106. クロエの絵
お読みくださりありがとうございます。
不思議花、再登場です。
「……ん、切り替えなきゃ!充分郷愁には浸った。しっかりしろ、アタシ!」
と自身に気合いを入れるとクロエは立ち上がった。
そしてトコトコと自分の背後でそっと付き添っていてくれたディルクの横に行き
「お手間を掛けました。充分に自分を甘やかしましたので、もう大丈夫です。
ありがとうございました。
……ところで緊急避難的にお願いしたものですから、皆へ何と言って言い訳しましょうか?
全員こちらを気にしていますよね、あれ……」
とディルクの服の裾をクイクイと引っ張って、視線で畑組、準備組、小川組の面々を指す。
ディルクはクロエの表情を観察した後、小さく頷いてから
「ああ、まぁ植物画の打ち合わせと言うか、そんな話をしてくると言っておいた。皆首をひねって居ったが、それで通そう。
どうってことはない、言いきれば良い。その果実は単純に香りが気に入ったから離したくなかったとでも言っておけ。
1才なんじゃ、優秀なお主でも訳のわからん駄々を捏ねる時があってもええじゃろ。
さて、皆の元へ戻るぞ」
とクロエを自分より先に歩かせながら、畑の方に向かう。
ジェラルドとガルシアが物問いた気に2人を見ていたが、にっこり笑ったクロエはディルクのアドバイス通りに
「これありがとうございました。変わった果物だけど凄く良い香りだね~。色も綺麗だし。
アタシ、お兄ちゃん達のところに行ってくるね、父さん。失礼します、ジェラルド様、騎士様」
と言ってそそくさとその場を離れた。
「「あ、ああ……」」
と父もジェラルドも生返事を返しただけだった。
小川の所まで戻ると先ずコリンが
「どうしたの、クロエ!何があったの?!」
と慌てて聞いてきた。
そんな次兄に対し、クロエはにっこり笑って
「絵の事でね、ちょっと。
あ、それよりコリンお兄ちゃん!あの果物知ってたの?畑にずっと来てるんだから。あれ色んなのが有って凄いね!
あの夕日色の果物良い香りだね~。何か爽やかな香りだったーっ!」
と立て続けに質問やら感想やらを喋る。
コリンは目をぱちくりしていたが
「う、うん。あ、でもあの果物って父さん達も初めて見る果物らしくて、何もわからないらしいよ?確かにあの丸い夕日色?のは良い香りするよね~。
……というかクロエ!お前、絵が描けるの?!」
と絵の事を聞いてきた。
クロエは首をかしげながら
「うん!絵と言うか……この前の剣草、アタシ姿を覚えてなくて、又怪我したら嫌だしちゃんと見たかったってディルク先生に話したの。そしたら現物見せてくれて。
で、ライリーお兄ちゃんが図鑑で見た剣草は全く違う姿だったって怒ってたって話を先生がしてくれて、もっと本当の姿を描いた図鑑があれば良いなと思ったの。
だったら、ってアタシが試しに剣草を描いてみたら、良く描けてるって先生が褒めてくれたんだよ。だから先生とお話しして、アタシ森やこの原っぱの草や花を描く事にしたの!又見せるね~。
と言うか……確か先生に紙と鉛筆持ってきて貰ってたっけ?画板代わりの板さえ有れば……」
と顎に指を当ててブツブツ呟き出す。
バッと畑の方を見て、荷車を探す。準備組の近くに荷車が有った。
「アタシ、ちょっと荷物みてくるね!画材があるかも~!」
とクロエが子供達に声を掛けてから、荷車に走ろうとした。
しかしライリーが急かさずそれを止める。
「……こらクロエ、一人で動かない!ここは“守るべき地”だよ?何があるかわからないんだからね?
さっきは先生が呼んでくれていたから安心して見ていられたけど、今は違う。
……行くなら付いていくから、ちゃんと言いなさい。コリンはある程度の範囲なら今は一人で動いても良いが、クロエは駄目だよ。わかったかい?」
と屈み込んだ長兄に目を見て諭されたクロエは
「ご、ごめんなさい……。気を付けます」
と下を向く。
ライリーはそんなクロエに苦笑して彼女を抱き上げ
「……荷車の所へ行けば良いの?一緒なら大丈夫だから」
と言った。
すると後ろのオーウェン達からも声が上がった。
「じゃ、僕達も一緒に行くよ!クロエの話も気になるし」
とオーウェンが言えば
「アタシ今日はクロエと花を見るつもりだったんだから、絵の題材になる花を探すなら丁度良いわ。一緒に行く!」
とミラベルが言い、更に
「僕も行くよっ!絵が描けるなんて、又クロエが先に行っちゃってる~。……僕も出来るか見てみたい!」
と変に焦った感じでコリンが同調する。
騎士のテオも
「クロエ殿は1才で絵まで描けるのですか?!
