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22.痕跡に触れる

 不規則に屋根を叩く音がして、それが雨粒の仕業によるものだと気付くのに時間は掛からなかった。

 最初はポツポツとまばらだった音が次第に大きくなり、それなりの雨量であると察したガブリエラは施錠済みだった玄関扉を開放して頭を突き出す。


「ベリル! どこだ、ベリル!」


 領内を根城にしているだろう子狼の名を叫ぶ。木立の中か、薪小屋の下か、普段どこで寝ているのか知らないが、この雨ざらしの下で一夜を過ごすのは可哀相なので小屋の中に招き入れてやるつもりで声を張り上げる。

 しばらくして薄暗がりの中から被毛をしっとり濡らした毛玉が飛び出してきた。与えられた名前を理解しているのか、「ベリルおいで!」と呼ぶと一目散に小屋の中まで駆けてくる。再び鍵を掛けるガブリエラの背後でブルブルと身震いするのであちこちに水滴が撥ねてしまっているが、今日ばかりは許してやることにした。


エンバス領(ここ)に来て初めての雨だな」


 屋根や木立を打ち付ける雨滴の音が平時は静かな管理小屋を包みこんでおり、ガラス窓の向こうは雨垂れのカーテンが視界を煙らせている。いつも以上に外界から切り離されたような空間でベリルの存在が思いの外に頼もしかった。


(水遣りの手間が省けるのは助かるな)


 まだ春と呼べるこの季節、頻繁に灌水しなくても苗が水切れを起こすことは少ないそうだが仕事の手間がひとつ減るのは有り難いものだ。ベリルの身体をタオルで拭きながら自然の恵みに感謝する。


「ソファと寝台に乗るのは禁止。わかったか?」


 毛づくろいを始めた子狼に言い聞かすが、ちゃんと聞いているかはわからない。やれやれ、と思いつつもその姿の可愛さに(まぁいいか)と甘くなってしまうガブリエラだった。



◇◆◇



 カリカリカリカリ。


(……うるさい)


 カリカリカリカリカリ。

 乾いた音が近くで聞こえる。ひっきりなしに続くそれはガブリエラの睡眠を断ち切るには十分過ぎた。ぼんやりした頭で騒音の出所を探る。寝台の上で身を起こしたガブリエラの視界にふるふると揺れる毛の塊があった。


「こら、何を朝から騒がしくしているの」


 未だにカリカリと続くのはベリルが床板を引っ掻く音だった。お尻を突き出し、後ろ足を踏ん張って寝台の脚元に懸命に爪を立てている。一心不乱な姿に何がそんなに面白いのだろうか、と思わず見入ってしまった。


「ベリル、やめなさい」


 声を低めて注意しても子狼はまるで聞く耳を持たず。

 カリカリカリカリ。


(爪研ぎというものだろうか?)


 狼の生態に詳しくないので無理に止めさせるのも良くないかと思い、好きにさせておこうと割り切った。ガブリエラが着替え始めても尚カリカリと床板に爪を立てていたベリルだったが、朝食の支度を開始する頃にはちゃっかりキッチンでお座りをしている。


「食事が欲しいなら君も働かなくてはならないんだぞ?」


 そう言いながらも茹でて柔らかくした干し肉を与えてやる。舗装作業のために訪れるワーケンダー領民に愛想を振り撒いているので、その出来高分だ。

 こうして朝一番から話せる相手がいることにガブリエラ自身が癒やされている部分もある。誰とも言葉を交わさず一晩を明かすのは存外堪えるものだと知ってしまったから。


「畑の様子を見に行くが、どうする?」


 食事を終えてご満悦のベリルに尋ねてみるが、緩慢な動きで顔を洗って聞く耳を持たないので扉に僅かな隙間を残して一人で外に出た。

 空には昨夜の雨が嘘のような蒼が広がっているものの漂う空気が露を含んで少しひんやりしている。木々や砂利に残った水滴が陽光を反射して、寝起きの目と脳にチカチカと刺激を与えてくる。

 ガブリエラは作業用ブーツに履き替えて畑を目指した。連日のワーケンダー領民の作業によってエンバス領内には徐々に道らしき経路が敷かれつつある。まだ除草出来ていない一角もあるけれど、管理小屋から開閉ゲートまでの道筋はすっかり青草が刈り取られ、広々とした地面が露出していた。


(ところどころに水たまりがある。石畳を敷いた方がいいかな)


 ジェラルドの助言を思い出して、いつまでこんな風に相談出来るのだろうかと重たい息を吐く。先日思い描いてしまった未来がガブリエラを後ろ向きにさせている。エンバス領の再生はまだ始まったばかりだというのに。


