Ⅲ.荒廃させるもの 2
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正面の線路の上空には、不気味な黒い帆船が左舷を見せて滞空していた。
舷側にある二十門以上の砲身が機関車を狙っている。19世紀初頭の戦列艦の姿をした堂々たる空中戦艦だった。
まだかなりの距離があるはずだったが、陰々として不気味な、けれどどこか気取った声がその空中戦艦から聞こえてきた。
「女王陛下の名において命ずる。停車せよ。しからずんば攻撃す」
もの問いたげな機関士の視線に、少年はうなずいた。
釜の圧力を下げてスピードを落とす。しかし機関士は油断なくあたりを見回すと、こう言った。
「止まると見せかけて突っ切りますぜ」
「でも、」
「ここから先はゆるい下り坂になっておりましてな。スピードが出るのです」
「詳しいのですね」
「この国の鉄路のことなら全て知っていますがな」
「わかりました、なら客車の二人に知らせてきます」
「それには及ばぬ」
ふいにオータムの声が聞こえた。見ると、給炭庫の屋根の上に老人と少女の小柄な体があった。客車から抜け出して来たらしい。二人は屋根からするりと運転台に身を躍らせた。
「勇敢な機関士よ、おぬしの勇気には敬服するがの。ちと尋ねたいことがあるのじゃが」
「なんですかな」
「うむ。この機関車は銀河鉄道本線にも乗り入れ可能と言っておったな」
機関士は減速しつつも徐々に近づいて行く黒い帆船に目をやりながら、
「もちろんそうでさあ」
「そしておぬしは幻想第四次の時空鉄道の運行資格を持っとると言うたな」
「言いましたがな」
「ふむ。聞くところによると時空鉄道は幻想世界間の空間移動が可能なはずじゃが。このまま飛んで逃げることは出来ぬのかの」
機関士は落ち着かなげに制帽を被り直して、
「機能としてはもちろん備わっておりますが」
そして言いにくそうに、
「ただ、大陸上での空間運用には制限がありまして。鉄路の敷設された幻想大陸内では、軌条以外での運用は禁止されておるのです」
「フィリップス王の許可があってもかの」
「運行のご許可は現地から頂くのですが、時空鉄道の運用については中央鉄道管理局の規範に定められておりまして」
「無視する訳には行かぬか。危急存亡の時ぞ」
機関士は額の汗をぬぐった。
「それは、しかしそもそも中央世界の有り様が『契約』に依りますので、規範からの逸脱は時空鉄道の存在そのものの否定に、ひいては」
「分かっておる。おぬしの存在そのものの消失に繋がるのであろ。無茶を言うてすまなんだ。じゃが、地上を走っていてはあの空中戦艦からとても逃げ切れるものではないぞよ」
すまなそうに眼を伏せる機関士。ハワードはいたわし気にそっとその腕に触れた。機関士はその少年の手を握り微かに首を左右に振った。少女はそんなハワードの様子をじっと見ていた。
「さ、機関士よ、列車を止めるがよい」
オータムは運転手をねぎらう様に、
「おぬしは鉄道員として立派に職責を果たしておる。後のことはこの年寄りに任せるがよい」
そうこうしている内にも、有翼の小鬼たちが列車の周囲を包囲していた。後方からはケルベロスも追いついて来る。
やがて列車は完全に止まり、小鬼たちも地上に降りた。列車を中心に幾重にも同心円状に包囲する。
小鬼というのはハワードたちと同じくらいの背格好の、小柄な怪物だった。その額には一対の角と、牙の生えた醜い口があった。
身に纏うのは漆黒のボロ布で、両手の長く伸びた鋭い爪が武器のようだった。しかし、ハワードはその小鬼たちの目を見てはっとした。
