Ⅵ.大いなる帰還 2
2
ケルベロスの三対の目は爛々と輝いていた。
「いつぞやは遅れをとったが」
向かって右の頭が低く唸る。
「今度はそーはいかぬ」
真ん中の頭がカン高い声で威嚇する。
「あきらめろ。ここがお前たちの終焉の地だ」
左の頭が美声で宣言する。
しかし、
「ここは我らにお任せを」
青ジャケットの三人の少女歩兵がケルベロスの前にたち塞がった。地獄の番犬はそんな少女たちを嘲笑うかのように口々に、
「命を粗末にする奴め」
「噛みころしてくれるぅーう」
「邪魔だて無用」
三人の少女は、しかし恐れ気もなく近づいて行く。ケルベロスは姿勢を低くした。一瞬で決着がつく、ハワードははらはらしながらその戦いを見守っていた。
と、少女たちが先に動いた。
右の少女は何も持っていない手を、右の頭の方に差し出し、叫んだ。
「お手!」
真ん中の少女は真ん中の頭を指差し、
「お座り!」
そして左の少女は左の頭に向けて、
「ちんちん!」
ケルベロスは思わず三つの命令に同時に従おうとして、足をもつれさせ、その場にどうっと倒れた。すぐさまその三つの首に首輪が巻かれ、鎖が付けられた。
「不覚」
「不覚ぅ」
「不覚なり」
無念そうに呻きながら、けれど負けを悟ったケルベロスは、大人しく少女たちに従って、すごすごと引き立てられていく。
やや呆気にとられつつも、砲兵たちの発射作業は再開された。
「さ、お二人とも砲弾に」
「う、うん」
メガネの砲兵士官の少女に促されて、ハワードと無名乙女はしっかりと抱き合い、砲弾の中に納まった。
メガネの砲兵士官がハッチを閉める前に言った。
「着弾すると自動的に砲弾が二つに割れます。その時に表面には触れないように。火傷しますから」
「分かった。あ、ちょっと待って」
「はい、なにか?」
ハワードは気になっていたことを訊ねた。
「これまでの実験で怪我人は出なかったの?」
「はい、ひとりも」
メガネの少女は虫も殺さない優しい笑顔で答えた。
「アメリアもベティも無事に帰ってきましたよ」
「そうなんだ。で、何か言ってなかった?」
「言ってました」
「なんて?」
「ウッキキキ、て」
「もしかして、アメリアとベティって」
「かわいいお猿さんですわ」
「ちょっと待って!」
しかしハッチはパタン、と閉じられた。外側からロックを掛けるガチャリ、という音が響く。そしてガラガラという音、ガシャン、という音が続いた。
「ハワード」
暗闇のなかで少女はささやいた。
「なに」
「心臓の音が聞えるわ」
二人のぴったりと抱きあった体から、お互いの心臓の音が確かに聞えた。いや感じた。
「怖くない?」
少年の問いかけに、少女はそっと答えた。
「怖くないわ」
「どうして」
「あなたと、一緒だから」
そして今度は少女が問うた。
「怖くない?」
「怖くないよ。ただ、」
「ただ?」
「背中がかゆい」
ぷっ、吹きだす。二人はふふと静かに笑いあった。
その時、がつん、と誰かに思い切り蹴られたような衝撃があった。体が何倍にも重くなる。と、ふいにすべての重圧が消えた。ふわふわした浮遊感。そして再び大きな衝撃があった。
砲弾の外殻がぱっくりと二つに割れた。ハワードと少女は抱き合ったままごろごろと転がり出た。
「な、なんじゃ。何が起きた」
誰かが叫んでいた。ハワードは起き上がり、下になっていた無名乙女を抱きおこした。
「お、お前たち、何をやっておるのじゃ。破廉恥な」
あたりを見回す。
そこは以前にも来たことがあった。玉座の間だった。見ると、天井には大穴があき、そこから灰色の空が見えた。
広間の中央、星型の模様の真ん中に、二つに割れた砲弾が突き刺さり、かすかに煙を上げていた。アンジェリアン・ガールズの砲兵隊の優秀さの証明だった。
玉座には黒の女王が座っていた。今の砲撃で腰を抜かして立てないのかも知れない。ハワードはそう思うとおかしかった。玉座の前には、提督の格好をしたナイが立っており、醒めた目でハワードと少女を見つめていた。
「なんと」
つぶやく。
「なんと、でたらめな」
ハワードと少女は並んで手を繋いだ。同じ格好をした双子のような姿に戸惑っているらしい。