「お嬢さん、おはようございます」


 畑の側にワーケンダー領の職人が一人おり、ガブリエラの姿を見つけて声を掛けてきた。


「おはようございます。今日はお一人ですか?」

「雨上がりで作業が出来るかを確認しに来たんですよ。皆王都の宿に泊まってますから、全員でやって来て駄目だったからまた帰るってなると馬車代を損しちまうでしょう?」


 運賃も経費として計上されるはずなのに気遣わせてしまって申し訳なくなる。


「では今日はお休みになさって下さい。ぬかるんでいるところもありますから汚れ物も増えそうですし」

「そうですか? ではお言葉に甘えて、また明日からよろしくお願いします」


 職人を見送り、ガブリエラは畑の確認に戻る。定植してから背丈が高くなった苗たちは葉をわさわさと茂らせたり、蔓をひょろひょろと伸ばしたり、それぞれに違った特徴を見せるようになってきたので面白い。鮮やかな葉に光る水滴は宝石にも負けない輝きだ。

 水を含んだ土に足を沈ませながら一株一株を(つぶさ)に見て回る。折れたり萎れたりといった問題もないので管理小屋に戻ることにした。


「……ベリル、またやってるのか」


 スリッパに履き替えたガブリエラを出迎えたのはベリルが床板を掻く、例のカリカリ音だった。発生源はやはり寝室からで今朝と同じく寝台の脚元に夢中になっている。


「こら、駄目だよ」


 抱き上げて居間の方に連れていくも、床に下ろした瞬間に寝室へと駆け込んでいく。そしてまた同じ場所に執着するのだ。


「ベリル、そこに何かあるのか?」


 あまりの執心ぶりに気になってきた。子狼の横に屈んで床板にじっと目を凝らす。虫がいるわけでも食べ物が落ちているわけでもなく、何の変哲もない木板にしか見えない。試しにガブリエラも件の箇所に手を伸ばして触れてみた。


(……ん?)


 今度は少し離れた場所を触ってみる。

 感触が違う。正確に言うならば指先に返ってくる圧が違う。

 ベリルが固執している床板は寝台の重みで上から押さえ付けられているはずなのに、まだ沈み込もうとする力を感じるのだ。


(どういうことだ?)


 ガブリエラの指先が邪魔だと言わんばかりにベリルが床に鼻を擦り付けている。床下の建材が腐食しているのか、小動物でもいるのか。益々気になってきたガブリエラはいっそのこと、寝台をずらして木板を直に確かめることにした。


「……これは……」


 寝台を持ち上げて横に引き摺っている隙にベリルが再び床板を引っ掻こうとした。しかしそれは叶わなかった。ベリルが前足を掛けた途端に板の反対端が浮いてカランと転げてしまったからだ。子狼は突然宙を舞った木板に驚いて壁際まで飛び退いている。

 一方でガブリエラも驚きを隠せなかった。床板がいとも容易く外れてしまったこともそうだが、木板一枚分の隙間を覗かせる床下におかしなものを発見したからだ。非常に気になるがいきなり手を突っ込むようなことはせず、屋外に置いてある革手袋を持ち込んで装着した。そしてまずは外れた床板の方から調べてみる。


(わざと外れるように細工してある……?)


 釘の頭だけが打ち込まれていて、床板を支える根太(ねだ)を貫くはずの銅部分が切り落とされている。寝台の脚の下に敷かれていたので見せかけの釘だとは全く気付かなかった。

 次いでガブリエラは不自然に空いた床穴に視線を移した。薄暗い床下にポツンと置かれた場違いなそれを慎重に取り出す。窓から差し込む陽光に晒して自分の見間違いではないとやっと確信した。


「どうして茶缶がこんなところに」


 見たことのないデザインながらも、一般的な形をした紅茶缶だった。表面に埃が被っている。角度を変えながら手中の角缶を検めているとそれまで逃げ腰だったベリルが傍らにやって来た。すんすんとひくつく鼻先を缶に押し当ててくる。


「目当てはこれだったのか?」


 穴にも外れた木板にも目をくれず、茶缶だけに興味を示すベリルを見ていると俄然中身が気になってくる。さほど重みを感じないので試しに耳元で振ってみた、ちょうどそのとき。コンコンコンと玄関扉を叩く音が重なって驚きに身体が跳ねた。


