妹、です!
「もう……シルビィアはホント、忘れ物多いよね。初日から普通、鞄忘れてくる?
荷造りの時も鞄忘れそうになってたし、そんなんでこれから、ちゃんとやって行けんの?」
開店しているお店。まるで、お客のいないのを横目に、調理場に向かおうとした時、鞄がないことに気付いて慌てたわたしに、奥から呆れ顔を覗かせたのは、二号店の店長にしてわたしの双子の妹、シルフィアだ。
癖一つない銀髪に黄金色の瞳。違うのは、髪の長さだけで、わたしは腰くらいまで伸ばしているが、シルフィアは髪の手入れが面倒だと肩の上で切り揃えている。昔はそっくり過ぎて、見分けられる人がいなかった程だ。
「だ、大丈夫ですもん。鞄は帰りにでも、取りに行きます。
それよりお店、大丈夫なんですか? お客さん、いないですけど」
「読み通りだよ。この王族貴族御用達の店が並ぶ城下町に、庶民の店が出店するなんて、この貴族社会じゃ簡単には受け入れられない。初日はこんなもんだよ。変な奴が来ないだけまし」
だが、性格はまるで似てない、と村では有名であった。
ついでに、今まで二号店を出さなかった村が、城下町への二号店出店を決めたのは、わたしがお父さんと友達な侯爵様に、勧められて受けた庶民枠の試験で合格した際、まさかと思っていた村中がわたし一人城下町を向かわせるのを反対し、だが、合格の取り消しは不可能。決死の決断で、わたしがいつでも頼れる様に、話が来ていたと言う城下町出店の話を受けたのだ。
そして、その店長として、わたしよりも商売の才能のあるらしいシルフィアだった。料理の方はわたしと同じ見習いである。
「だから、城下町への出店をしつこく強請って来てた王族に、話を受ける代わりに売り上げが波に乗るまでは、売れ残りは全て買い取って貰う、って言う条件を付けたの」
「相変わらず、準備が良いですね……って、城下町への出店を強請ったのって、王族だったんですか?!」
「知らなかったの? あのね、城下町は王族に要請された店しか出せないの。五年くらい前から、この国の王って何かと庶民に目を向けるらしくて、庶民のお菓子ってなって【シル】にも興味を向けて、お忍びに買いに来て気に入られちゃったそうだよ」
それは初耳である。わたしは料理を手伝うだけで、経営に関わったことはないからな。
だから、お兄様やレイヤ様が庶民のお菓子を好んでいるのだろう。
「一度は男爵って話になったみたいだけど、家は別に利益や権力の為にやってる訳じゃないし、エルドラ侯爵と夫人も男爵が成り上がりだ、って庶民から非難の目を向けられるのを考慮して、絶対に認めなかったから、話はなくなったんだよ。
だったらせめて、城下町への出店を求められたらしいの。
でも、家は村で生まれたら村に残る、が基本だし貴族に良い思い出が少ないから、城下町なんて貴族の巣窟に手を出すのは、やっぱり勇気が出なかった。
でも、家ってレシピは勿論、食材も自家製で秘密が多くて、村内の絆が深いから情報漏れはないから、どんなに頑張ってもどこにも同じ味は出せないでしょ? 直接来なきゃ買えないのに、王城からは距離が離れ過ぎてる。
王族はこの五年、ずっと出店を要請して来て、わざわざこんな店を用意して、貴族に庶民のお菓子を勧めて、といろいろ頑張っててくれてたみたい。
実際に、貴族がお忍びで買いに来てくれることが、ここ数年で増えてきてた。
村中がその頑張りに揺れてる時に、シルビィアの学園行きが決まったから、今に至るんだよ。
シルビィアにはお店気にせず、学園生活を頑張って欲しいから、って内緒にしてたみたいだけど」
うん、全く知らなかった。まさか、庶民の家と王族にそんな関係があったとは。
「レイヤ様達は知ってたんですかね……」
「誰? “レイヤ様”って」
「第四王子様です。今朝、猫を助けてた時に助けて貰ったんです。校舎案内もしてくれて、困ったら何でも頼ってくれ、って言ってくれて、凄く優しい人だったんですよ。
あ、他にも沢山の人に会ったんです。今日の話、聞いて下さいな、シルフィア」
「……うん。ま、シルビィアなら有りだね。いいよ、聞かせて」
一度、頭を抱えた後、深い息を吐いたシルフィアは、覚悟を決めた様に身構えた。
そんな姿に小首を傾げながらも、わたしは一人では溜めきれない一日の思い出を吐き出させて貰った。
「ふぅん、さすが昔っから、どっかの乙女ゲームのヒロインみたいな性格してるだけあるね」
全てを話し終わった時には、既に一時間は経っていた。
途中で二号店のみ発売の試作品の試食や、簡単な昼食を挟んでいたこともあり、お腹は満腹感に包まれている。
話せば話す程に頭を悩ませて行くシルフィアは、話が終わったのを合図に溜め息混じりに呟いた。
「え? 何ですか。その“おとめげーむ”とか“ひろいん”って」
「気にしないで、こっちの話だから……。
でも、ホントに気を付けなよ? 庶民であるシルビィアが、そんな上流の中の上流貴族の令息と仲が良いなんて、周りは絶対に放って置かない」
唐突に真面目な顔になるシルフィアに、わたしも思わず構えてしまう。だが、その意味がいまいち掴めず、小首を傾げる。
