104. 黒き森と守るべき地へ
お読みくださりありがとうございます。
視察の本編に入ります。
視察2日目の朝。
ガルシアは例年通り、森の視察ルートを護衛騎士と共に下見をする為、早朝から出掛けた。
コレットは側仕えのモニカやアレクと共に朝食の準備と、視察中に“守るべき地”にて食するお弁当の準備に大忙しだ。
子供達は母や側仕えの邪魔をしないようにと、静かに部屋で休んでいる。
例え既に目が覚めていても、視察の間は空気を察して部屋で寝ながら待機する。
手伝いたくとも今は、プロフェッショナル3人がテキパキと家事を分担して動いているのだ。この期間に限っては子供の自分達が出る幕では無いと考えている。
頃合いを見て側仕えのアレクが主2人の寝室に向かう。と、それを合図に子供達が部屋から既に着替えた状態で出てきた。
洗い場で各自スピーディーに洗顔等の身支度を整え、食堂に向かう。
やがてジェラルドとオーウェンも身支度を終え、食堂に現れた。
朝の挨拶を済ませ、全員が席につき朝食を頂く。
食事と言えば、ジェラルドとオーウェンは昨日の晩餐で、見事にコレットの洗礼を受けることになった。
何かと云うとシェルビー家の家訓ともなってしまった、クロエ考案(?)の食事前に感謝を捧げる
「いただきます」
と、食事後にも感謝を捧げる
「ご馳走さまでした」
の挨拶だ。
コレットは以前シェルビー家で食事をする際は必ずこの挨拶をすることを皆の必須とした。挨拶をしない者には食事をさせないと宣言までしている。
しかし流石に元主でもあるジェラルドと、その孫で他領の次期領主足るオーウェンにまでは強制しないだろうと家族は考えていた。
しかし彼女は誰に対しても公平で、且つ強かった。
皆が手を合掌して「いただきます」と唱和しているのを、首をかしげて見ていた2人に彼女は
「我が家では食事の前と後に必ず食材となった命に対して感謝するのと、作ってくれた人への感謝の気持ちを込めて「いただきます」と「ご馳走さまでした」を唱和いたします。
勿論ジェラルド様もオーウェン様も、お付きの皆様も例外は一切ございません。
両手を合掌し、挨拶をお願いいたします。
……よろしいですかしら?」
とにっこり笑いながら、しっかりと指示をした。
ジェラルドは戸惑いの表情を浮かべて
「い、いやしかし……何とも慣れぬ仕草故……ど、どうしてもやらねば……」
と異議を唱えようとしたら
「ならば食うな。無礼者が。作って貰うのが当たり前で感謝も出来ぬ様な奴に、コレットの旨い飯を食う資格は無い。
貴様が同じ食材を手にした所で、料理出来ずに腐らせるだけじゃろうが。
他の命を貰った食材があり、そして料理を作ってくれる者が居てこそ、儂等は今食事が出来るのじゃ。
ならば食する儂等がその食材の元となった命と、その貴重な食材を見事な料理に昇華してくれた料理人に感謝を捧げるのは最早必然じゃ。
……それすらも解らぬ奴が村長とは笑止!即刻引退するが良いわ、馬鹿が」
と既に挨拶を済ませたディルクが吐き捨てる。
ジェラルドが言葉をグッと飲み込むと、オーウェンが
「なるほど……。確かにそうですね、単純ですが素晴らしい教えです。
訳の解らない何かに感謝を捧げるのでは無く、捧げる対象がハッキリしていて、理由も納得出来る。
解りました、僕もこれから必ずこの挨拶をします。
大事な事だと感じましたから。
では……いただきます!」
と賛同の意を示し、戸惑う祖父を尻目にさっさと挨拶を元気良く済ませた。
そして祖父をチラリと見る孫の視線に完敗し、ジェラルドも
「う……わ、解った。い、いただきます……」
とぎこちなく合掌し挨拶をしたのだった。
そんな事があり、今の朝食時は皆自発的に挨拶し、食事を頂く様になっていた。
ジェラルドもしっかり挨拶していたのは云うまでもない。
朝食後視察準備を終え、馬に荷車を牽かせて森を視察しながら、かの地に向かう。
前回の視察では、歩けない乳児と幼児が居たので、大分ゆっくりした歩みだったが、今回はその2人が普通に歩いてくれるので、視察も格段に早くなった。
早くなった分、前回より密に森のあちこちを視察見聞する。
そして今回はディルクとクロエがひそひそ話をしながら、あちこちの草や木を丹念に検分している。
オーウェンはクロエともう少し話しながら視察をしたかったが、何かを発見したらちょこちょこ近寄り
「あー、これも書きたいなぁ……。花咲くよね、この子……」
