの草だってこの人の体の下の草は同じように倒れてる。
アタシとこの人だけが重ならない……。草や地面はどちらにも現実なのに……。
これは夢なのかな?凄くリアルだけど、辻褄が合わなさすぎる。
でも夢だとしても変な夢だよ。アタシこの人知らないのに、何でこの人アタシの夢に出て来たんだろう。
夜って云うのも変だよね。確かに夜空を見たいなぁって考えたけど、それにしたって……」
と倒れた女性を見つめながら、一人頭を悩ますクロエ。
すると倒れていた女性がピクリと動き、ゆっくりと身を起こし始めた。
「あ、良かった、気付いたんだ!あ、あの!アタシの声が聞こえますか?
……ダメだ、反応が全く無いや。て事はアタシの姿もこの女性には見えていないって考えた方が良いよね。なぁんかアタシ幽霊っぽいなぁ。イヤ、絶対死んでないとは思うけど!」
クロエがブツブツ呟いている間に、女性は何とか自力で立ち上がった。
そして野原を見渡した後
「酷い、もうこれ程に……。やっぱり無理よ、見てみぬ振りなんて出来る訳無い……。
ごめんなさい、苦しませて。遅くなってごめんなさい。結局来てしまったわ。
私の幸せを第一に考えろって、“貴方”は自らの意思を伝えてくれていたのにね。
同じ人間達は私を貴方への供物と考えて、そうとしか扱ってくれなかったのに……“始まりの地”とあの人だけが、私自身が幸せに成ることを望んでくれた。
それを良いことに、私は貴方の優しさに甘え続けた。あの人と一緒に過ごせて、子供まで産むことが出来た。ありがとう、もう十分。
出産までと我が儘を通して……ここまで貴方を疲弊させてしまった。ごめんなさいね。
……やっと覚悟が出来た。
貴方を、“始まりの地”を浄化します。
これで、貴方は消えることはない」
と、優しい声で“始まりの地”に語り掛ける彼女。
「反対は無しよ。貴方の崩壊まで……時間はあまり無いわ。もうここまで“悪意”に侵食されてるなら結界崩壊まで猶予は無い筈。……出産直後の私が動けるのもここまでが限界だしね。
どうせもう貴方の中に居るのだから、敢えて動いて命を縮める必要はないわね。
さぁ、始めましょうか。
貴方を、“始まりの地”は私が守る……。
あの人とあの子がこれからも生きていく貴方の世界を、妻であり母である私が滅ぼす訳にはいかないものね?」
語り終えた女性はおもむろに体から力を抜き、自然な感じで立った。
「……“始まりの地”?ここは“守るべき地”じゃないの?
それにこの地を浄化する?何かに汚染されてるの、この野原は?
このピリピリと体を苛む空気は何かに汚染されているものからくるの?!
でも浄化って、そんな事が出来るの?」
クロエは、ふらつきながらも気丈に立ち上り野原を見ている女性を見つめ続ける。
やがて女性は軽く結っていた自身の髪から髪留めを外した。
途端にほどけて、肩から腰に流れ落ちる髪は美しい黒髪。
「あ、黒髪だ、アタシと一緒!」
と呑気にクロエは呟く。
手を軽く脇で開いて、空を仰ぐ女性。
「……おいで。受け止めてあげる」
そう呟いた彼女の体がやがて仄かに光りだし、野原の空気が急にざわめきだした。
「何?何が起こるの……?」
クロエは固唾を呑んで、女性を見つめ続ける。
やがてざわめきだした空気は女性を中心に渦を巻き始める。
「ほわっ!す、スゴい風!
……あれ?アタシ煽られて飛ばされるって思ったけど、何か平気……。
やっぱりコレって現実じゃなく夢なのかな。
風圧は感じるんだけど……」
そうしている内、渦を巻いた風はやがて色を変え始める。
枯れた草や痩せた地面から黒い靄を吸い上げ、風に取り込み始めたのだ。
「……そう、この地から離れなさい。お前達の相手は“始まりの地”の巫女である私がします。
さぁ、早くおいで……」
風に取り込まれた靄は、渦の中心にいる彼女の体に絡み付く。
「ひっ!あ、あれは何?!あの黒い靄は何なの?草や地面、それに空からも……!」
クロエは黒い靄に恐怖を覚えて、喉をひきつらせた。
“巫女”と自身のことを言った女性を、黒い靄が呑み込むように覆い始める。
しかし彼女の体がまた光り、靄が次第に彼女へと吸い込まれていく。
「……未だ大丈夫ね。
“始まりの地”に仇なす“悪意”よ。
ここは“素”のお前達が還るべき場所の筈。
お前達の“穢れ”で、この地に仇なしてはならない。
お前達の纏う“人の穢れ”は人である私が引き受ける。その為に私が、巫女が居るのだから。
さぁ早く……“私”を通り、素に還りなさい」
すると女性が話終えた途端、再び黒い靄が彼女の周りに集まり始める。
そしてそれは次第に量を増し、濃度を上げうねりながら彼女に襲いかかる。
しかし彼女は表情を変えること無く、襲いかかる靄の為すがままを只受け入れていくだけ。そうして黒い靄が彼女に吸い込まれていく。
その様は云わば空気清浄機のごとし。
クロエは次第に空気のピリピリとした感じが薄まっていく気がしていた。
(あの人、ホントに浄化しているんだ……。でも本当にこの靄の正体は何?
