流星群
仕事終わりの夜8時。家の近くのスーパーで買い物をする。
今夜の晩ご飯。明日の朝食。そして、今夜の酒と煙草。
「女なんだから煙草を吸うのはやめてくれ」
昔…20代前半の頃に…付き合っていた彼にそう言われたが、私は結局煙草をやめられなかった。若い頃はそれこそどこでも吸っていたが、30代に入った今は、夜、家の中でだけ吸うようになった。それでも時々どうしても我慢出来ない時もあった。なのでライターだけは常に携帯していた。
レジが終わり、買った物を袋に詰める。そういえば、あの時付き合っていた彼は今どうしているのだろうか。別れた原因も今でははっきりと覚えていない。私の煙草が原因だったのだろうか?それとも別の理由?そんなことよりもう結婚しているのだろうか。
自分の左手を見てため息をつく。薬指には何もない。私はまだ独身だった。そして、こんな時間まで仕事をしているわけだから恋人もいない。お風呂上りの酒と煙草が毎日の楽しみだった。
別れた彼の事を考えながら袋に物を詰める。久々に車の中で一服しようかと思い、煙草の箱は1番上にした。
スーパーの外に出ると、夏の夜のムッとした空気が私を包んだ。今夜も寝苦しい夜になりそうだ。そう思った時
「里美…?」
突然名前を呼ばれ立ち止まる。聞き覚えのある声だった。ついさっきまで私の頭の中にいた人。声のした方を見る。スラリと背が高く面長な男が、半袖にハーフパンツ姿で立っていた。
「祥二…」
私に煙草をやめろと言った元恋人だった。
「やっぱり里美か。ちょっと大人っぽくなったけど髪型とか雰囲気とか変わってないからもしかして、って思ったんだ。元気にしてたか?」
大人っぽくなったって…30超えた人に言う?髪型はあの頃からあまり変わらないショートボブ。さっぱりしていて楽だし、何より祥二がとてもよく似合っていると褒めてくれた髪型だ。そんな理由だなんてとても言えないけど。
「久しぶりね。あんたは何も変わってないみたいに見えるわ。そっちこそ元気なの?」
何年ぶりの再会だろう。それでもこうして普通に話せるという事はきっとケンカ別れではなかったのだろう。それとも時が癒してくれたのか…。
「なぁ、時間があるならちょっと話さないか」
そう言って祥二はスーパーの脇にあるベンチを指さす。ムードも何も無い場所だったが、まぁいい事にした。
買い物袋を足元に置き、私と祥二はベンチに腰かけた。古びたプラスチックのベンチがギィと軋む。
「スーツなんか着て、こんな時間まで仕事か?」
袋からペットボトルのスポーツ飲料を取り出しながら祥二が聞いてくる。
「いろいろ忙しくてね。あんたは?」
祥二に質問を返しながら、私はスーパーの袋から煙草を取り出す。ベンチの脇には灰皿が置いてあった。ここでは吸ってもいいということだろう。
「ぼちぼち。今日は散歩がてらこっちのスーパーに来てみたんだ。ほら、空キレイだろ」
そう言って祥二は空を見上げる。空がキレイ?彼はこんなにロマンチストだっただろうか。そう思いながら私は煙草に火をつける。夏の夜空へと消えていく煙。それを辿って私も空を見上げる。そこには大きな天の川。零れてきそうな星空に、思わず
「キレイ」
と言葉が漏れる。星空を見て感動するなんていつ振りだろう。思い返せばそんな余裕もない程仕事に打ち込んできた。ふと、隣に座る彼を見つめる。少し老けたかな、そう思わせる横顔に時の流れを感じた。
「な、キレイだろ。たまにはこういうの見て心を癒さねぇと。仕事ばっかじゃ心だってしんどいだろ」
「あんたってそんな事言う奴だったっけ?」
煙草をふかしながらそう言う。
「たまには、な」
そう言ってペットボトルを口に運ぶ。チラリと見た左手に指輪はない。彼もまだ独身なのだろうか。それとも外しているだけか。
「お前まだやめてなかったんだな、煙草」
半分呆れたような声で祥二は言う。
「でもここまでくると様になってるっていうか何ていうか、かっこいいよ」
褒めてんのか馬鹿にしてんのかよくわからない口調で祥二は続ける。
「彼氏、何も言わない?」
「そんな相手いないもの」
煙を吐き出してそう答える。
「なんだ、オレと一緒か。オレもまだ独り身」
そこで私と祥二の視線が合う。祥二は何を思っているか知らないが、私はほんの一瞬、淡い期待を抱いてしまった。もう一度やり直せる?
「そう。お互い寂しい者同士ね」
淡い期待を振り払い、私はまた煙草をふかす。こんな女だもの。無理に決まってる。
「おい里美、見ろよ。流れ星」
そう言って祥二が空を指さす。その指の先にはただの星空しかなかった。
「すげーな。流れ星ってほんっと一瞬なんだな」
何にもお願い出来なかったー、そう言って彼はまたペットボトルを口に運ぶ。私は黙って星空を見上げる。そういえば、何とか流星群が近いうちに見れるとか何とかってニュースでやってたっけ。
「ねぇ、あんた流れ星に何をお願いしようとしたのよ」
2本目の煙草に火をつけながら私は問う。
「お前ともう一度やり直せますように」
「はぁ?」
予想外の答えに間抜けな声が漏れる。祥二、今、何て?
「だってさ、こうしてせっかくまた会えたんだしさ。見てみろよこの星空。その星の数ほど人がいる中で偶然再会するなんてそうないだろ」
本当に、いつからこんなロマンチストになったのだろう。
「煙草、やめれないよ?」
「それはもう仕方ないさ。それでお前がリラックス出来るってんならオレは何も言わない。だから…なぁ、考えてくれないか。オレとのこと」
嬉しさと照れくささから私はまた煙草をふかす。
「本当にいいの?」
「嫌なら願ったりなんかしないさ」
そう言って空いた手で私の手を握ってくる。とても久しぶりな彼の手の感触に、懐かしさと安心感を感じた。
「今度の流星群、一緒に見ようね」
「あぁ、約束だぞ」
新たに携帯番号とアドレスを交換して、私たちはそれぞれの帰路につく。
今夜は星を眺めながら一杯やるのもいいかもしれない。きっと祥二も同じ事をするだろう。
次の流星群の日はいつだったのかを思い出しながら、私は車を走らせた。