「なんで、ですか?」
「この重度の箱入り娘め……。
とりあえず、学園に入る際の約束は覚えてるよね?」
「覚えてますよ。日記を書くんですよね?」
「そう。出来るだけ事細かくだよ。人との関わりは特に書いて。
それで、周一に見せに来てね」
「分かってます」
その行動に何の意味があるかは分からないが、お父さん達や侯爵様からも重々に言われている。
何かあればすぐに、シルフィアに報せろ、とのことだ。
将来、村を出るとしても、村の子どもは村の子ども。家族なことに変わりはない。
一人の為に皆が頑張り、皆の為に一人が頑張る。それが、わたしの村の教訓なのだ。
だから、いつでも帰って来て良い。辛かったら、我慢しなくて良い。
何があっても、わたしには帰る場所があるのだから。
「あんたは約束はちゃんと守るから、その辺は心配いらないと思うんだけどね。
あ、それで、おはぎはどうするの? 材料持って帰って寮で作るより、こっちで作った方が設備的に良いんじゃない?」
「じゃあ、そうさせて下さいな。衛生面的にもそっちの方が安心です」
「そうと決まれば早速、取り掛かるよ。いつもならきっちり貰うとこだけど、今日はあんたの入学祝いってことで大サービス。お金は取らずに手伝ってあげる」
得意げに笑ったいつもより気前の良いシルフィアに、わたしは笑い返した。
「シルフィア、今日は本当にありがとう、です。
レイヤ様達に貴方のこと、しっかり伝えて置きますね」
それから二時間後、お菓子の入れ物として我が家が研究に研究を積み、作り上げたお菓子の入れ物に相応しいらしい、二段重ねの漆塗りの重箱におはぎを詰め、ふろしきに包んだわたしはそれを持って、入り口を開けた。
「いや、それには及ばないよ。出来れば、こっちに興味を持って欲しくないから」
「え? で、でもでも、わたしは貴方とも、仲良くして欲しいですよ?」
「……あぁ分かった。でも、変に話を盛らないでよ」
上目遣いに見上げれば、彼女は眉を顰めた後、また頭を抱えながら了承してくれた。
厳しい子だけど、美人さんでとても自慢の妹だ。なんだかんだ言って、わたしを助けてくれるもの。
「はい! じゃあ、また来週、来ますね」
「うん、了解。気をつけて帰ってね。
いくら困ってるって言われても、知らない奴にはついて行かない様に。出来るだけ道草喰わずに帰るんだよ」
そんなこと言われなくても分かっているが、心配してくれるからこその言葉なので、わたしはしっかりと頷いて店を出た。
さて、鞄を取りに行くついでにおはぎを渡しに行くとしよう。
そう思って、夕方前の道を歩き出す。貴族御用達なだけあり、通るのは貴族様の馬車ばかりだ。道の端を静かに歩いた。
「それにしても、お菓子を人に渡すなんて、初めてです……」
お礼として、恥ずかしくない様に頑張って作ったが、喜んで貰えるかやっぱり不安だ。でも、だからこそ、出来るだけ美味しい内に食べて欲しい。早く渡さなければ、な。
思わず弾んでしまう学園へ向かう歩みに、わたしが思わず笑みを零した時、
『シルビィア』
「え?」
頭の中に直接、響いたか細い呼び声。思わず足を止めたわたしは、声の主を捜すべく周囲を見回す。だが、そこは馬車が通るだけの大通り。わたしに話しかける人の姿はない。そう、人の姿は……。
「貴方、今朝の白猫さん、ですよね?」
いつの間にか、一歩後ろでわたしを見上げていた、白い滑らかな毛並みに黄金色の瞳を持つ猫。その子は確認するまでもなく、今朝の猫さんであった。
わたしはおはぎを傍にあったベンチに置いてから、屈んで出来る限り、猫さんと視線を合わせて声を掛ければ、その子は肯定する様に泣いた。
「やっぱり! どうしたんです? こんなところで」
尋ねたのはちょっとした興味本位だ。さっきの声も気になったが、空耳かもしれず、声の主も見当たらないので、今は猫さんだと判断した。
すると、猫さんは一つ鳴いて、側にあった細道の前まで走った。そして、わたしを見上げてまた一鳴き。
「えっと……付いて来い、ってことですかね?」
わたしの呟きに反応したらしく、猫さんは肯定する様にまたまた鳴いた。
少し迷って、でも、ちょっとくらいならば大丈夫だろうと、わたしは細道に入っていく猫さんの後を追った。
大通りから細道に入るだけで、城下町の雰囲気はとても変わってしまった。
薄暗く人通りのまるでない入り組んだ細道は、何だかとても不気味な気がして、村の周りにある森に迷い込んだ時の様な、心細く不安でいっぱいになる感情に囚われてしまいそうになる。
それを誤魔化す様に、わたしは定期的に止まってくれる猫さんのしっぽを、必死に追い掛けていた。何度も角を曲がった気がして、戻れるのか不安になるが、ここで立ち止まっても尚更ダメなことは分かって、わたしは追い掛け続ける。そうして……
「あれ……」
気付けば、それは現実となり、猫さんの姿はどこにもない。わたしは狭い細道の中、一人立ち尽くしていた。
……どうしよう。完全に迷った。まだ細道は終わりそうにないし、大通りへ戻る道も分からない。うん、二度目だけど、どうしよう?!