とても哀しそうな、今にも泣き出しそうな目。それは自らの姿を、それとも運命を厭っているように思えた。
やがて前方の黒い帆船は地面すれすれまで高度を下げた。地面まで舷梯が下ろされる。その階段を、小鬼とは違う背の高い人物がゆっくりと降りてくる。大地に降り立ったその人物は、悠然とした足取りで近づいて来た。
きらびやかな金モールつきの海軍提督の制服を着たその人物は、浅黒い肌の精悍な顔つきの青年だった。どうやら指揮官らしい。どこかで会ったことがある、とハワードは思い、首をかしげた。どこだったろうか。
列車のすぐ近くまで来たその男は、両手を後ろ手に組み、胸を張って言った。
「顔を見せたまえ。ハワード君」
名を呼ばれたハワードは機関車の運転台から顔を出した。
指揮官は皮肉な笑みを浮かべて言った。
「やれやれ、君は人の親切を無にしたな」
「なんですって」
「せっかく因果を含めて夢境に連れて行ってあげたというのに。何故あの国境警備の騎兵と共に隣国に逃げなかったのだ?」
「なぜそれを。それに、あなたはいったい」
指揮官はどこからか出した鍔広の帽子を被って見せた。
「ヴェインさん? あの馬車の」
「覚えていて下さって恐悦至極。なれど、虚無というのは偽名でしてな」
「では、ではあなたは何者なんです」
「我が名はナイ。王国の宰相にして海軍提督、黒の女王の第一のしもべにして、黒の軍団を統べるもの」
「ナイ・・・」
「べつだん呼びたければヴェインでも構わぬが」
鍔広帽子を投げ捨て、
「さ、全員列車から降りられよ。なに、命まではとらぬ。王都へお連れせよ、との女王陛下の命なれば」
ハワードは振り返り、仲間たちを見た。うなずき合い、運転台から大地に下りる。少女と老人も続く。
「機関士、君も降りたまえ」
だが、オータムは、
「この者は我らが脅して言うことを聞かせただけじゃ」
「反逆者の仲間ではないのか」
「よしんばそうだとして、この者は中央鉄道管理局の正式な職員ぞ。その身になにかあれば中央世界を敵に回すことになるぞよ」
ナイはふん、と鼻で笑った。
「中央世界など。いずれ我が軍がこの幻想宇宙を制圧した暁には消滅しておるわ」
「じゃが今はまだ他の世界に打って出るほどの力はあるまい?」
「何が言いたいのだ」
「列車と機関士には手を出すな。我らには関係なき者なれば」
ナイは冷たい目で老人を睨んだ。
「つまらぬ慈悲心を持っているようだな。何者だ」
「わしはオータムと呼ばれておる。一介の読み本屋じゃよ。人畜無害の年寄りじゃ」
「よく言うわ。この亡霊め」
と、決め付ける。
「分かっておるぞ。お前はとうに死んでいるのだな。そしてその魂魄だけがこの幻想世界をさ迷っている。そうであろう」
ハワードと少女はオータムを見た。
「ふふん。気づいたか。いかにも我が肉体はすでに滅びておるわ。なれど、肉体に縛られぬ今こそ、わしは真の自由を手に入れたのじゃ」
「では何ゆえ老成を気取るか。お前の魂は若々しい青年のようだぞ。魂の命じる姿になぜならない」
「これくらい枯れておる方が万事楽なのよ。老いの愉しみという奴じゃ」
「訳の分からぬことを。この幽霊ふぜいが」
「ふん、奸臣めが」
どうやらこの二人はよほど気が合わないらしい。ハワードはそっとオータムの手を握った。オータムはその手を握り返し、
「わしが幽霊と知って怖いかね」
小さくつぶやく。
「いいえ」
「わたしも」
少女も短く答える。
オータムはナイに向かって、
「列車はここから元の町に返す。我らはおぬしらと王都へ行く。それでよかろう」
ナイはじっと考えているようだったが、やがて口を開いた。
「ふむ。まあいい。好きにするがいい」
