表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/19

第18話 退職届(仕様)

 朝、鍵束の重さを量り直した。敵と味方で一つずつ——指に置くと、重さは同じで、意味だけ違う。

 保管庫B-3の卓に薄紙を広げ、見出しを短く据える。


〈退職届(仕様)〉

 一、引き継ぎ完了番号

 二、残課題の所在

 三、鍵の返納先

 四、掲示位置(起点の言葉)

 五、名の戻し方(緊急時のみ)


 私は欄を埋めていく。

 一、R-074/D-112/M-021/S-012/K-010(受理印の影は薄緑で揃える)

 二、温度ログの更新・請願→実装の中央値・家内手順の市の在庫補充

 三、図書塔・ノア/宰相補佐・ギーゼル(敵と味方=どちらにも回れる二人)

 四、広場中央・大掲示板の最上段

 五、第三者監督の合意+参照番号の臨時付与(満了線は三日)


 端に砂時計印を沈め、満了線を細く引いた。印影が心許ない場所は二度押し。退屈の二度押しは、だいたい正しい。


 ノック。司書騎士ノアが入ってきて、無言で閲覧ログを一冊置く。

「閲覧の足跡は揃った。善意に頼らず回る」

「採用。善意は私物、運用は仕様」

 ノアは頷き、鍵の片方を私の掌に一度だけ触れさせ、すぐ引っ込めた。引き継ぎの感触は、紙より短い。


 廊下でグリム課長が腕を組んで立っていた。

「退職届、刃じゃなくて方向になってるか」

「はい。“終わり”ではなく“始め方の残し方”です」

「退屈で助かる。——署名は?」

「署名のない署名で」

 私は空欄に役割名だけを書いた。〈受理印を押す人〉。名は置かない。


 広場へ出る。大掲示板の最上段に、退職届(仕様)を差し込む。

 その右に起点の言葉の札をもう一枚。

『参照番号はここ。質問は紙で。お茶は台所』

 ——名の代わりに、合図だけを明るく置く。


 温度巡回の若者が近寄り、目で読む。

「“名の戻し方:三日”」

「緊急時だけ。第三者監督の合意が鍵」

 若者は頷き、袖の温度計札を弾いた。「火→湯気で守る」


 そのとき、王都新聞のブレムが帽子を斜めにしながら走ってくる。

「見出し、“退職届(仕様)——届は刃でなく方向”でいく。紙面の温度は?」

「湯気。別紙に私物は誘導。便箋の市の棚を隣に置いて」

「退屈で助かる記事だな」

「退屈は維持費、混乱は修理費です」

 彼は笑い、速記の線を引いて去った。


 祈祷会のご婦人が掲示の前で立ち止まり、小声で言う。

「“名が消える”のは寂しいね」

「名は便箋の市へ。公共は合図で動きます」

 ご婦人は頷き、便箋に二語だけ書いて落とした。『ありがとう』。寂しさは、だいたい私の棚で温度が合う。


 昼前、学究院から読み方の人ミレーユ。

「**“退職の読み方”を子どもに説明したい。“終わり”と“引き継ぎ”**の違い」

「黒板に二行だけ」

 私は小札を渡す。

“終わり=叙述/引き継ぎ=手順”

“名=便箋/合図=掲示”

 彼女は笑い、走って戻る。文体は跳ね足で伝播する。


 午後、宰相補佐ギーゼルが庁舎に現れ、届を一読して鼻を鳴らした。

「鍵の返納先に私の名がある。——敵と味方、ね」

「どちらにも回れる人に鍵を持ってもらうのが仕様です」

「退屈で助かる。名の戻し方の三日、短い三本に分けろ」

「一日目:状況公開/二日目:暫定運用/三日目:再掲示——で」

 ギーゼルは満足そうに頷いて、鍵の片割れをポケットにしまった。


 **恩庫おんこ**を開け、空額の裏に小さな封を差す。

〈添付:運用残置メモ〉

 —温度ログの書式/請願票の見本/家内手順の冗談欄

 効力なし。記念だけ。過去は陳列、現在は運用、未来は仕様書。


 夕刻、帽子の青年——殿下が広場に立つ。

「“名の戻し方”、試さないで済むように回す」

「質問は紙で。合図は短く」

 彼は参照番号の小札を配り、王家広報の見出しは今日も**『参照番号はここ』。“君”は消えたまま、“みなさん”**が定着している。


 その横で、工匠ギルドの若頭が請願票の**“次に押す場所”を自筆で太く直す。

「低い台の件、前倒しで実装した」

 私は掲示の余白に“前倒し:完了”**と付記し、砂時計印を上から軽くなぞる。満了線が温度を保つ。


 日が落ちる。沈黙の広場は静かな混雑へ戻り、怒鳴り声ゼロの札が一日分伸びる。

 私は庁舎に戻り、机の引き出しから名札を取り出す。裏面の布を指で撫で、封筒に入れた。宛先は未来。差出人欄は空白。

 封をして、鍵を二人に渡す。図書塔・ノア、宰相補佐・ギーゼル。受け取る手の温度は同じで、役割だけが違う。


 最後に、退職届(仕様)の右下に双葉印を落とす。

〈更新:必要なら、誰でも同じ温度で〉

 掲示を見上げ、私は日誌の末尾に三行。


“届は刃でなく、方向。”

“名は便箋、合図は掲示。”

“鍵は二つ——敵と味方。”


 灯を落とす。起点の言葉だけが薄く光る。

『参照番号はここ。質問は紙で。お茶は台所』

 ——次は、履歴の一行を置きに行く。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