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第15話 沈黙の広場・定着

 朝一番、広場の石畳は夜露で最適温に濡れていた。

 大掲示板の中央に、新しい表紙が差し込まれる。


〈広場標準仕様 v1.0〉

 一、掲示:参照番号/更新日/責任者(役割)

 二、温度計:火=怒鳴り声/氷=沈黙の拒否/湯気=質問は紙で

 三、砂時計印:満了線=必ず終える/下段=余白工程

 四、導線:列は優先順位券/訂正はテンプレ/謝罪は短文票

 五、分離:喜びは便箋/抗議は請願票/感想は私の棚


 見出しの端に小さく注釈。

〈退屈で助かるを、標準にします〉


 掲示の前に、帽子の青年——殿下が立っていた。彼はその表紙を指でなぞり、起点の言葉を口の中で確かめる。

「『参照番号はここ。質問は紙で。お茶は台所』」

 口癖が運用に変わる音がした。文体は、定着すると生活臭が出る。良い兆候だ。


 午前の鐘が一つ。私は広場の片隅に新しい木箱を据え、札を掲げる。

〈請願票置き場——怒鳴り声の代わりに、段取りで〉

 一、何を変えたい

 二、誰が困っている(役割)

 三、参照番号

 四、次に押す場所(自案)

 ——請願は短く、段取りは長く。


 最初に現れたのは、屋台の菓子職人たち。

「ゴミ箱の位置が悪い。紙コップが風で飛ぶ」

「導線図をください」

 私は白紙に狭い通路の矢印を描き、砂時計印で**“今週中に移設”**の満了線を置く。

「火で訴えるより、矢印を増やしたほうが早い」

 職人は肩をすくめ、笑って頷いた。「退屈で助かるな」


 温度巡回の新任——袖に小さな温度計札を付けたボランティア——が、広場の四隅を歩く。

 彼らは音量ではなく様子を見る。「子どもの泣き声→絵の質問票へ誘導」「老人の愚痴→便箋の市の**“未来の自分へ”棚へ」

 怒鳴り声ゼロの掲示が、三日連続から“七日”**に伸びた。数字は色気がないが、嘘を嫌う。


 学究院では公開試験・常態運用(S-012)が二週目に入り、抽選+基礎点はもう街の語彙になった。

 門前の親たちは、“入口は運、出口は成績”と自然に口にする。ミレーユ——読み方の人——は、その脇で訂正テンプレの束を配り、誤集計の逆順照合を子どもにも説明する。

「二人照合は転ばぬ先の手。転ばないのは自慢にならないけど、距離にはなる」

 子どもが笑って、噂温計をポケットに戻す。湯気は広場から校舎へ移植された。


 昼前、祈祷会のご婦人が広場のベンチで静かに座り、膝の上の便箋に短く書く。

『来年も一緒に座って祈る』

 便箋は婚姻・合意更新の棚へは行かず、私の棚の箱へ落ちる。公共に流れず、私物で完結する回路。

 そばで工匠ギルドの若頭が、再縫製台の掲示を更新している。

〈仕上げ講習→毎夕/検査二重化→継続/回収屋台→土曜に追加〉

 喜びは読み上げられない。代わりに、段取りが一段増える。


 午後、王都新聞の編集人ブレムが現れて、広場中央で紙面の温度計を掲げた。

〈本日:湯気〉

 —特集:“退屈のコスト”(怒鳴り声が減った分、読解の手間が増えた)

 —実例:請願票→実装までの時間(中央値:七日→四日)

「“退屈のコスト”って、嫌われない?」と彼が眉を上げる。

「嫌いは私物。公共は必要を扱います」

「見出しは**“退屈は維持費、混乱は修理費”にしよう」

「語感がぬるい**。採用」


 請願票は一日で十七件。

 —「雨の日の待避所が足りない」→テント設置(満了線:三日)

 —「**列の“先に困っている順”**が見えにくい」→大札化(数字を太字に)

