116 『月影』姓
「はぁ……。」
学校が終わり、佐藤は家へ向かう。
足が重い。息苦しく感じる。
家に帰りたくない。
そんな感情が襲ってくる。
それでも自分は不幸だと、思ったことはなかった。
初めから決まっていたのだ。すべて。
そんな運命にあらがおうとするだけ無駄。
世界の決まりに逆らえば、どうなるのかわからない。
横断歩道を渡り、歩き続ける。
家が近づいてくる。
家まで後1000メートル。まだ家は見えない。
あと600メートル。吐き気が襲う。
500メートル。世界が色あせる。
300メートル。逃げ出したくなる。
でも――過去の自分が『逃げるな』と言う。
『お前も道ずれだ』と。『一人だけ逃げるのは許さない』と。
黒い自分が、今の自分にしがみつく。
200メートル。足が重い。
100メートル。家が見えた。
50メートル。角を曲がれば家。
10メートル。息をのむ。
あと3歩。……立ち止まって、深呼吸。
あと2歩。気合いで進む。
あと1歩。……――――――。
ドアに、手をかけた。
ドアノブを引いて、玄関を開ける。
「……どうして。」
無意識につぶやく。
この光景が、悪夢のように襲う。この絶望は、『映像記憶能力』を持つ俺にとって、忘れられない感情となり、死ぬ瞬間まで繰り返される。
どうして、ここにいる、そう言いたくなる。
玄関を開けた先にいたのは、義妹。
「お帰りなさいっ。お兄ちゃん!」
(ああ……逃げられない……。)
ほんのりと紅潮した頬。
絵に描いたような満面の笑み。
長いまつげとうるんだ瞳。
誰だって簡単に落ちてしまう、その可愛さ。
「お兄ちゃん、私ね、クッキー焼いたの。お兄ちゃん甘いもの好きだよね? だから、砂糖をいっぱい入れたよ。」
目を輝かせて言う義妹。
思わず顔が引きつる。前に陸とのデート中、カフェで言った。
『甘いものは食べないんだね。』
『そんなに甘いの食べないから。ていうか嫌い。トラウマ級。』
それは、この義妹が原因だった。
でも必死に取り繕う。甘いものがトラウマ級に苦手になっていると悟られないように。
こいつに悟られたら、甘いものだけではなく、苦めの食べ物を作って待っているだろう。今日のように。
「……愛莉……ただいま。」
こいつの名前は愛莉。
親の再婚でできた義妹。
その義妹は満足したのか、にっこりとほほ笑む。
彼女は、結婚詐欺師といわれている『月影』姓を持つ。
もちろん、再婚が原因で家族になった俺も。
家族以外で知っているのは、旅館の女将、筮さんと、担任の神谷先生。
それと、元の学校の奴らも――。
『……あっれー? だれかと思えば佐藤……いや、親の都合で詐欺師の親戚になった月影くんじゃん。』
静かに目を伏せ、義妹の前では甘いものが嫌いと悟られないようにしなければならないと、自分に言い聞かせる。
そうだ。忘れてはいけない。
思い出せ。こいつの狂気を。義妹、愛莉の恐ろしさを。
ナ「……『月影』ってさ、名前の響きは美しいけど、背景が重すぎない?」
作「結婚詐欺師の姓って……いや、もうそれだけでヤバさが伝わる。」
白「でも、愛莉のキャラがその姓を持ってるの、すごく計算されてる感じがするよね。」
そうだね。確かに、結婚詐欺師の『月影』は、美しく、気高く、博識で……少し、天真爛漫で子供っぽい性格をお持ちだ。
ナ「確かに。『月影』って月の光に隠れる影って意味だし……。まさに隠された過去と運命を背負った名前って感じ。」
(なぜわかるんだ……。)
作「いやでも、可愛さで誤魔化してくる愛莉の狂気、油断ならないよ……。」
白「やっぱり、甘いもののトラウマの原因が彼女ってことは……この義妹、ただの明るい子じゃないよね。」
……明るい……かぁ? この子、愛莉も天真爛漫ではあるけど……。
ナ「……今回の話、読み返せば読み返すほどゾクッとするな……。」
白「ついに、本格的に物語が動き始めるってことか……。」(にやり)
作「その『にやり』やめて!? 絶対この後ヤバい展開くるじゃん!!」