「あなたはもう終わりです黒の女王」
ハワードは静かに言った。
「黒の軍団の正体も分かりました。デバステーター号も助けには来られません」
少女も同じ口調で続ける。これで相手にはどちらがどちらかわからないはずだ。
「降参なさい」
「もうあなたの野望は潰えました」
だが、黒の女王は玉座から立ち上がり、
「ナイ。わが剣を持て」
ナイがためらっていると、
「はやくいたせ!」
金切り声を上げた。
「お前たち、許さんぞ、お前たち」
ナイから剣を受け取ると、黒の女王はふらふらと子供たちに近寄っていった。
「あと一歩のところを、あと一歩のところで」
しかし、ふっとおかしそうに笑い出す。
「ひひひ、野望は潰えたとな? そうではない、そうではないぞえ。今ここで汝が分身、無名乙女を切り殺し、残ったハワード坊やの脳を取り出せば我が方の勝利となろう。さすれば誰も我が野望を止められぬ。そうであろう、ナイ!」
「はあ、まあ」
熱の無い声でナイは答えた。
「大変な目論見違いになってしまいましたが。まだ勝機は失ってはいないかと」
「そうであろ、そうであろ。ひひひひ、まだ負けぬ、負けぬぞえ」
が、二人の子どもは声を揃えて、
「どちらがどちらか、見分けがつくの?」
女王はぎょろりと目玉を左右に動かした。
「ナイ! どちらじゃ、どちらが忌々しい無名乙女なのじゃ!」
と怒鳴りつける。
ナイはため息をつき、指をパチンと鳴らした。とたんに突風が吹き、二人の子どものスカートが風にまくれ上がった。
ハワードはとっさに内股になって裾をおさえ、無名乙女は平然と突っ立っていた。
「そちらかぁ!」
女王は剣を振り上げ、ハワードに切り掛かった。
「死ねい、この影めが」
ナイははっと気づいて、
「陛下、いけない!」
しかしその剣が振り下ろされる直前、破壊的な音が玉座の間に響いた。
黒の女王はその場に尻餅をついていた。
広間の中央、星型の模様の中に煙を上げる砲弾が突き刺さっていた。それは先に子どもたちが乗ってきた砲弾のすぐ隣だった。
ぱかっと外殻が二つに割れる。中から現われたのは、一振りの刀を携えた黒髪の剣士だった。
その姿を見ると、ナイはその浅黒い面を引き締めた。
「お前はいつぞやの」
剣士はすらりと刀を抜き、構えた。
「子どもたち、こやつはわしが引き受ける。黒の女王を頼むぞ」
「はい、オータムさん」
その言葉を聞くと、ナイは険しい顔で、
「きさま、やはりあの爺か!」
「以前おぬしは言うておったな。魂の命じる姿になぜならぬ、と」
ぶんっ、と刀を振り、
「なってやったぞ、ナイとやら。どうした? 臆したか? 子どもや年寄りでないと相手に出来ぬか?」
ナイは端正な浅黒い顔を歪めた。
「言わせておけば」
冷静な宰相、冷酷な提督の顔を持つナイは内心の怒りをあらわにしていた。
そういえば、とハワードは妙に落ち着いて思い返していた。オータム爺さんとナイは初めて会った時から、なんとなくお互いを嫌っていたようだったな、と。
ナイはどこからともなく取り出したサーベルを振るい、青年オータムに切りかかった。
「この根無し草の亡霊め。いつもふらふらしおってからに」
ナイの罵りを面白そうに聞きながら、
「なんじゃ、おぬしは。うらやましいのか? 根無し草のこのわしが。おぬしはこの国の宰相の職にあるではないか。何の不足がある?」
「黙れ! 国家の付属品扱いされる悲哀がきさまに分かるのか。こんな女王に仕えねばならぬ忌々しいロールプレイを強いられし我が身の懊悩が」
「知らんがな」
ナイとオータムは激しく切り結び、互いに見事な剣技の冴えを見せていた。
「それは二人に任せておいて、と」
ハワードは今のやり取りを尻餅をついたままで呆然と聞いていた黒の女王に向かって言った。
「こちらも決着をつけましょう」
女王は、ひっ、と呻くと、そのまま後ろに下がって逃れようとした。
無名乙女はポケットからハンカチに包んだ銅鏡を出して、そこに黒の女王の姿を写して見た。
「どれどれ・・・なぁーんだ」
その姿を見てくすっと笑う。
「男の人じゃない」
「へえ、どれどれ」
ハワードも覗き込む。
「あ、ホントだ・・・ぼくと同じだね」