と呟いているクロエを見ているのも中々楽しいので、それを目を細めながら見ていた。
しかし余りにクロエがその辺に生えている草や花に直ぐ気を取られて寄り道をするので、ついには
「……駄目だよクロエ?森で勝手な動きは厳禁って言ってるだろ。……今日はどうしてそんなに寄り道するんだい?」
と、とうとうライリーから指摘を受けてしまった。
クロエはピョンッと飛び上がり
「ご、ごめんなさい!……気を付けます……絵に描きたい草が一杯だから、つい……」
と下を向いた。
そのやり取りを聞いて、先頭を行っていたガルシアがクロエの側まで戻ってきた。
「森では勝手は駄目だよ、知っているね?……だが、訳をキチンと話してくれないか?……森が聞いてきている」
とガルシアがクロエを見つめる。
クロエは驚いて父を見上げる。
「……森が聞いて?」
とガルシアに聞き返す。
父は軽く頷き
「“黒き森”は守り人の私を通して意思を伝えてくる。……いつもとは違う動きで森を見ているクロエがとても気になっているようだ。こんなことはあまり無いのだが……」
と一瞬瞑目し、それから静かな瞳でクロエを見つめる。
……何となくだが瞑目後、再びクロエを見つめてきたガルシアは、いつもとは違う空気を纏っていた。
言うなれば、前の世界での神憑り、巫女の神降しの様な雰囲気を漂わせている。
ガルシアの体を借りて、直接森がクロエに尋ねている様な感じがした。
クロエは背筋を伸ばして、“父ならぬ父”に訳を話す。
「……アタシはここの草や花の絵を描いて、“黒き森”や“守るべき地”の植物図鑑を作りたいのです。
“守り人”の父さんと、長のジェラルド様にだけお渡しする図鑑を作って、この森とかの地を守るのに役立てて欲しいのです。
……それに、単純に植物の姿を描きたいのです。
駄目でしょうか?」
と簡単ではあるが、飾らずに気持ちと目的を話す。
ガルシアが又瞑目し、目を開けると
「……草木の姿を森から出すことはならぬ。だが、森に止めるならば良い。守れるならば許す」
とガルシアの声とは違う声が答えた。
クロエは目を丸くして驚いたが、一つ息を吸うと
「では森の家でのみ使える図鑑を描きます。
良いでしょうか?持ち出しは致しません」
と独断ではあるが“父ならぬ父”に返答する。
「……ならば良い。森のものを傷つけてはならぬぞ」
とガルシアが話すと、一瞬彼の体が揺れた。
クロエがハッとして、父にしがみつくと
「……うん、どうやら森はクロエが絵を描くことを認めてくれたようだね。良かったな。
……しかし驚いた。“森”が俺の体を直接使うなど、初めての経験だ。一体どうしてこんな……。
いや、取り敢えずは視察をしなくてはな。暫く寄り道は我慢してくれよ、クロエ?」
と普段の優しい笑みを浮かべてガルシアが彼女に言う。
息を飲んだクロエは
「は、はい……父さん、凄いんだね……ビックリした」
と頷いて父を感嘆の目で見つめる。
父は照れながら
「“俺”は何もしてないよ。……さて、じゃあ前に私は行くよ。遅れずにな」
とクロエを優しく撫でると先頭のジェラルドの元に向かう。
今の一連の有り様に、一行は皆驚愕していた。
ガルシアが“守り人”なのは周知の事実だが、今まさに“守り人”たる姿を見せつけられたからだ。
そして“森”が本当に自分達を見つめているのを肌身に感じて、改めて畏れを抱く。
“黒き森”には確かに意思があるのだ。
その後は無駄話もせず、クロエも寄り道をせずに視察を行い、やがて“黒き森”から“守るべき地”に一行は歩を進める。
天辺が見えないくらい高い木々の為、少し薄暗かった“黒き森”から一転、遥か向こうに雪を頂いたシエル山脈を望み、大きく開け花々が咲き乱れる“守るべき地”に一行は足を踏み入れた。
「うわっ……!凄い……。何て美しい所なんだ……ここが“守るべき地”なのか」
オーウェンが思わず感嘆の息を吐きながら、こう呟いた。
オーウェンならずとも、久々にこの地にやって来た視察団の者達は皆同じ思いだった。
いつきても、この地は息を飲む程に美しく、そして清らかだ。
そしてそれはクロエとディルクにとっても同じだ。
森の家で暮らす者達の中で、この2人は殆どこの地に足を踏み入れて無かったからだ。
だから他の家族より、感動が深い。
(やっぱり綺麗……。嬉しいな、ここに来れて!今度はいっぱい自分で見るんだーっ!)
とクロエは心の中で狂喜乱舞したのだった。
次話は明日か明後日投稿します。