学園には六時、寮には九時までに戻らなければ行けない。
どれくらい厳しいかは分からないが、とにかく不味い。戻れるのか? いや、戻らなければ本気で不味い。
立ち止まっている暇はないだろう。この建物に囲まれたせいで、どちらに学園があるかも分からない。だから、まずはこの細道を抜け出さなければ行けない。
そう判断して踏み出そうとした時、
「そこの君」
背後から掛かった声と金属が擦れる様な音。振り返れば、そこにはいつの間にか、二人組の鎧と甲冑を纏い、腰に剣を差したこの城下町で何度か見掛けた、王立騎士様達が!! おお、なんて運が良いのだ!!
「あ、あの! わたし、道に迷ってしまって……学園に戻りたいんですけど、道を教えーー」
「騒ぐな。お前がシル村のシルビィアだな?」
「……ふぇ?」
あれ? えと、どうして、わたしは城下町や城を守る為にいる騎士様に、剣を突き付けられているのだろう? そして、名前まで知られている様だ。
「質問に答えろ! 殺されたいのか?!」
「ッ……は、はい。わたしが、シルビィア、です……」
まるで、事態が呑み込めない。だが、相手が本気なのは伝わって来て、首筋に寝かされた剣の冷たさに息を呑み、わたしは怯えてしまいながら肯定した。
そうすれば彼等は何かを目配せ。その確かな隙に、わたしは咄嗟にハンカチで剣を包む様に持ち、思いっきり押し返した。
「なッ?!」
「待てッ!!」
完全に力を抜いていたのだろう。簡単に押し返せたその間を這い出て、わたしは弾かれた様に走り出す。
こんな状況で待てる訳がない。出せる限りの最大限のスピードで、わたしは宛もなく何度の角を曲がって逃げ出した。
どれくらい走ったか、無我夢中で走ったわたしは、気付けば大通りに飛び出していた。そして、ッ?!
「危ないッ!!」
響いた声。目の前に迫る馬車を引く馬車の姿。
わたしは不味いとは思いながらも、突然すぎて止まれる気がしなかった。て言うか、止まれなかった。
「ッ!!」
堅く瞳を閉ざした理由は、この後の痛みと恐怖の為か、咄嗟の行動か……。とにかく、わたしはもう避け切れないと諦めていた。だが……
「あ、れ……」
中途半端なブレーキで戸惑いを見せながらも進んでいた足は、唐突に地面から離れて、わたしの体は浮き上がった。ふと気付けば、誰かの両手が脇下に添えられ、わたしを持ち上げていることを理解する。そして、
「は、ハロルド、様……」
ゆっくりと目を開ければ、わたしを見上げている落ち着いた紺色の瞳と、感情の出にくい強面な無表情。今朝振りの彼の姿に、わたしの思考は一時的に停止した。
「……あんた、大丈夫か?」
そんな中で思うのは、出会った時の第一声もそれだったなんて、どうでも良過ぎることで、だけど、現状に対して頭が理解すればする程、沸き上がってきたのは……ッ?!
「ご、ごめんなさい、です……。ちょっとビックリして……だ、大丈夫ですから!」
何に対してビックリしたのか、そんなこと、全てとしか言い様がない。
そして、同時に感じた恐怖に、涙は止めどなく溢れて、わたしは慌てて拭いながら言葉を紡ぐ。
「……」
そんなわたしを無表情に見上げた彼は、わたしを地面へと降ろしてくれる。
「……泣きたい時は泣くべきだ」
差し出された無地の朱色のハンカチ。告げられた言葉が示す意味など、とても分かり易く考えるまでもなくて……。
わたしは彼の真っ直ぐな優しさに、縋る様にハンカチを受け取った。