出会い、です!
「きゃッ?!」
「危ないッ!!」
かなりの高さに上った大木。腕に抱えた猫を前に少し気を抜いていれば、足下の枝が重さを耐え切れなかったらしい。
唐突に抜けた足下に当然、バランスを崩したわたしは、何かに捕まる余裕もなく、落ちていく感覚に咄嗟に猫を抱き締め、目を固く閉ざした。
背中から地面に叩き付けられることを覚悟していれば、下から響いた切羽詰めた声。そして、地面にぶつかると思えば、背中と足下に手が当たり軽いリバウンド。
わたしは何者かによって、痛み一つなく受け止められていた。
「……あんた、大丈夫か?」
そっと目を開ければ、視界に見えたのは覗き込んでくる、紺色の瞳の少し怖い顔立ちの無表情。短い赤茶の髪が微かに揺れた。
「は、はい。えっとーー」
「君、大丈夫か?!」
頷いて状況を確認しようとすれば、次に響いたのはさっきも聞いた声。酷く焦った様子で覗き込んできたのは、肩で切り揃えられた金髪に、優しげな翡翠の瞳の凛々しいイケメン、絵に描いた様な王子様である。
あんまり綺麗なものだから、思わず見取れてしまった。
「お、おい、大丈夫なのか?! それとも、どこか痛い所があるのか?!」
「レイヤ、落ち着きなさい。その様に質問責めしては、答えられる者も答えられないでしょう」
ぽかんとしていれば、割り込んでくる呆れた声。視界に入った一つ纏めに流された水色の髪。そして、眼鏡美男子な真面目風イケメンが、王子様を諫めてくれる。
「そうそう。それで? ボーッとしてるみたいだけど、大丈夫? 猫ちゃんの方は元気いっぱいみたいだよ」
そして、長い緑髪に青い瞳のチャラそうな甘いマスクのイケメン。
少しの沈黙の後、わたしは腕の中でもさもさと動く存在に、それはもうハッとして慌てる。
起き上がろうと動けば、サポートしてくれる強面なイケメンさんのお陰で、綺麗に地面へと着地したわたしは、腕の中にいた猫を地面に降ろした。
そうすれば、可愛い白猫はわたしの手にすり寄って鳴いた。その元気な姿にわたしはホッとする。
「よかった。怪我はないんですね。
ごめんなさい、です。助けるつもりが、怖い思いをさせてしまって……」
木の上で震えていたこの子に気付いて、慌てて上ったのが失敗だった。ちゃんと、足下を確認しなかったせいだ。
「そ、そんなことはない!」
優しく撫でながら申し訳なくなってしまっていれば、その声は掛かって隣に立つ人がいた。
「君が助けなければ、この子はずっと高い所で、誰にも気付かれずに震えていたかもしれないんだ。
落ちる時だって、君は身を呈してこの子を守ろうとした。君のその勇気と優しさはこの子に伝わっているんだ。
だから、こうやって擦り寄ってくるのは、君への感謝の印だと思う!」
必死な王子様の言い分を肯定する様に、白猫は鳴き声をあげた。
わたしはそんな様子に、少し考えてから、
「じゃあ、そう言うことにさせて貰って、ここは、どう致しまして、と言わせて貰いますね。
でも、もう高い所に上っちゃダメですよ。猫さん」
思いっ切り微笑んで告げれば、白猫は返事をする様に擦り寄った後、一つ鳴いてどこかへ去っていった。その姿が見えなくなるまで、手を振った後、わたしはわたしを見て、なぜか顔を赤くして唖然としていた王子様や、他の三人に向き直る。
「あの……助けて下さって、本当にありがとうございました。
えっと、お礼、と言いたい所なんですが生憎、お礼に見合う様なものがなくて……」
ここは、貴族の令息令嬢達が通う王立学園。彼等の制服や雰囲気的に、間違いなく貴族、しかも、上流貴族の方々だと思えた。
わたしは庶民枠で入学した、金もなければ貴族様に出せる品などない。せいぜい、体で払うしかないだろう。
「え?! あ、あぁ、い、いや!