うるさそうに手を振ってみせる。それをOKのサインと見たハワードは、振り返り、機関士に手を振った。機関士は敬礼し、レバーを引いてギアを入れ替えた。鋭い汽笛の音に続いて、ゴトリと列車はバックを始めた。
列車が行ってしまうと、残された三人はオータムを中心に寄り添った。
「では行こうかの」
老人の言葉に少年少女はうなずいた。
ナイはにやにや笑いながら三人を見ている。
と、ふいにオータムは懐から一冊の本を取り出した。
「気をつけろ!」
後ろで控えていたケルベロスの左の首が叫んだ。
しかし、その時にはオータムは本から破りとった一枚の紙片を地面に叩きつけていた。とたんに大地に黒い穴がぽっかりと開き、老人と少年少女はその穴に落ち込んで行くのだった。
真っ暗闇の中で、ハワードは身じろぎした。ここがどこか分からない。いや、自分が立っているのか横になっているのさえ分からなかった。
あたりを手探りしてみる。どうやら自分が冷たい地面にぺたんと座り込んでいるのは分かった。そろそろと手を伸ばしてみる。何かに触れた。なんだろう? そう思ってぎゅっと握ってみる。
「きゃあっ」
と、少女の悲鳴が聞えた。
「どこ触ってるのよ、ばか!」
「ご、ごめん」
「これこれ、子どもたち、暗闇をいいことにおイタをするでない」
「オータム爺さん、どこですか」
「ちょっとぉ、手をどけなさいよ」
「待て待て、いま明かりをつけようほどに」
ぽっ、と淡い燐光が闇に浮かぶ。見るとオータムが本を片手に立っている。手にしたその本が人魂のような光を発していた。ハワードと少女は驚くほど近くにいて、ハワードの手は少女の太ももに置かれていた。
慌てて身を引いた少年を、少女はつめたく睨んだ。
「さて、と窮地は脱したようじゃの」
「それはいいけどさ」
少女はあたりを見回した。
「どこよ、ここ」
そこは背の低い、天然の鍾乳洞のように見えた。小柄なオータム老でも立って歩くのもやっとなくらいの低い天井。幅も両手を広げれば手の平が着いてしまうくらいの狭さだった。
「地下世界、というところかの」
老人は燐光を放つ本のページを繰りながら答えた。
「この幻想王国の地下にはこうした空間がたくさんあるのじゃ。緊急避難にはもってこいじゃよ」
そして本を閉じて、
「この洞窟は王都まで続いているはずじゃ。歩いていけばいつかは着く・・・ハズじゃ」
疑わしそうな視線の少女から目をそらし、オータムはハワードに向かって、
「では参ろうかの。方角は向こうじゃ・・・たぶん」
ハワードを先頭に、少女、オータムの順で暗やみを進む。それぞれの手には本から破り取った一ページが握られており、淡い光を放っていた。その光を頼りに歩く。
もはや話すことばも忘れたかのように、誰一人口を開かなかった。その暗闇の行軍がどれくらい続いたのか。
時間の感覚は既に失われていた。一時間か、丸一日か、それとも一世紀も経過してしまっているのか。あるいはただの一分くらいなのか。
「む。なんじゃ、あれは」
前方になにかの明かりがチラチラと見え隠れしていた。出口だろうか。いや、そうではない。その何かはひらひらと舞っているように見える。
「蝶、かの」
オータムがつぶやく。そう、闇の彼方で見えたのは、光を放つ蝶の羽ばたきだった。とにかく、あれを追って行けばどこかに出られるのではないか。ハワードはそう思った。
気づくと、いつの間にか洞窟は広く大きくなっていた。手にした本の燐光では到底全体を照らせない。さらに蝶を追って進む。突然、三人は巨大なドーム状の空間に出た。岩肌のそこここからは淡い燐光が発していた。
と、今まで見えていた光の蝶がふっとかき消すように見えなくなった。同時に、大勢の人の気配を感じる。