い、一度見てみたいです!」
と興味津々で乗ってきた。
結局小川組全員で準備組近くの荷車まで戻ることにした。
テオがライリーに
「ならば私がクロエ殿をお抱きしましょう」
と申し出て、今クロエは何故かテオに抱かれていた。
「ごめんなさい、テオ様。アタシ、慌てん坊だから……。
小川、確かとてもお好きでしたよね?もうご覧にならなくて良いのですか?」
とテオにおずおずと聞くクロエ。
テオはクロエを見てにこりと笑い
「アハハ、確かに小川を見ているだけで時間を忘れますけど、この地はどこを見ても素晴らしいので、全く問題ありませんよ。
……しかしクロエ殿にまで気を使わせてしまうほどはしゃいで居たのですね私は。……恥ずかしいです」
と頬を掻いた。
ミラベルがうふふと笑って
「でもそんなところがテオ様の良いところですわ。
幼いアタシ達と一緒の目線で居てくださる大人の方は貴重です。
だからテオ様と居ると楽しいのです!ね、クロエもそう思うでしょ?」
と妹に同意を求める。
クロエも大きく頷き
「うん!立派な騎士様なのにとても気さくでお優しくて、良い方だよね!
流石お姉ちゃん、解ってるなぁ!」
と大いに同意した。
テオは顔を真っ赤にして
「……あ、あの、ありがとうございます。何だか褒められ慣れてないのでくすぐったいですが、嬉しいですね」
とはにかんだ笑顔を見せた。
ミラベルとクロエは、そんな子供の誉め言葉にも飾り気なく正直に感情を表してくれるテオを嬉しそうに見た。
(ホントに良い方だな~。前の世界でもこんな純朴な方、見たこと無いよ。
なのに仕事も出来る方とお聞きしてるし、ギャップ萌えしちゃうね~!)
と無邪気な見た目とは裏腹に萌え評価を下しているクロエ。
程無く荷車まで来ると、クロエは荷台に下ろして貰い、ディルクの荷物を探す。
直ぐに見つけた彼女は、大きな声で
「先生~!お絵描き道具を荷物から出しても良いですか~!」
と少し離れた所に居るディルクに許可を願う。
ディルクが気付いて慌ててやって来た。
「何じゃ、今から描くのか?もう描くものをきめたのか?」
と荷車までやって来たディルクがクロエに尋ねながら、紙や鉛筆の画材と画板代わりの板と紙押さえ用のピン等を荷をほどきながらクロエに渡す。
「んー……まだ。絵を見せるって言っちゃったので、野原の花の何れかを描こうかなって。
……構わないですよね?」
とクロエはディルクの表情を窺う。
そんなクロエを片眉を上げてチラ見したディルクは、勿体振りながら
「フン……まぁエエじゃろう。子供達と、頼りない騎士ならお主の能力を知ったところで問題ない。
後から絵は預かるからの。良いな?」
と答えた。
クロエは
「頼りないって……口が悪いですよ、先生!全くもう、憎まれ口は天下一品ですね、ホント」
と憤然と抗議する。
反対に当のテオは頭を掻きつつ
「……ハハハ、精進します、ハイ」
とばつ悪そうに呟いた。
クロエは受け取った画材をテキパキと準備し、野原を見やる。
「とは言うものの……対象がいっぱい有りすぎて悩むなぁ……。んー……、ミラベルお姉ちゃん~、何描こう?
お勧めの花有る~?」
とミラベルに尋ねると
「なら、アレは?ほら、クロエに舐めさせた花があったでしょ?今なら描いた後、自分で食べれるじゃない!探しに行く?」
と提案する。
パァ~!と顔を輝かせたクロエは
「そうだっ!あの美味しいお花!アタシ食べたくて食べたくてしょうがなかったのーっ!探そ探そ!
……そう言えばあの花って名前有るの?お姉ちゃん知ってる?」
とコテンと首をかしげる。
ミラベルは首を横に振り
「聞いたこと無い。食べられるお花としか覚えてなかった。そういや、何て言うんだろ……後から聞こうか」
と提案した。
クロエが頷き、オーウェンを見上げて
「スッゴく美味しくて可愛いお花が咲いてるんです!ミラベルお姉ちゃんに付いていきましょ!」
とにっこり笑いながら話す。
オーウェンは不思議そうにクロエ達を見て
「花の蜜じゃなくて?花そのものが食べられるの?
是非味わってみたいな、それは」
と言った。
ミラベルはそんなオーウェンの言葉を聞いて
「お昼前でもあの花を味わう程度ならお腹も膨れませんし、大丈夫!
……んーと、あ、あそこ!