「同じ・・・かしら?」
黒の女王は狼狽して、
「何じゃ、なにを言うておる、それはなんじゃ」
「正体を映す鏡よ」
無名乙女がそう言うと、 黒の女王は「ひぃーっ」と悲鳴をあげた。
「み、見るな、わらわを見るな」
「わらわだって。おっかしい、いい年をした男の人なのに」
「ひぃぃーっ、」
「もっとよく見せてよ。あれ、なんかおかしな格好だね。ブルージーンズを履いてるよ。鉱山で働いてるのかな」
「これがこの男の部屋なの? なんか狭―い。それに何、なんか石板みたいな板に動く絵が映ってる。幻灯機かな。いやだぁ、裸の女の人じゃない」
「や、やめろぉ、見るな、見るな」
「あー、でも本棚には本がたくさんあるね。それはちょっといいかも」
「でも開いた本を良く見てよ。なんか絵ばっかりの本よ。絵本なのかしら」
「やめて、もう、やめて、見ないで」
「あ、カレンダーがある」
「いやだぁ、カレンダーまで裸の女の人の絵じゃない。いやらしい」
「日付は見える?」
「まって、角度がちょっと、あ、見えたわ。へぇー、二十一世紀だわ」
「だいぶ未来だね」
「でも未来にしては汚くて狭い部屋だわ。何者なのかしら」
今や 黒の女王は床にうずくまり、すすり泣いていた。それはジーンズを履いてチェックのシャツを着た、若い、痩せた男性だった。その顔は平凡で、どうという特徴もなく、強い意志も、希望さえない顔をしていた。
ハワードはなんだか哀れになって、 黒の女王だった青年の前に膝を抱えてしゃがみ込んだ。無名乙女もその隣に同じようなポーズでしゃがんだ。
「どうしてこんなことをしたの?」
小さな子供に話しかけるように聞く。
黒の女王だった若い男は時おりしゃっくりあげながら、
「夢が欲しかったんだ、夢が。ぼくだけの夢の王国が」
ハワードは呆れて、
「だから人の夢を盗ろうとしたの?」
無名乙女はぴしゃりと言った。
「情けないわねぇ。それくらい自分で何とかしなさいよ」
「あー、まてまて子どもたちよ」
いつの間にか戦いをやめていたオータムとナイが肩を並べて近づいて来た。オータムは元の年寄りの姿に戻り、ナイも皮肉な笑みを浮かべたいつもの態度に戻っていた。戦いは決したと判断したらしい。
「こうした相談ごとは年長者に任せよ、な、そうであろ、ナイ殿」
「あなたにお任せますよ。私はどうあってもこの者には逆らえぬ立場ゆえ」
「すまじきものは宮仕え、じゃの」
それには答えず、ナイは肩をすくめた。
「さて、元 黒の女王よ」
穏やかな声に若い男は涙に汚れた顔を上げた。
「なんという顔をしておる。おぬしもこの幻想大陸に来ているからには“夢見るもの”の端くれであろう? そうではないのか」
「こ、ここにこれたのは、偶然、あ、あの『本』を手に入れたから・・・あの魔導書を・・・それから、呪文を、あの言葉を知って・・・」
「おぬしの言う『本』やら『呪文』やらには心当たりが無いではないがの・・・そも、魔導書とはそれを求める者の元に訪れるものじゃ。けっして偶然に手に入るようなものではない。幻想世界への憧憬なき者には、目の前にその『本』があってもその価値には気づかぬものよ」
そしてオータムは憐れむように、
「何ゆえ自らの夢を育まず、奪うことを企んだのじゃ?」
男はおどおどと、
「自分の夢なんて、そんなものつくれないよ。お、お前たちとは時代が違うんだ! 百年、二百年前ののどかな時代とは違うんだ! ぼくの時代に・・・『現代』には夢なんてない」
オータムは憤慨して、
「なにを言う。誰にとってもいま生きてある世界が『現代』じゃ。そしてその世界がどれほど辛く、苦しかろうとも、夢をよすがに生きるが人間というものであろ。
そしてその薄汚い現実世界でのたうちまわり、涙を流し、時には血を流す。誰もがそうして生きておるのじゃ。わしもそうしてきたぞい。そしてこの子もまた」
男はぶるぶる震えながら、
「夢なんてないんだ! あんな、あんな不平等で、理不尽で、汚れた世界に夢なんてない!」
「そうでない世界があるとでも思うておるのか。天地開闢以来、世界とは不平等で、理不尽で、汚れたものよ。だからこそ人は美しい夢を求めるのではないのか?
