最終話 エピローグ:沈黙の広場は明日へ
季節がひとつ、双葉印を三度またいだ。
広場の温度ログは、今朝も淡々と更新される。
〈週報ダイジェスト〉
—怒鳴り声ゼロ連続:43日→58日
—請願→実装の中央値:4日→3日
—監査・是正の定着率:92%→94%(短い三本で運用)
—謝意便箋:週平均31通(すべて私物)
広場標準仕様 v1.3の表紙は、角が少し柔らかくなった。触れた手の数のぶんだけ、退屈は生活になっていく。
朝の合図は変わらない。
『参照番号はここ。質問は紙で。お茶は台所』
——子どもが声に出し、屋台がうなずき、温度巡回が袖の札を弾く。名は呼ばれない。役割だけがよく歩く。
王家広報は、見出しを**『参照番号はここ』で統一したまま、本文を短い合言葉→段取り**に揃え続ける。
帽子の青年——殿下は、**家内手順(抄)を広報末尾に置き、謝意は別紙で台所へ送るのを忘れない。
読み方の人ミレーユは、落ちた子の小部屋で『出口は成績』**を擦り切れるまで言い、訂正テンプレを補充する。
図書塔のノアは、鍵は二つのまま、敵と味方に回れる顔で印影を整える。
王都新聞のブレムは、紙面の端にずっと同じ一行を残す。
「退屈は維持費、混乱は修理費。」
昼前、恩庫(効力なし)の前を学童が通りかかる。ガラスの空額の裏に差した薄い封を見つめて、先生に問う。
「ここ、何もないの?」
「型紙だけがあるの」
子どもは頷き、ポケットの噂温計を一度だけ見て、しまう。噂は湯気で流れ、手順は壁に残る。
午後、請願票が三通。
—「雨の待避所が満員」→テント一張追加(前倒し)
—「匿名返却箱の鍵が固い」→油さし+予備鍵標準化(鍵は二つ)
—「抽選配点の読みが難しい」→絵の説明札を掲示(S-012-c補強)
砂時計印の満了線は短く、前倒しの朱が二つ増える。退屈は速い。
夕刻、沈黙の広場にだけ起こる静かな混雑。
温度巡回が“火→湯気”の動作を一つも使わない日が、ついに来た。
質問は紙で。
子どもは絵で。
喜びは便箋。
抗議は請願。
起点の言葉は、誰の口からでも同じ音で出る。
日が落ちる。王都監査のダッシュボードは丸を四つ保ったまま、余白に小さく**“継続”とあるだけ。
私は広場の端で温度計**の傾きを直し、砂時計印のインクを少し温める。匿名の私としての仕事は、それだけで足りる。
帽子の青年が隣に立つ。
「更新、押したよ」
「双葉印、似合います」
彼は短く笑い、便箋を胸の内側にしまった。
「私物は私の棚で処理した。公共は段取りで」
「橋は渡れています」
それだけ言って、私たちは大掲示板を眺めた。名はない。起点だけが明るい。
広場の最下段に、細い字で三つ置いて幕を引く。
“名を出さず、役割だけを並べる。”
“正しさは短く、段取りは長く。”
“退屈で助かる。——ここで完了。”
声は祝砲。今日は鳴らさない。
沈黙の広場は、いつもの静かな混雑で、番号の方向へ明日を指している。お茶は台所。