「囲まれた」
ハワードはそうつぶやき、少年と少女は老人と背中合わせに立った。
「お前たちは何ものだ」
その誰何の声を聞いて、ハワードはショックを受けた。それは幼い子どもの声だったからだ。
「黒の女王の手下だろう、そうに決まってる」
「殺しちゃおうよ、殺しちゃおうよ」
「ダメダメ、確かめてからだよ」
「構わないよ、やっちゃおうよ」
どれも舌足らずな声。
「待ってよ、ぼくらは黒の女王をやっつけに行く途中なんだ」
ハワードは闇に向かって叫んだ。
「嘘だ」
「嘘だよ」
「きっと嘘だ」
少女も口を開いた。
「本当よ。私たちの声を聞いてよ。ほら、子どもでしょ? あなたたちとおんなじ」
「嘘だ、嘘嘘」
「ちゃんと見えてるぞ、大人が一緒じゃないか」
「だまされないぞ」
口々に言い募る。
オータムはゆっくりと語りかけた。
「子どもたちよ、聞くがいい」
「大人だ」
「お爺さんの声だ」
オータムは続けた。
「聞くがいい、子どもたちよ。我らは怪しいものではない。黒の軍団の手を逃れ、地下に逃げてきたのじゃ。ここにお前たちがいるのは知らなかったのじゃよ。
いかにもわしは大人じゃ。それも年老いた爺じゃ。お前たちには何もしやせん。一緒にいるのは黒の女王が敵と狙う子どもじゃ。お前たちと同じように黒の女王から逃れて来たのじゃ」
闇の子どもたちのひそひそ声が聞こえる。どうやら迷っているらしかった。
「どうしよう、どうしよう」
「敵じゃないかも」
「でも、もし嘘をついているんだったら」
「ジンに聞こうよ。そうすれば分かるよ」
「エルフィンに聞こうよ。そうすればきっと教えてくれる」
「ジン、ジン、」
「エルフィン、エルフィン」
「誰か二人を呼んで来て」
「ジンとエルフィンを呼んで来て」
「ジンとエルフィン、ジンとエルフィン」
時ならぬコールが洞窟のドームに木霊する。
「ジン、エルフィン、ジン、エルフィン、ジン、エルフィン」
その時、さっと明るい何かが洞窟内に飛び込んで来た。
「蝶?」
それは先ほどまで見えていた光る蝶のようだった。だが、こうして見るととても大きい。それは闇の中で輝きを増していく。まばゆい光が洞窟内を照らした。
「おやめなさい、あなたたち」
優しい声が洞窟に満ちる。光は岩陰にいる子どもたちの姿を浮かびあがらせた。二十人は居るだろうか。下は五歳くらい、年上の者でも十歳以上はいない。
男の子と女の子がほぼ同数いるようだった。いずれも粗末な、服とも言えないボロ布を纏っている。そして子どもたちを照らすその光の源は、
「エルフィン、エルフィン」
子どもたちの歓呼の声に、その光は片手を上げてこたえた。それは人間の姿をしていた。
髪の長い、十五、六の少女。その輝く体には一糸も纏わず、背中にはやはり光輝く蝶の羽根があった。洞窟のドームの中心にふわりと浮かぶ光の少女。それは神々しいまでの美しさだった。
光の少女はハワードたちに話しかけた。
「子どもたちが失礼をしました。でも許してやってね。この子達は皆、黒の女王の子供狩りから逃れてきたのです。地上世界の大人たちを恐れているのです」
ハワードは手をかざして少女を見た。そうしなければ眩しくて目を開けていられなかったのだ。
「あ、あなたはいったい誰なんです。ここはいったいどういうところなんですか」
「それは僕が答えよう」
一人の少年が、いつの間にかドームの中央に立っていた。やはり十五歳くらいで、皮のズボンと上着を着ていた。凛々しい顔立ちの少年だった。
「ジン、ジンだ」
「ジン、ジン、ジン」
子供たちのコールを、手を上げて止める。
