プロローグ
神の世界。
秩序と因果が網のように張り巡らされたこの場所にも、例外なく“仕事”がある。
その一つが、「死者管理局 死因調整課」──通称「死調」。
人間の“死”を予定通りに進めるための、いわば死神たちの職場だ。
「はい、柊 葵さん、15歳……死因は……うん、肺疾患。病死、と……」
クロウは眠たげな目で端末を操作しながら、左手の紙カップに手を伸ばした。
中身はいつものカフェオレ。苦いのはどうも苦手で、甘めのこれがちょうどいい。
カチッ。
確認ボタンを押し、溜息とともに背もたれへ寄りかかる。
「……よし。今日もノルマ一件、終了です。順調順調」
鼻で笑うように自分に言い聞かせながら、口をつける。
その瞬間。
端末がピコンと不穏な音を立てた。
【登録済み魂:柊 葵】
【死亡状態:未確認】
【状態:生存/異常なし】
「…………は?」
カフェオレが喉で止まりかけた。
クロウは慌ててデータをスクロールし、何度も読み返す。
「……いやいやいや……生きてるって、君、病死予定だったじゃないですか……!」
記録を見返しても、ミスはない。
15歳、末期肺疾患。余命1ヶ月。病死予定で処理済み。
──ただひとつ、想定外だったのは。
人間界で新薬の治験が成功し、完治してしまったこと。
「人間……ほんとに、勝手なことばかり……」
静かに、しかし深く呟いた。
呆れでも怒りでもない。
ただ、ため息交じりのひとりごとだった。
けれど事態は、笑って済ませられない。
死因を“病死”で処理してしまった以上、彼女が事故死でも事件死でもしようものなら、死調にとっては帳簿違反の大事故だ。
しかも、柊葵にはもうひとつ、厄介な条件があった。
「……あと1週間で、16歳になる……」
彼女の“死の予定”は、15歳で設定されている。
その年齢を越えた瞬間、因果の力が収束し、どんな形であれ死をもたらす。
「これ……止めなかったら、事故死確定じゃないですか……」
クロウは立ち上がり、静かにローブを羽織る。
報告すれば、叱責。放置すれば、違反。どう考えても詰んでいる。
「……もう、行くしかないですね……」
紙カップのカフェオレを飲み干し、空間に開いたゲートに足を踏み出す。
人間の世界。病死予定だったはずの少女のもとへ。
死なせるはずだった命が、まだ生きている。
でも――病死以外で死なれたら、それはそれで困る。
「……君に死なれたら、困るんです」
小さく漏れたその一言が、死神としてではなく、クロウという“ひとりの存在”の感情だった。
──これは、“予定外”の少女と、“まだ不完全な死神”の、一週間だけの物語。