Ⅳ.王都 1
Ⅳ.王都 1
桟橋についたデバステーター号から舷梯が下ろされた。
それらの作業しているのはガイコツ水兵だった。荷物の積み下ろしや帆の取り込みなどにも忙しく立ち働いている。
甲板に並んでいた小鬼たちはいっせいに翼を広げて飛び立った。小鬼は幾つかのグループに分けられているらしい。ある一隊は桟橋から王城の門まで列を作り、別の一隊は上空を旋回していた。
どうやら船の運航はガイコツ、空と陸での戦いは小鬼が受け持っているらしい。よく組織され、訓練された軍隊だった。
ハワードと少女は、ナイと共に小鬼たちの列に囲まれて王城へと向かった。
「開門!」
ナイの命令で巨大な扉が開く。ここから先は内庭が広がっている。ハワードの想像した通りだった。
だが、進むにつれ、ハワードは戸惑いを隠せなかった。ここは確かに自分が想像した王城のはずだった。だが、そこここに見慣れない物がいくつもあった。
細い見張りの塔が幾つも立ち並んでいるのは想像の通りだったが、その先端には探照燈と、回転式の連発銃らしきものが据えられていた。
(おかしいぞ。あんなもの、ぼくは考えたこともない。なんだか凄く異質な感じがする)
夢が書き換えられている。
ハワードは奥歯を噛み締めた。ぼくの夢を、勝手に誰かが。
けれど、それらの配置を見たハワードは、その意図はおぼろげに理解できた。
(侵入者を恐れてるんだ。ほとんど病的なくらいに。この城から一歩も出ずに、籠城戦をするつもりなんだ)
たが、デバステーター号と小鬼の軍団は完全に外征向きの侵攻軍だった。王城の守りを固めて、デバステーター号で外征する、という戦略なのだろう。
やがて城の主要部へと歩を進める。入り口のホールに入ったハワードはまたもぎょっとした。ホールの中央にはゴンドラがあった。それは頑丈な鎖で吊るされた、鳥かごを思わせる乗り物だった。
「昇降機・・・」
ナイと共に二人も乗り込む。やがてゴンドラはするすると上昇を始めた。数匹の小鬼たちがゴンドラの上昇に合わせて飛び上がる。護衛か監視のつもりらしい。
「ねえ、ちょっと」
少女がハワードの袖をそっと引いてささやいた。
「おかしくない、この城」
「うん。変だ」
「なんだか時代がごっちゃになってる気がするわ」
「いや、それは元々だけど。でも昇降機はやり過ぎだよ」
そしてゴンドラは上層階に着いた。外が見えるテラスのある大広間。
その床には魔方陣のような巨大な星型の文様があった。いや、ただの文様ではない。それは星型の岩か何かを埋め込み、水平に削り出したもののようだった。
「なるほどね」
と少女はつぶやいた。
「これが星魚なのね。ほら、カダス亭で銛打ちが言っていた」
ではここが玉座の間なのか。良く知っている筈なのに、まるで見知らぬ場所のように少年には感じられた。異質な、好ましくない空気が充満している。そんな風に思うのだった。
二人の子どもはナイにうながされてゴンドラを降りた。
正面の星魚の文様の奥は、床が一段高くなっており、その頭上には幾重にも重ねられた薄い布が美しいドレープを形作っていた。
玉座はそこにあった。
飾り気のない、黒檀で出来た背もたれの高い椅子。
座しているのは黒いドレスをまとった貴婦人だった。
ほっそりした体には不釣合いなほどの豊かな胸。その面は抜けるように白く、濡れた紅唇と漆黒の瞳があった。
整った鼻筋、繊細なおとがい。高々と結い上げた美しい黒い髪。それは完璧な美の具現化といってもいいくらいだった。
ナイは威儀をただし、朗々と口上を述べた。
「我らが偉大な支配者にして美の化身、万能の統治者にして絶対不可侵の女神、時を超える者、クロノ女王陛下である」
黒の女王は冷たいとさえ言える理知的に瞳で子どもたちを見据え、言った。
「この者たちは何故ひざまずかぬのじゃ」
ナイは小さな声で注意した。
「女王陛下の御前である。頭が高いぞ」
少女がきっとなって叫んだ。
「なによ、図々しい! あなたこそひざまずきなさい。そして前非を悔いるがいいわ。この偽者の女王、薄汚い簒奪者め!」
沈黙が玉座の間に落ちた。少女は自分の怒りが空振りになって、不安げにハワードを見た。ハワードは軽く肩をすくめて見せた。
「許してあげますよ、娘」
黒の女王はあでやかな笑みを見せていった。
「年端も行かぬ野育ちの娘なのじゃからのう」