「さあ、三人ともこっちへ。エルフィンも一緒に」
「ええ。さ、こちらへ」
二人に案内されて、ハワードたち一行は洞窟の奥まった場所に案内された。そこは小さな洞窟で、五人が中に入るとそれだけで満員になってしまった。
入り口側にはハワードと少女とオータム。奥にはジンが座り、エルフィンと呼ばれた光の少女もその隣に腰を下ろしている。
エルフィンは光を弱くして、眩しくない程度に押さえてくれていた。全裸だったけれど、背中の羽根がまるでガウンのように体を包んでいた。
「僕たちは黒の女王の子ども狩りを逃れた子供たちなのさ」
あらためてジンが説明を始めた。
「王都で子ども狩りがあったとき、一部の親は自分の子を地下に逃がしたのさ。王都に、というよりもこの王国の地下に網の目のように洞窟が広がっていることを知っているものは少ない。だから僕らはここで、ずっと息を殺して生きてきたんだ。
食料は、最初は大人たちが持って来てくれた。でもそれもだんだん滞るようになって、僕らは自分で食物を得なければならなくなった。地下の李苔だとか、地下水流の魚だとかを。
以前はもっと王都の近くにいたのだけどね。黒の女王もこのことに気づいて、黒の軍団を使って地下にも攻めてきたのさ。だから僕らはだんだんと王都から離れていったんだ。
僕はたまたまこの中で一番年上だったから、リーダーということになった。そしてエルフィンも同い年で、みんなのお母さんのような役割をしているんだ。
しばらくはみんな元気に暮らしていたんだ。だけど、暗闇の中で生活していると、体のためにはよくない。病気になる子が増えてきたんだ。
光が欲しい。そう僕らは願った。そうしたら、ある時エルフィンの体が光っていることに気づいた。光は日増しに強くなって、病気になる子もいなくなった。エルフィンはぼくらの太陽になったんだ。
そしていつの間にか“羽化“して、羽根が生えて飛べるようになった。エルフィンは今ではぼくらの太陽であり、お母さんであり、女神さまなんだ」
エルフィンは恥らうように羽根で顔を半ば隠しながら話し始めた。
「最初にあなたたちを見つけたのはわたしなの。悪い人とは思えなかった。だから遠くから、光のダンスでこちらに誘導したの。でも、ジンを呼びに行っている間に子供たちが騒ぎ出してしまって」
そうだったのか、とハワードたちは納得した。次は自分たちのことを話す番だ、とハワードは思った。これまでのことをかいつまんで説明する。自分が何ものなのか、何故黒の女王を倒そうとしているのかを。
「協力してあげたいのは山々だけど」
話を聞いたジンは申し訳なさそうに言った。
「僕らはここの子どもたちを守るので精一杯なんだ」
「分かっておる。王都への道順を教えてくれだけで十分じゃ」
ジンから王都への道順を教わると、オータムは「礼をせねばな」と、地下の植物から作る薬草や、地下での生活についていくつかの実際的な助言を与えた。
名残は惜しかったが、先を急ぐ旅だった。ハワードたちは子どもの王国に別れを告げて教えれた洞窟を進んだ。
振り返ると、ジンに寄り添う光輝くエルフィンの美しい裸身と、二人にまとわりつく子どもたちが見えた。闇に切り取られたその光景は、まるで聖画像のようだとハワードは思った。
地下の道を、三人は黙々と進んだ。
いつになったら王都に着くのか、ジンから聞いた道順だけでは検討もつかなかった。
それに懸念もあった。この道順は地下の子どもたちが、黒の軍団に追われて来た道なのだ。ということは、途中までは敵もこの道を知っているということだった。
「だからの、途中で地上に出た方が良いと思うのじゃ」
というのがオータムの意見だった。