き、気にしなくて良いんだ! 僕達は当然のことをしたまでで……、け、怪我がなくて本当に良かった」
そんな言葉に、わたしは彼が本当に優しいのだと理解して、安堵の笑みを零す。
「はい。わたしも猫さんが怪我してたらと思うと、本当に焦って仕方なかったと思います」
「あ……い、いや、それも勿論だが、その……僕が言っているのは、えっと……き、きみのこと、で……」
「え? あの、もう一度、言って貰って良いですか?」
小さく弱々しくなっていく声に、良く聞き取れないと示す様に、わたしは小首を傾げて一歩彼に近付いた。
「~~ッ?! は、ハロルド!!」
唐突に強面で高身長なイケメンさんを楯にして縮まってしまう王子様。
「……レイヤ、意気地がない」
「それに関してはいつものことでしょう。にしても……」
「あ、君、気にしないでね。レイヤは少し、人見知りなとこがあってさ。
それとさっきのは、君も無事で良かったってこと。後、君の名前が知りたいってさ」
そんな姿に何か無礼を働いたかと心配になっていれば、チャラそうなイケメンさんのお言葉に、わたしはホッと肩を落とす。
「そうだったんですか……。
心配してくれて、ありがとう、です。わたしと猫さんが無事だったのは、皆さんが助けてくれたお陰ですよ。
わたしはシルビィア、って言います。今日、この学園に庶民枠で入学する新入生です」
その後、姿勢を正したわたしは、感謝の意が伝わる様に言葉を発し、自己紹介をした。
時刻は朝七時。入学式は九時に直接、会場に集合となっている。
昨日、学園の寮に入ったわたしは、登校と校舎見学を兼ねて、朝の散歩中だったのだ。
「やはり、そうでしたか。
この学園の生徒が木登りなど、普通ならば有り得ませんし、普段は見つかると大騒ぎでしょうからね」
「え?! あ、そ、そうですよね! ごめんなさい、です……」
「い、いや! 君は正しいことをしたんだ! 謝るべき所なんてない! サフィル、そんな風に言わなくて良いだろう!!」
確かに貴族様が木登りなど、普通ならば考えられないし、怒られる。素直に謝れば、王子様の声が飛んだ。
「……事情が事情なので、今回は注意だけで済ませましょう。ですが、シルビィアさん」
「は、はい……」
「自らが華奢な女性でいらっしゃること、そして、いくら慌てたとは言え、背格好への計らいも必要だと思われますよ」
「あ、サフィルも見えてたんだね。白無地のまさに清純派って感じだよね。シィちゃんのパンーー」
「ユーリ!!」
「……破廉恥だ」
皆さんの発言を前に、少し思考を飛ばしたわたしは、何のことを言われているのかに気が付いて、それはもうハッとしてしまった。
寮以外の校舎内では制服着用が校則となっている。そう、わたしは現在、ワンピース型になった女子制服であり、スカートの中身は下着になっているのである。
そんな格好で木なんかに登れば、下からはどうやっても丸見えだろう。
「わ、わたしったら、なんてお粗末なものを……ッ。
ほ、本当にごめんなさいです! わ、忘れて欲しいです」
「お粗末なんてとんでもないさ。シィちゃんみたいな、可愛くて優しい子のパンーー」
「ユ・ゥ・リィッ!!」
「あ、アハハ、ウソウソ! レイヤったら、いつも以上に冗談通じないなぁ」
わたしが赤くなっている間に、二人は追い駆けっこを始めてしまう。
そんな姿におろおろしてしまえば、一緒に眺めていた二人が声を掛けてきた。
「……気にしなくて良い」
「え? で、でもーー」
「あの二人に関しては、日常風景として見て下って構いません。とはいえ、幼なじみの度々の失礼、申し訳ありません、シルビィアさん」
下げられた頭に、わたしは戸惑い慌てた。
「そ、そんなッ?! あ、頭を上げて下さい! 元はと言えば、わたしが悪くて……」
「いいえ、女性である貴方に、この様な無礼を行うなど、貴族としてはこれ以上にない恥。身勝手ながら、我々は自らの汚名を晴らす為にも、貴方にお詫びさせて頂きたいのです。
そこで迷惑でなければ、校舎案内を任せて下さりませんか? お一人で宛もなく回るには、この校内は広く、不便なこともありますから」
とても下手に出てくる彼を前に、わたしは唖然としてしまう。
この場合、断った方が失礼なのではないだろうか? で、でも、こんな格好良い集団にエスコートされて、校舎を見て回るなど、注目を浴びそうだ。だが、汚名を晴らしたい彼等的には、周りに示す為にもその方が都合が良い筈。
「さすが、サフィル。見事にシィちゃんの自己犠牲心に訴えかけてるね。レイヤもそれくらい出来なきゃ、初恋は実らないよ?