多分あそこの花達がそれです!色でわかりますから。
じゃあ行こっか!」
と先頭切って歩き出す。
ぞろぞろとミラベルの指差したその花の群生している所に進む。
大して離れていない場所にその花は群れて咲いていた。
ラナンキュラスのような花弁の花。花弁は1枚だがそれが花芯を中心にグルグルと渦を巻いている。造花の簡易な薔薇のようにも見えるが、天鵞絨のような艶々した花弁がそれが生花だと教えてくれる。
「あったあった!ほら、クロエ有ったよ!これこれ~!」
ミラベルが得意そうに指差すと、クロエの顔が又輝く。
「きゃあ!あの花だ~!可愛いーっ!綺麗ーっ!良い香りーっ!美味しそーっ!」
……最後の感想だけは花に似つかわしくなかったが、クロエはその花に最大の賛辞を送る。
画材はライリーが持ってくれていた。
「ライリーお兄ちゃんありがと!ここに座って描くから、画材をもらうね」
と紙をピンでくっつけた画板と、鉛筆等を入れた細長い木箱を貰う。
よいしょ……と楽な姿勢に座り、画板を膝に置いて花を見つめるクロエ。
ミラベルは横でオーウェンとテオに花の説明をしている。
ライリーとコリンは興味津々という表情で、クロエ周りに座って彼女を見守っている。
クロエは花の姿を屈み込んだり覗き込みながら、じーっと観察する。
そして鉛筆を持つと画板を描きやすい角度になるように膝を立て、浅い三角座りになり画板を支える。
しかし彼女の小さな体ではその姿勢には無理があり、直ぐに空を仰いで
「つ、つらい……やっぱり地面に置いて描くしかないかな?」
と姿勢を思案する。
するとフワッと彼女を抱き抱えたライリーが
「僕が背もたれ代りをしてあげるよ。僕に体重をかければ膝を立てれるんじゃないか?どう、クロエ?」
と彼女に聞く。
クロエは頷き
「うん、楽!でもライリーお兄ちゃんがキツいでしょ?無理しなくて良いよ?」
と兄を振り仰いで気遣う。
ライリーが笑いながら
「コリンよりは軽いよ。大丈夫、安心していいよ。
さぁ、絵を描くんだろ?この姿勢でクロエが大丈夫なら、絵に集中した方が良い」
と彼女を促す。
クロエが兄に嬉しそうに笑いながら
「じゃ、甘えるね!ありがと、お兄ちゃん!
でも疲れたら直ぐに言ってね?」
と言うと画板に向かう。
ライリーはそんなクロエを背後の“特等席”で見守る。
コリンはライリーを見て
「あ、兄ちゃん一番絵が見える位置をとっちゃった!良いな~!」
と悔しがる。
ライリーがコリンに笑いながら
「替わるか?クロエを支えてやるんだぞ、出来るかコリン?」
と提案する。
コリンが首を横に振り
「意地悪だ~!僕じゃ無理なの解ってるくせに~!
しょうがない、横から見せてもーらおっと!」
と溜め息を吐いてから、彼女の邪魔にならない程度に離れた横位置で、画板を見つめる。
クロエは鉛筆を持ちながら、紙に付かない程度に鉛筆を浮かせながら、思う線をシュミレーションする。
次いでいつも通りに鉛筆で薄くマーキングしながら紙に位置決めをする。
そしてスッ……と息を軽く吸い込むと、紙に鉛筆を走らせ始めた。
クロエの鉛筆が紙に線を入れる度、花の姿が紙から浮き上がり始める。
最初は面白そうに見守っていたライリーとコリンだったが、絵が少しずつ出来上がるに連れて、次第に表情が驚愕したものに変化していく。
「……何て事だ。この絵は一体……」
とライリーがそれ以上言葉を失う。
コリンも
「……無理!こんなの、誰も描けないよ……何で描けるの?!」
と半ば悲鳴にも似た声で感想を漏らす。
2人の尋常じゃない様子に、花の説明をしていたミラベルとその説明を興味深げに聞いていたオーウェンとテオが、顔をお互いに見合わせてから近寄ってクロエの描いている絵を、ライリーの更に背後から覗き込む。
3人も直ぐに絵を見て息を飲んだ。
ミラベルは目を丸くして口を押さえ、オーウェンは
「……嘘、だろう?こんな、こんな絵が描けるのか……?」
と思わず呟き、テオは
「美しい……こんな繊細な絵は初めて見ました……」
と感嘆の息を漏らす。
そんな周りの驚嘆しきりの雰囲気には一切気づかず、ひたすら鉛筆を縦横無尽に走らせるクロエ。
……口元には微かな笑みさえ浮かべながら。
やがてクロエの鉛筆が、動きを緩やかな速度に変化させ始めた。
仕上げに微かに陰影を入れ始める。
「……うん、ラフ画だからこんなもんでしょ。色欲しいな……絵の具創る必要有るよね、やっぱし。
しっかし段々欲張りになるなぁ……、アタシって浅ましい」
とクロエは自嘲しながら苦笑を浮かべる。
……彼女の手元の画板の紙には、既に見事な“クリーム花(仮)”が描かれてあった。
次話は明日か明後日投稿します。