「なにしろ相手は軍隊じゃ。よく統率され、作戦の立案から実行までを効率的にこなす組織力を持っておる。それに対抗するには意表をついた絡め手で行くしかないわい」
「というと、どうするのですか」
「ふむ、要は黒の女王を押さえればよいのじゃ。王城への潜入、ないしは急襲、というのが妥当なところかの」
そんなことを話している最中だった。
突然、地下全体が揺れ動いた。轟音と振動。そして破壊的な崩壊。天井ががらがらと落ちる。
そして、天上に空いた大穴から灰色の空が見えた。そしてその空には、あの黒い帆船がシルエットとなって浮かんでいたのだ。
その舷側に幾つもの発砲煙が同時に上がる。とたんに大地は鳴動し、爆風は土くれを巻き上げた。
「地下通路に向かって艦砲射撃とは。なんと乱暴な」
このままここにいては生き埋めになってしまう。ハワードたちは砲撃で出来た穴からどうにか外へ這い出した。あたりを見回す。荒野の只中だった。だが、遥か彼方に白い尖塔が幾つも見えた。
「王城じゃ。あと一息のところまで来ていたのじゃな」
「でも、ここから先はもう地下を行けませんよ」
「む、やりおるわい。あのナイとかいう男の指図かの。徹底しておるわい」
その時、少女は悲鳴を上げて空を指差した。
「見て、小鬼たちが!」
それはまさに雲霞のごとき大群だった。翼を持つ小鬼たちが、まっすぐにハワードたち目掛けて殺到していた。大砲で燻り出し、小鬼たちに襲わせる作戦だったのだ。
オータムはぽつりと、
「たかが三人相手に総がかりとは。兵力の出し惜しみはなしということかの。あやつ、兵法というものを心得ておると見ゆる」
ハワードと少女は、低空から襲ってきた小鬼にたやすく捕まり、空中に吊り上げられてしまった。二匹の小鬼に左右の肩を摑まれ、身動きが取れない。
オータムはと見ると、やはり二匹の小鬼に吊り下げられている。だが、老人は懐から取り出した本を振り回し、抵抗をやめなかった。
鈍器と化したその本に打たれた片方の小鬼が手を離した。バランスを失い、もう一匹も手を離す。老人が、先の砲撃で空いた穴に消えていくのを目撃して、ハワードは絶叫した。
しかし、小鬼に吊り下げられている今は何もできない。下手に騒いでは落っこちてしまいそうだった。少女の方もそれは同じで、なすがままにされていた。
小鬼に吊り下げられまま、空中の帆船へと運ばれる。
近づいてよく見ると、その船体はもともと黒かった訳ではないことが分かった。かつては白かったらしい船体は、どろどろのタール状の汚れに覆われていた。
船首には船名が刻まれていた。書きなぐったような禍々しい文字は“荒廃させるもの”と読めた。
吊り下げられたまま舷側板の高さを越える。甲板の様子が目に入ると、ハワードはぎょっとした。甲板に並んだ水兵や士官たちは、皆ボロボロの制服を着た黒ずんだガイコツだったからだ。
だがその中でひときわ目立っていたのは、新品の提督の制服を着たナイだった。その背後には例のケルベロスが行儀よくお座りをしていた。燃える三対の目が子供たちを睨みつけていた。
甲板に下ろされると、すぐさま武装したガイコツの水兵がハワードと少女を拘束した。
ナイはそれを見てにやにや笑いながら、
「手こずらせてくれましたね。でもまあ、これでお互いに当初の予定通りですな」
いぶかしげにナイの顔を見ていると、
「王都へ行くのが目的だったのでしょう? このデバステーター号で送って差し上げましょう。船長!」
ナイは横柄な態度で船長を呼びつけた。かつては豪華だったらしいボロボロの船長服を着たガイコツが進み出ると、ナイに向かって敬礼した。