おぬしのすむ未来世界がどのような所か、しかとは知らぬ。じゃが、おぬし、夢がないのではなく、夢がないと思いこんでおるだけではないのか」
男は膝を抱え、お前になにがわかる、なにが分かるんだ、とぶつぶつ呪詛のことばをつぶやき続けていた。
「救われぬのう。まあよい。これ、元 黒の女王よ」
男はもう顔を上げようとはしなかった。
「おぬしは様々な悪事を働いた。それをこの場でいちいち断罪しようとは思わぬし、また裁く権利も我らにはない」
オータムは天を仰ぎ、嘆息しつつ吟じた。
「哀れなるかな、貪りしものよ。貧しき魂の囚われ人よ。汝にはこの幻想の王国はふさわしからず。汝に相応しいのは、欲望に汚れたる背徳の世よ。さよう、汝には汚らしい現実の世界こそが相応しい」
そしてその肩をとん、と軽く押した。
元 黒の女王はころん、と転がり、そしてその姿は見えなくなった。
「どうなったの?」
ハワードが訊くと、
「なに、あやつのいるべき世界に還したまでのことよ。二度とこちらに来られぬようにしておいた」
「かわいそうだったね」
ハワードはぽつりとつぶやいた。
「お人よしね」
無名乙女は決め付けた。
「さて、ではおぬしはどうする、ナイよ」
老人と子供たちは浅黒い精悍な顔立ちの青年を見た。
「知れたこと」
ナイはハワードをひたと見据えると、さっと片膝をついた。
「我はこの王国に使えし身。黒の女王なきあと、正当なる国王陛下がご帰還あそばされたとあらば、ただ恭順を誓うのみ」
「こやつ、調子のよいことを」
オータムは呆れて、
「どうするのじゃ。国王陛下。このような裏切り者、処刑して後顧の憂いを絶つのが定石じゃが」
「いかようなりとも」
頭を下げるナイに、ハワードは、
「これまで同様、宰相として務めてもらいます」
「なんと。信用するのか、こやつを」
ハワードはくすっと笑った。
「うん。だって、彼もぼくの一部だもの。ぼくのなかの、皮肉屋で、ひねくれ者の部分」
「命冥加なやつめ」
ナイは殊勝に、
「ありがたき幸せ。この上は誠心誠意勤めさせていただきます」
と平伏した。
バルコニーから外の音が聞えてきた。ハワードと無名乙女は手を繋ぎ、並んでバルコニーに立った。オータムとナイもそれに続く。
城下を見る。
戦いはすっかり終わっていた。小鬼たちはすべてもとの子供の姿に戻り、アンジェリアン・ガールズが母親のように世話を焼いていた。
王都の住民たちは皆おもてに出て、我が子を見つけるとその胸に掻き抱き、接吻の雨を降らせていた。みな口々に歓呼の声を上げて笑い、うれし涙を流していた。
そうだ、地下洞窟の子供たちも呼び戻さないと、とハワードは思った。
シャンタク鳥は湖のほとりに翼を休め、その足元ではモーラが何か屋台を開いていた。
湖の対岸に見える列車砲の砲身は真上を向き、空に向かって発砲していた。それは砲弾ではなく、空に七色の花を咲かせる花火なのだった。城下はさながら祭りのごとき様相だった。
ハワードが空に手をかざすと。灰色の雲が割れ、穏やかな日差しが城下に差した。雲は見る見る消えていき、真っ青な空が王国の上に広がってゆく。
黒い船体のデバステーター号がバルコニーの横に姿を現した。黒ずんだガイコツたち、船長以下の乗組員たちは汚れたボロボロの制服を着込み、甲板に整列していた。
ナイは後ろからハワードに囁いた。
「どうかあの者たちにも救いを。祝福された船名を賜らんことを」
ハワードは少し考えて、黒い帆船に向かって手を伸ばし、新たな名前を叫んだ。
「栄光号!」
船体を覆っていたタール状の汚れは見る見る分解し、船体は真新しい白い輝きを取り戻した。
白い船体に、金色の舷側、オーク材の甲板はぴかぴかに磨き上げられ、マストには純白の帆布が翻っていた。そして船首には“グローリア“の文字が誇らしげに刻まれていいた。
甲板に整列した乗組員たちはガイコツのままだったが、その骨は真珠のように白く輝き、制服は下ろしたての新品になっていた。
