風神様は思い立つ
風神様は退屈だった。
それはそれはもうどうしようもなく退屈だった。
花形部署の雷神様とは違い、最近では恐れる人も皆無と言っていいほど減少し、風神様を崇め奉る人はもういない。そんな状況なので、風神様も気分よく風を起こすことができない。なので最近では、風を起こすためのひょうたんにタイマー設定をして、いい感じに風を送り込んでいる。神様だって人間から学んでいるのである。
約1500年前、風神様の役割を先代から引き継いだ時はそれは良い環境だった。人々は雷神様同様に風神様という存在に怯えていたし、それに伴いお供え物も消化しきれないほどあった。「子供が悪いことをすると、風神様が風に乗って攫いに来る」なんていう言い伝えもあったくらいだ。当時は3代目の風神を継げたという喜びからうんと風を起こしたものだった。そのたびに人々は様々なものを供えた。時代が移るにつれて供えられるものも変わっていった。それがまた、楽しみの一つでもあった。
それに比べて今の人間たちときたら、見様見真似の作法で神社にお参りするくらいのもので、神という存在に対しての畏怖の念というものが少しも感じられない。近頃はお供え物のおの字もない。あの花形の雷神様であっても最近伸び悩んでいると聞いている。これは由々しき事態だ。神様だから飲んだり食べたりする必要はないのだけれど、なんとなくひもじい気持ちになってしまう。だから風神様は、風を起こさなくなった。風神の役割を次の代に渡して、どこかの神社の神様になるのも一つの手ではあるが、如何せんなり手がいないのである。だからしょうがなしに風神様を続けている。だから風神様はどうしようもなく退屈なのである。
風神様の一日は、一日と呼んでいいのか分からないような一日を過ごしている。神様たちが住んでいるところに朝や夜は存在しない。故に神様に起きるや寝るといったような感覚はほとんどない。なので一日の始まりの区切りがない。大方の神様たちは、その世界から人間たちの世界を覗いているので、なんとなく一日の区切りがあるのだけれど、風神様に関しては全くない。ただただ日がな一日年がら年中、ずっとぼーっとしているのだ。
もちろん風神様もこのままでいいとは思っていないが、どんな行動を起こせばいいのか皆目見当もつかず、誰かに相談しようにも同じ悩みをもつ神様は八百万いる神の中でもそうそうおらず、もうどうすることも、何かをしようと思うことすらも諦めてしまっているのである。
だがそんな風神様にも転機が訪れるのである。
ある時いつものようにひたすらにぼーっとしていた風神様は大きな音ではっと我に返った。「バキーン」という何かが破裂したような音がしたのだ。風神様は驚いて何十年かぶりにその場から立ち上がり、その音がする方に向かった。その方向は、風を送りこむ為のひょうたんがある場所だった。ここに来るのはひょうたんにタイマー機能を付けに40年前に来たきりだった。
ひょうたんの所まで行ってみると、ひょうたんの側部に大きな亀裂が入っていてそこから風が漏れ出ていた。このひょうたんは大体300年周期で劣化して新しいものに代えるのであるが、近頃はずっとほったらかしであったので、壊れてしまうまで気が付かなかった。
風神様は代わりのひょうたんを持ってきて、ひょうたんの中に思いっきり息を吹き込んだ。これでまたこの新しいひょうたんから風が出続ける。元のひょうたんと入れ替え、タイマー機能を設定して一安心した風神様はふとあたりを見回した。
そこには、それはそれは大量の書物が散乱していた。40年前にタイマー機能を付けるまでは、ひょうたんの傍にいて風の調節を行っていた。ずっとぼーっとしておくわけにはいかなかったが、風を調節するとき以外はやはり暇だったので、人間の世界の読み物をたくさん用意して読み漁っていた。
風神様は文字は読めるのだが、あまり難しいことは理解できない。というか、人間の考えたことを神様が理解する必要もないので、ただ文字だけを認識して読んでいた。なので、いろんな読み物の中でも特に漫画がお気に入りだった。最近で好きだったのは手塚治虫の漫画だった。絵がお気に入りだった。それを思い出した風神様は「新寳島」を手に取り、少しだけ懐かしんだ。その前に好きだったのは野村文夫の「團團珍聞」というやつだっだ。よくは分かっていなかったが、どこか雷神様を思わせたのを覚えている。
そして、その前に好きだったのは十返舎一九だった。
それを思い出した風神様は、「東海道中膝栗毛」をパラパラとめくって文字を追いかけた。すると風神様の目に風の文字が入ってきた。そこにはこう書いてあった。
『風が吹けば箱屋が儲かる』
それを見たとき風神様に電撃が走った。
「これだ!」
風神様は叫んだ。ただ退屈な時を何もせずにぼーっとするくらいなら、人間の世界で一儲けしようではないかと考えた。気にしないようにはしていたが、実は最近の人間界がとても楽しそうなのを知っていた。だからと言って、神様が人間界にそのまま降りたところで何の意味もない。それならいっそ人間界でたらふく儲けて、遊びまくろうではないかと考えた。
神様が人間の世界でお金を手に入れるのは、今までだったらお賽銭の一択であったのだが、風神様という立場があれば違ってくるのだ。
答えはもう出ていた。箱屋になって風を吹かせれば、それだけでもうけられるのだとそうかいてある。ちなみに他の書物にも目を通してみたら桶屋も儲かるようで、風神様は歓喜した。
こうして風神様の人間の世界での転職活動が始まっていくのである。