—「噂の温度が場所ごとに違う」→角ごとに温度計札増設

 誰がではなく、何が。恨みは便箋へ分散し、文句は矢印で薄まる。


 夕刻、監査の中間報告(K-010)の二回目を広場で屋外実施。

 ラウル補任監査官が短く述べ、私はダッシュボードの円を指す。

 〈範囲/方法/時程/確認〉の四つの丸。その縁に参照番号が灯る。

 質問は、紙で。子どもは絵で。

 “誰の罪”を探す手は挙がらず、“次の押し場所”を尋ねる指が増える。

「遅い正確は、みんなの頭の体温を下げる」とラウルが笑う。

「下がった体温で、長く歩ける」と私は返す。


 その最中、広場の端で小さな抗議が芽を出した。

「抽選は不公平だ!」

 声は高いが、まだ火ではない。私は請願票と導線図を手渡す。

「入口の形と出口の決め方を分けて書いてください。基礎点の下限を見直す案なら、S-012-bへ」

 男は紙を受け取り、息をついて、砂時計印の横に**“二週間”と自筆で書いた。怒りが段取り**に変換される瞬間は、だいたい静かだ。


 夜の手前、庁舎前で**“掲示係”の育成講座**。対象は町内の世話役と、屋台の読める子。

 私は黒板に三行だけ書く。

“短い合言葉、長い段取り。”

“名を出さず、役割を並べる。”

“更新日と満了線を忘れない。”

 受講者に砂時計印を一人一つ配り、緑青インクの温め方を教える。

 質問が出る。「冗談は必要か」

「冗談には罰則がない。——湯気が薄いときに足してください」

 教室に笑い。笑いは手順の取っ手。持ちやすくなる。


 講座が終わるころ、殿下が控えめに顔を出す。

「王家広報の文面、“退屈で助かる”を見出しから本文へ下げた。標準仕様の語に合わせる」

「口癖は標準へ。見出しには具体を」

「見出しは**“参照番号はここ”にした」

「退屈で助かる」

 彼は笑い、私物を胸にしまって去る。私物は未提出**のまま、公共の文体だけが前に出る。理想の順序だ。


 恩庫おんこでは、今日も喧嘩ゼロ。扉の前に空額がひとつ増え、札が付いた。

〈“誰の名も飾らない棚”——仕様はここから持っていく〉

 過去は陳列、現在は運用、未来は仕様書。街の三時制は、ようやく噛み合ってきた。


 日が暮れ、沈黙の広場はその名の通り、静かな混雑へ戻る。

 大掲示板の片隅には、今日から貼られた小さな表。

〈温度ログ(週次)〉

 —火:1(外野の野次→紙で回収)

 —氷:0

—湯気:残り全部

 —怒鳴り声ゼロ連続:9日

 —請願→実装の中央値:4日

 —謝意便箋:23通(私物)

 数字に物語はないが、続くの脈はある。


 庁舎へ戻る途中、読み方の人ミレーユが走ってくる。

「“抽選で落ちた子の会”を作った。便箋と再試験の段取りだけの小部屋」

「悔しさは便箋、歩き方は段取り」

「合言葉は**『出口は成績』。——泣き声が湯気になっていく」

「退屈が勇気**の床になる」

 彼女は頷き、携帯版・噂温計を胸ポケットに戻した。


 夜。机で標準仕様 v1.1の余白を作る。

 —児童の質問=絵の欄を増やす

—優先順位券の色弱対応

—請願票の**“次に押す場所”の例示を増量

 ノアがやってきて、静かに言う。

「匿名の私の合図、まだ鳴らないか」

「名がなくても動くが、もう少し退屈**になるまで」

 彼は頷き、砂時計印を私の日誌の隅に落とした。満了線はまだ先だ。方向だけが整っている。


 灯を落とす前、今日の末尾に三行。


“退屈で助かるを標準に。”

“怒鳴り声ゼロは誇らず、更新する。”

“喜びは便箋、抗議は請願、導線は掲示。”


 外はぬるい夜風。沈黙の広場は立ったまま、番号で明日に向いている。


――――

【小さな勝利】広場標準仕様 v1.0を掲出/請願票→実装の中央値7→4日/怒鳴り声ゼロ連続9日/温度巡回の常態化/王家広報を標準文体へ統一

【次話予告】第十六話「手順を愛の形に」——殿下が**“起点の言葉”で暮らしを設計し、謝意は別紙で提出。私物と公共の橋**を、静かに渡る章。

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