ミッちゃんとの婚約はなくなって、早く相手を決めなきゃまた新しい婚約、組まされちゃうんだからさ」
「~~ッ?! な、ぼ、僕は、そ、そんなつもりじゃーー」
「何年連んでると思ってるのさ? ていうか、そこまで分かり易いと、気付かないシィちゃんの方が稀少。
それとさ、庶民とは言え、あの百年に一人しかいない枠に、満点で受かる程の優秀な子だし、あそこまで可愛くて純真無垢だと、誰だって放って置かないよ。せっかくの機会なんだから、しっかりお近付きになっておきなよ。協力してあげるからさ」
「……そんなことを言いながら、本当は狙っていないか?」
「えぇ? 信頼薄いなぁ。奪うとしても、レイヤに見込みがない場合だからさ、心配しないでよ。ま、本気で奪われたくなきゃ、今の内からレイヤがしっかり握って置くことだね。ってことで行ってらっしゃい!」
「えっ?! お、おい、ユーリ?!」
少し騒がしくなる周りに気付かずに考え込んでいると、唐突に目の前に王子様が飛んできた。あまりの事態に唖然とするも、止まれない様子の彼を受け止めるべく構える。
だが、相手はわたしよりも少し身長が高く、勢いもかなりなものでわたしに受け止められる相手ではない。結局、彼に押し倒される形で、わたしは棒が倒れる様に頭から地面に倒れ込んだ。だが、
「い、痛たた……ッ?!」
どうやったかは分からないが、わたしを抱き寄せた彼が、倒れると同時に下に回ってくれたらしく、少しの回転の後に気付けば、わたしは彼の上に寝転がっていて、痛みはまるでない。
「だ、大丈夫か?! 怪我は?!」
「わ、わたしは大丈夫です。ちょっとビックリしちゃったけど……」
「……そうか。良かった」
さっきと同様に、酷く慌てた様子に笑い掛けると、彼は心から安堵した様な笑顔を見せた。
その笑顔は酷く気が抜けてしまっていて、想像の中の優しい微笑みを浮かべる王子様とはまるで違う。
なんて言うか……優しいのは勿論だが、綺麗、と言うよりも可愛い、と言う方が似合っている。
「ど、どうかしたのか?」
「え?! あ! い、いえ! って、ご、ごめんなさい、です! 今急いで退きますね!」
思わず目を奪われてしまっていれば、心配してくれる彼。
わたしは変に動揺してしまって、慌てて彼の上から退き、傍に座り込んで少しそわそわする。
あからさまに変なわたしに気付いたのだろう。起き上がった彼の心配そうな視線がやってきて、どうにか誤魔化す為に話題を視線をさまよわせることで探すわたしは、目に入った彼の左手の指を見て慌てる。
「大変です! 血がッ?!」
「え? あ、本当だ。草で切ったのか……。でも、この程度だし、気にしないでーー」
「ダメです! 小さな傷口でも菌が入って悪化しちゃう可能性もあるんです! ちゃんと手当てしないと! えっと……あった! 手を出して下さい!」
「う、うん……」
傍に置いてあった鞄からポーチと水筒を取り出したわたしは、流される様に差し出してきた彼の手に優しく触れながら、手早く手当をしていく。
「手慣れているんだな……」
「そんなことないですよ。この程度なら、道具が揃ってて少し教えれば誰にでも出来ます。
あ、でも、これは応急処置なんで後でちゃんと、保健室に行って下さいね」
血は殆ど出ておらず既に止まっていたので、水で洗って傷口が乾燥しない様に絆創膏を張るだけである。
微笑みかけると、頬を染めながら見ていた彼は、素直に頷いてくれた。
「あのさ、これは結果オーライだよね?」
「少なくとも、レイヤから怒られることはありませんね。ただし、レイヤに怪我をさせたことがばれれば、お父様方がうるさいかと」
「……俺達は護衛だぞ」
「ま、まぁ何とかなるさ!」
「そう言うことにして起きましょう。さて、お二人とも」
突如、響いたその声に見れば、忘れそうになっていた三人の内、眼鏡男子なイケメンさんが声を掛けてくる。
「校舎案内に移りませんか?」
その申し出に、わたしはそれに関して、考えていたことを思い出す。が今更、断る気にはなれなかった。
「じゃ、じゃあ、えっと、お願いします。あ、でも、その前に……」
「どうかなさいましたか?」
「いや、え、えっと……ま、まだ、皆さんのお名前、聞いてないって思って……」
こちらの方が今更過ぎて、とても言い出しづらい。
わたしの困った呟きに彼等は一瞬、それはもうぽかんとして……
「す、すまない! そうだったな!!」
「いけませんね。名乗らずとも相手が知っていらっしゃることが多いせいで、失念していました」
「自分で名乗るって殆どないからさ」
「……俺も控えてばかりだから」
自分で名前が名乗る機会がないとは、貴族とは不思議な生き物だな。
しみじみとそう思いながら、わたしは改まった彼等の自己紹介に耳を澄ませたのだった