「捕虜二名を船倉にぶち込んで置きたまえ・・・なんだと」
船長はあご骨をカチカチと鳴らして何事か言っているらしい。それを聞くとナイは不機嫌そうに、
「ふん。好きにしろ」
そしてハワードたちの方を向いて、
「喜びたまえ二人とも」
皮肉な視線をガイコツ船長に送りながら、
「王族である君たちは士官用の船室で護送するそうだ」
ガイコツ船長はハワードと少女に向かってさっと敬礼した。そして部下らしい士官に向かって歯をカチカチと鳴らす。
士官は船長に敬礼すると、少年と少女の前に立った。うやうやしい仕草でついて来るようにとジェスチャーで示す。
それを見てナイはもう一度鼻を鳴らした。
「ふん。腐っても王室海軍というワケかね?」
その皮肉にも船長は動じなかった。ハワードはガイコツたちの態度に、ある種の気高さを感じた。哀しそうな瞳の小鬼たちといい、ハワードには彼らが憎むべき敵とはどうしても思えなかった。
恐ろしげなケルベロスも、憎々しげなナイにさえ、どこか滑稽な親しみのようなものを感じるのだった。
ガイコツ士官に案内されて船内に入る。かつては豪華だったらしいその部屋は、しかし今は埃まみれの廃墟も同然の有様だった。
二人が入るとドアが閉じられ、外側から鍵を掛ける音が聞えた。
ハワードはすぐさま舷窓まで行くと、外を見た。船は大きく旋回していた。
「どうするのよ、もう」
少女はふくれっ面で腕を組んでいる。ハワードは肩をすくめて見せた。
「なるようになるさ」
墜落したオータムのことはあまり心配していなかった。数々の不思議な力をもっている老人なのだ。それに実は幽霊なのだ、ということも分かっていたからだ。
デバステーター号は先の軽便鉄道とは比較にならないスピードで進んでいた。舷窓から見下ろす大地は刻々とその姿を変えていく。
上空から国土を見下ろしたハワードは、大地が荒廃し、砂漠化している様子を見ることができた。その荒廃は王都に近づくに連れてひどくなっているようだった。
王都は虹の湖のほとりにあった。『虹の』というくらいだから、以前は虹色に輝く美しい湖水だったはずだ。だが、今はどす黒い不気味な水溜りのような汚れた水を湛えて凪いでいた。
王都は灰色の建物が立ち並ぶ、生彩を欠いた都市に見えた。まるで廃市だ、ハワードは思った。そしてその町並みの端、湖のほとりに屹立しているのが王城なのだった。
「見てごらんよ。お城だよ」
少女を呼ぶ。だが、彼女は首を振った。見たくもないらしい。
王城は幾つもの尖塔からなる壮麗な建物だった。高い城壁に囲まれた内庭を持ち、ひときわ高い中央構造物の周りを尖塔が取り囲む。ヨーロッパの城と、近代的な未来都市とを融合させたようなデザインだった。
この城のことをハワードはよく知っていた。それは書斎にあった本で見た、未来の超高層建築の想像図と、中世のお城の絵からハワード自身が想像した夢の城だったからだ。
デバステーター号は一度城の周囲を旋回すると、湖に向け降下していった。城の湖側には桟橋があった。そこから直接城内に入れるのだっけ、とハワードは思い出した。
ということは、と少年は思い至った。この船はぼくが空想したエーテル帆船なのかな。でも、こんな色じゃなかったはずだ。船名も、デバステーターなんていう恐ろしげなものではなかったはずだ。
誰かがぼくの夢を書き換えている。
そう確信した時、デバステーター号は着水したらしい。突き上げるような軽い衝撃があった。と、部屋のドアがノックもなしに突然開いた。戸口に立っているのはナイだった。
「つきましたぞ、子どもたち」
もはやおなじみとなった皮肉な笑みで告げる。
「王都へようこそ」
Ⅳ.王都 1 につづく