105 歪みの刃、恐怖の目覚め
「い゙ッ……!」
優斗は、投げられたものを避けきることができず、苦痛に顔を歪める。
優斗が苦痛の表情を浮かべることはほとんどない。
それが、叔母を偽る他人にとって、珍しく、レアなことであった。
「……やった。やっと、やっと優斗が表情を変えた……! この瞬間を、どれほど待ち望んだことか……。」
小母は異常な目を優斗に向け、喜んでいるのか何なのか、口角を不気味に吊り上げる。
異常な目をしたサイコパスが何かしゃべっている。
だが、優斗の耳には入らない。
(まずい……。この状況は、本当にまずい……。)
優斗は視線だけで小母を見上げる。
三日月形の口がとても恐ろしく感じる。
この感情は、以前なら『気持ち悪い』だというのだと片づけていただろう。
だが今は違う。この感情は『怖い』なのだ。
そう認識した瞬間、不気味な顔で高笑いをする小母の顔が黒く塗りつぶされていく。
――化け物に見えた。
顔が黒く塗りつぶされた、化け物。
まずい、という気持ちしか感じられないのは、焦っているからなのか、それとも恐怖でほかの声が聞き取れないのか。
どちらにせよ、状況が好転することはない。
(熱い。傷口が熱い。この熱さの名前は?)
わからない。
外は大雨。六月だから仕方ない。
逃げなければ。
逃げなければならない。
生きるために。
生き残るために。
生きて、生きて――……生きて……?
生きて? それで?
どうするんだ?
――キィ――――――ン
耳鳴りが……!
「ッ……あ゙ぁアーーーー!!!!」
いつの間にか叫んでいた。
その後、いつの間にか玄関に走っていて、いつの間にか玄関を飛び出して、いつの間にか、傘もささずに走っていた。
靴も履いてない。裸足で。
雨水がパシャパシャと音を立てる。地面を蹴って、前に進むと同時に。
服が濡れる。髪が濡れる。濡れる濡れる。全部濡れる。
服が体に張り付く。服が水を吸い重くなる。髪も同じように重くなる。そんなことは全部全部無視して、走った。
走って、走って、走った。
走る走る走る。どんどん進む。
人はいない。この土砂降りの中で、外に出る人はいない。
道路を突っ切る。
車が止まり、クラクションをあげる。
雨水が傷口に沁みる。
この感情の名前は?
そういうの全ッ部ひっくるめて、さてどうする?
無視。
無視をする。
「はぁ、はぁ、はぁ。」
ごうごうと音を立て、すごい勢いで流れる、川。
大きな川にかかる橋。俺はその欄干の上に乗って、川の眺めていた。
天を仰ぐ。ああ神様。どうしてこうなってしまったのでしょう。
雨が、顔にかかって、目から流れる涙のように、地面に落ちていく。
この水は、雨なのか、涙なのか、どちらでもよかった。
前に体重をかけ、初めはゆっくりと、そして急に早くなっていくスピードと風に体をゆだね、静かに目を閉じた。