それにあの人はこんな靄を取り込んで、体が大丈夫なの?)
減ったと思うと又増える黒い靄。それを淡々とその身に吸収していく女性。
膠着していたその光景がある一瞬を境に変わり出す。
急に女性が下腹を押さえて、膝を付いた。
「クッ……、流石に産んだ直ぐ後動いたのが不味かったみたい。……出血が止まらない。
でもこの地の猶予は既に無い。
例え倒れても浄化する……」
膝を付き、お腹を押さえつつ彼女は唇を噛み締めて空を睨む。
「私が力尽きる前に終わらせなければ……っ!
さぁ早く私の中に……」
彼女の体の具合が相当に悪化したのか、苦し気な表情を浮かべる。しかし靄を取り込むスピードは衰えを見せるどころか増しているように見えた。
次第に姿勢を保つ事すら困難になって来たらしく、横倒しに倒れる女性。
額には脂汗が浮き出て、顔は血の気を失い異様な白さだけが暗闇の中目立つ。
息遣いも浅く、明らかに命に関わる事態になっていることだけはクロエにも解った。
「し、死んじゃう。この人死んじゃうよ!
血が止まらないって言ってたけど……ああっ!
な、何てこと……。スカートが血に染まってる!
駄目だよっ!もう止めよう!貴女死んじゃうっ!」
顔面蒼白で倒れたまま尚も“浄化”を行う女性に止めるよう、クロエは必死に訴えるがやはり反応は返ってこない。
「ど、どうしよう……!リアルすぎて夢だなんて思えない!
この人を止めなきゃ……もう、体が保たないって。こんなの自殺行為だよ!」
だが、声も聞こえないし触ることも出来ない相手。正直クロエに為すすべは無かった。
息も絶え絶えの人を目の前にして、何も出来ないもどかしさに唇を噛むクロエ。
「……あと、どのくらい……なの……。未だ、掛かるの……?は、早……く!」
女性が悲痛な声を出す。
だが黒い靄は、命が尽きようとしている女性に容赦なく襲いかかる。
既に意識朦朧となっているであろう彼女の体は、それでも凄い勢いで靄を吸収していく。
ふと気が付くと、息をするのも辛い位張り詰めていた筈の空気は霧散し、ピリピリと痛かった圧も消えていた。
辺りを漂い、倒れた女性に纏い付くように渦を巻いていたあの“黒い靄”もいつしか薄くなっている。
倒れ伏せた女性は既に虫の息となってしまっていた。
何度も何度も声を掛け、手を差し伸べようとトライし続けていたクロエ。しかしその度クロエの手は、女性の体を突き抜けてしまう。
女性は首を起こすことすら出来なくなったらしく、焦点の合わない目を開いているのが精一杯のようだ。
……そして完全に黒い靄が、辺りから消えてしまった。
靄が消えた後、辺りに起きた変化を見たクロエが目を見開く。
「……え?ええっ!ウソッ!」
辺り一面見るも無惨に枯れていた筈の草花が、まるで命を吹き込まれたかの様に次第に元気を取り戻し始めたのだ。
「まさか……黒い靄が消えてしまったから?あれがこの野原を枯らす元凶だったの?」
自らの足元の草に手を触れると、全く生気が無く干からびていた草が、彼女の手の中で青々と生気ある瑞々しい草に変化していく。
まるで時間を巻き戻すが如く。
辺りの草花が一斉に生気を帯び始め、萎れ倒れていた草が青々と立ち上る。
ザァ……と草花達の復活の音が辺りに響く。
「凄い……草達が生き返ってく。これがこの人の“浄化”の力なんだ」
重く張り詰めていた空気は優しく爽やかな空気になり、緩やかな芳しい夜風としてクロエの頬を撫でる。
空は暗いながらも澄み渡り、星らしき輝きと何か解らないが小さな発光体があちらこちらで乱舞している。
とても幻想的な、だが生気溢れる美しい光景が目の前に拡がっていった。
……ただこの光景を生み出したであろう女性だけは違った。
クロエの目の前で、周りのとは真逆の変化を彼女の体は見せ始めた。
血の気が引き白磁器の様に白くなっていた彼女の体は、次第に黒に変化し始めたのだ。
彼女の全身は見る間に黒炭で出来た人形の様に黒一色となってしまった。
……既にこの時点で彼女はこと切れていたのだった。
次話は明後日投稿予定です。