船長以下、乗組員たちはバルコニーのハワードたちに向かって敬礼した。船長のドクロのあごがかくかくと動くのが見えた。
ナイは後ろから再びハワードに囁いた。
「船長が申しております。われらグローリア号乗員一同、陛下の御為に粉骨砕身、働かせていただく所存にございます、と」
新生グローリア号は、王城の周りを優雅に一周すると、虹の湖に静かに着水した。
泥水のような汚れた湖水は、グローリア号の周囲からみるみる澄んで行き、あっという間に湖全体に広がった。水面は七色に輝き、昔日の姿を取り戻したのだった。
城下の歓声に耳を澄ませる。
「フィリップス陛下ばんざい」という声が、遠いさざなみのように聞える。ハワードは気が遠くなる思いがした。
・ ・ ・
ハワードは自分が祖父の書斎にいることに気づいた。
さっきからノックの音と、自分を呼ぶ声が聞える。
「坊ちゃん? お祖母さまがお待ちです。スープが冷めてしまいますよ」
ハワードは、「すぐ行くから」と答え、使用人は「すぐにですよ」、と念を押して階下に戻っていった。
少年は頭を振った。夢を見ていたんだ、と思う。鏡の中に入り込んで、幻想の王国を取り戻す大冒険をして。でもそれはスープが冷めないくらいの間の出来事だったんだ、と。
けれど、少年は気づいた。どうして自分は裸でいるんだろう、と。
ふと、姿身に目をやる。
そこには、自分そっくりな顔をした子が、女の子の服を着て玉座に座っている姿が映っていた。
玉座の両側には忠臣然として二人の男が立っていた。浅黒い肌の精悍な顔立ちの青年と、白髪に白い顎鬚の優しい顔の老人。
浅黒い肌の青年は気取った口調で、
「フィリップス陛下、汝が王国は我らがお守りしましょうぞ。汝の后たるこの名のない娘を助け、汝の帰還を待ちましょうぞ。なに、長いことではない。それは汝が大人となり、年老い、死んだ後のこと。一瞬の須臾の間に過ぎぬ」
青年はまじめくさって、
「我が君よ、この幻想王国の消失を心配めさるな。王が現実世界で死んだとて、この王国には王の分身たるこの娘がおりますれば。この幻想王国はけっして消えませぬ。すでにして永劫を得ましたゆえに」
うやうやしく頭を下げる。
「王よ。汝の死を心待ちにしておりますぞ。そうしてその後、陛下の治世を永遠にお助けいたしましょう」
そしてナイは――それはむろんナイだった――にやりと笑って、
「それまでの間、この娘には褥の技をお教えしておきましょうぞ。永遠の快楽と無限の悦びをば」
反対側に立っていたオータムは気色ばんで、
「なにを言うか。この娘には世界の神秘を、想像による創造の術を伝授せねばなるまい。少年王に色事はまだ早いわ」
「されどご帰還あそばされるのは老成して後のこと。何の問題もないかと」
「今現在の話をしておるのじゃ。年少者の教育に良くない事を言うでないわ」
ハワードは笑い、「その子を頼む」と言った。あの冒険が夢ではなかったことに気づいたのだ。
いや、あれは確かに夢だったのだ。現実と変わらない、濃密で不確かな、けれど確かな夢。
無名乙女はちょっとすねたような笑みを見せた。
「お待ちしておりますわ、王よ。そしてご帰還のみぎりには我が名を賜りますよう」
そしてがらりと口調を変えて、
「良い名前を考えておいて。変な名前だったら承知しないから。約束よ。いい?」
「約束するよ。もう一人のぼく」
ハワードは鏡を背にして書斎のドアに手をのばし、そして開いた。裸のままで部屋の外に出る。このまま食堂に行ったらお祖母さまはびっくりするぞ、と思いながら。
でも良いのだ、とも思う。ひとは裸で生まれて来るものなのだから。
こうして少年は自らの意思で再び世界に生まれ出でた。そして、いずれその生を全うした後、彼は再び還えるのだ。あの幻想の王国に。
END
あとがき
読んでいただきありがとうございました。
この作品は以前別のサイトで「無名乙女」として公開したものに加筆修正したものです。
楽しんでいただけたら幸いです。
もしお気に召しましたらブックマークと評価ポイントをお願いします。