「馬鹿にするんじゃないわ」
少女は激高して言い募った。
「夢を食い荒らす貪欲で醜いブタのくせに! お前なんか」
しかし少女はふいに口を閉じた。女王がすさまじい憎悪のこもった表情をしたからだ。それは地獄の悪魔もかくやと思われるほどの怒りの表情だった。
「言わせておけば。名すら持たぬ儚い存在のくせに、わらわを愚弄するか、この無名乙女めが!」
女王は見下したような表情を見せた。
「小娘が。汝は実在せぬ幻ではないか。この少年の直ぐな、清き猛き心が生んだ影。現実の自分となにもかも正反対の鏡像、確かならぬ儚き夢の存在ではないか」
だが、その言葉を聞くと、少女――無名乙女は余裕の笑みを漏らした。
「あなた知らないのね」
哀れむように、
「ここをどこだと思っているの? ここは鏡の門の彼方の幻想王国、夢の世界なの。
儚き夢ですって? ここでは夢の存在こそが確かな、価値ある存在なの。そんなことも知らないなんて。あなた」
目を細め、
「夢の世界の住民ではないわね。どこから来たの? 異世界? そうか、わかったわ、お前の正体が。お前は別の次元、別の時間、別の宇宙からの」
「黙りゃ!」
その言葉は見えざるムチとなって少女を打った。少女の小柄な体は床に叩きつけられ、大きくバウンドした。
「そんな!」
ハワードは叫び、少女のもとに駆け寄った。抱き起すと、少女は口と耳から血を流し、意識を失っていた。
「しっかり、しっかりして」
ハワードは少女の体を揺さぶった。と、
「動かしてはいけません。そっと寝かせて」
そう言って屈みこんでいるのはナイだった。
「手当てさせましょう。衛兵!」
鋭い声で小鬼を呼ぶと、手当てするよう言いつけた。二匹の小鬼が少女の体と足を持って、背中の羽根をパタパタさせて大広間を出て行く。
ついて行こうとしたハワードは、ナイに押し留められた。
「会見は終わっておりませんぞ」
ハワードはナイを一度睨み、そして黒の女王に向き直った。
「ひどいじゃないですか。女の子に、あんな、あんなことを」
「ほほほ、何を言うのじゃハワード・フィリップス」
黒の女王は艶然と笑って言った。
「あの娘はお前の幻想に過ぎぬではないか。いくら傷つけようと、殺そうと、何度でも復活してお前の側にはべる。お前の忠実な奴隷娘ではないかぇ。
夜毎日毎責め苛み、なぶりものにし、陵辱したとて、その傷はすぐに癒え、お前に媚を売る。かわいらしい玩具ではないかぇ」
邪悪と言うにもおぞましい女王の言葉に、ハワードは慄然とした。それは少女の正体を知ってしまったことよりも、何倍もの衝撃を純真な少年の心に与えた。
少年は、だから口を閉ざした。
この化物にはきっと何を言っても無駄なのだ。この城に引きこもり、強力な軍隊と兵器で守られ、自分は安全なところに居ながら、デバステーター号で破壊と災厄を撒き散らす。
自分の言うことを何でも聞く、奴隷のような部下に囲まれて、自分がどれほど醜いことをしているのかすら分からなくなっているのだ。
女王は、しかしとろけるような笑みを浮かべて少年を見た。
「ああ、なんと凛々しい子供であるかな。ああ、わらわはそこもとが欲しいぞぇ」
よだれを垂らさんばかりの欲望に満ちた目で少年を舐めるように見る。
「欲しい。欲しい欲しい欲しい。ああ、欲しい。わらわが失ってしまったその純真が。おぬしの汚れのないその体が欲しい。いまだ情欲に身を焼くことを知らぬ、うつくしい心と体が欲しい」
そこには女王の威厳も、知性のかけらも感じられなかった。美しい容姿とは裏腹の、醜い欲望をむき出しにした一匹のモンスターがそこにいた。
「貪る女王・・・」
ハワードは以前聞いた女王の異名をつぶやいた。
女王はさっきから玉座に座ったままだというのに、まるで自分の方に迫ってくるかのように感じて、ハワードは一歩あとじさった。だがすぐ後ろにはナイがいて、少年の両肩を後ろからしっかりと掴んだ。
「のう、ハワード坊や」
女王は舌なめずりするかのような絡みつく口調で言った。
「ひとつ相談があるのじゃがな」
「な、なんだよ」
引きつった声で答える。
「ほほほ、そんなに怯えずともよい。取って喰いはせぬわ。なに、大したことではないのじゃ。この幻想王国を創りしは確かに汝じゃが、今現在治めておるのはわらわじゃ。汝は現実世界にかかりっきりになってこの夢の国までなかなか手が回らぬのじゃろう?
だから、な、この世界を、幻想王国を、わらわに譲ってはくれぬか? なに、心配はいらぬぞえ。汝は“夢見るもの”なれば。こんな世界のひとつやふたつ、いくらでも創れるではないか。
なら、こんな出来損ないの世界なぞ、投げ出してしまうがよいぞぇ。見返りに、そうじゃな、どうじゃ、ハワード坊や、未来のことを教えてやっても良いぞぇ」
「未来?」
「そうじゃ。現実の汝が生きる世紀で何が起こるか、わらわは全て知っておるのじゃ。
なんとなればわらわは時を越える者なれば。知りたくはないかぇ。いつ、どこでどんなことが起きるのか。戦争の行方は。新たな発見、発明品は。未来を知ることはすなわち力を得ることじゃ。汝は予言者になれるぞよ」
だが、ハワードは首を横に振った。考えるまでもないことだった。
なぜなら。
カダス亭で、彼は知ってしまった。自らの夢が作り出したあの人たち、夢の住人たちもまた夢を見るのだ、ということを。
そして他の夢世界から来た人々、他者さえも彼の夢を喜び、愛してくれていることを。そしてまた地下に押し込められている子供たち、それら彼の夢の中で生きる健気な者たちのことを。
この世界で出会った多くの人々。実直なレッドシープ大尉、気のいいモーラ、ひょうきんなオータム爺さん、機関士のおじさん。そして。
ハワードは足元を見た。
玉座の間の星魚を仕留めたことを自慢していた銛打ち。
それらの人々の思いは、けっして幻でもなければ、やり取りしてよいモノでもなかった。
ハワードはきっと眦を決して黒の女王を見た。
「お断りします」
大きな声ではっきりと答える。
「これはぼくの夢の王国だ。あなたにも、他の誰にも渡さない。いいや、違う。渡すことができないんだ。あなただって、けっしてこの世界を自分のものになんてできない。夢はその人そのものなんだ。だから、あなたはあなたの夢を、あなたの世界を創るべきなんだ」
黒の女王は黙ってハワードを見ていた。その顔はどす黒く変色し、醜く引き歪んでいった。
さきほど無名乙女の暴言を浴びた時に見せた怒りの表情にも似た、深甚な怒りが形となって女王の美しかった面に現われていた。
「わらわの夢だと。知ったような口を。この生意気なガキめ。前世紀のアナクロな人間のくせに。片田舎で引き篭もっている、現実不適応の甘えたガキの分際で。かわいい顔をしているから優しくしてやりぁ付け上がりおって」
女王は叫んだ。
「ナイ! この者を殺せ! この無礼なガキめを引き裂いてしまえ!」
たが、少年の後ろに控えていたナイは冷静な声音で、
「しかしながら陛下、今ここでこの者を殺しては、この幻想王国そのものが崩壊してしまいます」
女王はぐっ、と詰まった。
ナイは落ち着き払って続けた。
「いかがでしょう。この少年に今少し考える時間をお与えになっては。冷静になれば自分にとって何が得か分かろうと言うもの」
女王は醜く変形してしまった顔をさらに歪め、唸るように一言を搾り出した。
「任す」
ナイは「ははっ」と頭を下げると、ハワードの肩を抱くようにして女王の前から退き、共にゴンドラに乗った。するすると下がって行くゴンドラ。
「君はあまり利口ではないな」
ナイは持ち前の皮肉さを発揮してそう言った。
「そうですね」
ハワードは今の一件で高ぶった感情を鎮めながらつぶやいた。
「ばか正直でした」
そしてこう付け加える。
「あなたくらいうまく立ち回れればよかったのかも」
そう聞くと、ナイはどこかうれしそうに、
「ま、愚かな君主に仕えるにはそれなりの対処方がありましてな」
少年は驚いて、
「いいんですか、そんなこと言って」
「なに、我は本当はあの女王に仕えているわけではないのです」
「え」
「我が仕えしはこの国そのもの。その女王がたまたま、かの人だったというだけのこと」
「へぇ」
意外にクールなその答えに、ハワードはまじまじとナイの顔を見た。
「だからと言って買収はききませんぞ」
片目をつぶって見せる。根っからの悪人ではないのかもしれない。案外いい人なのかも。そんなことを思う。
ゴンドラは塔の中ほどの階ですうっと止まった。一階まではまだだいぶあった。
「無名乙女はこの階で治療を受けております」
ナイはそう告げると、ゴンドラを降りるように促した。そこには二匹の小鬼がいて、ハワードを間に挟んで立った。
「閉じ込めるようなことはいたしませんが、勝手に出て行かれても困ります。そのものたちの指示には従うように。ああ、それと気が変わったらいつなりとも私の名を呼んでくだされ。どこにいようと伺います」
「いろいろとご親切に」
ハワードは皮肉でなくそう言った。
ナイはその浅黒い精悍な顔に一瞬、人間らしい暖かな笑みを見せた。だが、すぐに面を引き締め、そんな表情などなかったかのような顔をした。
ゴンドラはナイを乗せて再び上昇し、残されたハワードは小鬼に挟まれて、ある部屋に案内された。そこは中央に天蓋付きのベッドのある、貴婦人の寝室のようだった。ベッドに横たわっているのはもちろんあの少女だった。
Ⅳ.王都 2 につづく