「ガブリエラ、起きてる?」

「え?」


 ジェラルドの声だ。まさかこんな時間に?と疑問を抱きつつも扉を開くと、紛れもなく彼がそこにいる。簡素な衣服を纏っているので登城前にやって来たのだろうか。


「こんな早くにわざわざ……それも雨上がりの道を。一体どうしたんだ?」

「急ぎで君に渡したいものがあって。これを受け取って欲しい」


 ジェラルドが上着の内ポケットからところどころに金粉の浮いた白い封筒を取り出した。


「エンバス領に関する通知か何かか?」

「夜会の招待状だよ。マリロイ公爵から君にと託されたんだ」

「夜会? マリロイ公爵? 何故そんな……心当たりがないのだが」

「まぁね。突発的なお誘いだよ」


 突発的だろうが計画的だろうが関係ない。こんなものを託されても困る。


「申し訳ないが受け取れない。参加するつもりはない」

「そういうわけにはいかないよ。ガブリエラには必ず参会してもらう」


 軽い衝撃を受けた。ジェラルドがこちらの言い分を欠片も聞こうとせずに強要してくるとは思ってもみなかったからだ。


「私は貴族じゃない。どう考えても場違いだ」

「でも君はエンバス領領主だ」


 本来なら領を治める者は叙爵されて然るべき立場だが、現実には爵位を与えられていない。貴族が集う只中に放り込まれるのは護衛騎士として夜会に帯同するのとはわけが違う。ましてやガブリエラには過去の醜聞があるというのに。

 しかしジェラルドは固い意志を宿らせた瞳でこちらを見下ろしてくる。


「もうドレスも用意してある。あとはガブリエラが頷くだけだよ」

「なっ、ドレスだって?」


 すっかり失念していた。社交の場に出るということは諸々の支度も必要なのだ。ガブリエラが逃げ口上に使うよりも前に先手を打たれてしまった。


「どうしても出なくては駄目なのか」

「どうしても出なくては駄目だよ」


 ドレスまで準備されているとなると非常に断りづらい。自分のために動いてくれた人々がいるとわかって無下にするのは心苦しい。公爵家の誘いをそうそうに跳ね除けられないことも十分理解しているので渋々、本当に渋々と招待状を受け取ろうとしてガブリエラは手を差し出した。


「どうして手袋なんて着けてるの」

「え? あぁ、実はちょっと気になるものが」


 カラン、と乾いた音が寝室から聞こえた。「こら、ベリル!」と大声を放って、改めて相談役に向き直る。


「ジェラルド、今し方おかしなものを見つけたんだ。時間があるなら君も一緒に確認してくれないか」

「おかしなもの?」

「あっちだ」

「ちょっ、寝室に入れって?」


 カン、ゴン、と缶を転がしているだろう音が継続しているのですぐさま寝室に戻る。ベリルの餌食になっている紅茶缶を拾い上げたとき、ジェラルドも戸口に辿り着いたようだった。


「ねぇ、ガブリエラ。一体、何が……」


 彼の眼差しがガブリエラからベリルに移り、そして不自然な床穴に注がれた。あり得ないものを見つめてその場に立ち尽くしている。


「……これ、は?」

「ベリルがずっと床に執着していたから寝台をずらしてみたら床板が外れたんだ。ほら、簡単に外れるように細工してある」


 釘の頭だけが打たれた木片を見せるとジェラルドが眉間に力を込めたのがわかった。続けて茶缶を彼の前に差し出す。


「床下にこの缶だけが置かれていた。軽いけれど何かが入っている感触があるから開けてみようと思う」


 ガブリエラの言葉を最後まで聞き終えて、ジェラルドは寝室に足を踏み入れた。床に空いた穴を自身の目で観察し、外れた木板の表裏に真剣に見入っている。


「わかった、僕も立ち会う」


 そう言って立ち上がったので二人で居間に向かう。念のためジェラルドには少し離れてもらい、ガブリエラがテーブルの上で缶の蓋部に手を掛けた。カコッと軽い音を立てて外れたので、ゆっくりゆっくりと持ち上げる。少なくとも何かが飛び出てくるようなことはなかった。


「何か入っている。ここに出してみるぞ」


 足元にベリルが纏わり付く感触を感じながら缶を斜めに傾けた。するすると滑り落ちてきたのはガブリエラの掌にも満たない四角い何か。畳まれた紙のようだ。蝋引きされた飴色の紙を動かしづらい革手袋の指先で丁重に開くと中には別の紙包みが収まっていた。

 いつの間にか同じように覗き込んでいたジェラルドが長い指をすっと突き出す。


「こちらには何か文字が書いてあるね」


 内側の一包も経年劣化によるものなのか、随分と黄ばんだペラペラの紙だった。彼の言う通り、褪せたインクで細かな文字が綴られている。手紙ならば少々気まずいなと思うものの、こんな状態で保管されていることへの興味が勝り、薄い紙を破いてしまわないようにと殊更丁寧に包みを解いていく。紙片の中央に向けて折られていた角を開いたとき、そこに隠されていたものを二人は見つけた。


「これは……花?」


 ガブリエラは呟きながら紙を広げきる。その中央には茶色く干からびた細長い花びらがいくつも散らばっている。美しく咲き誇る花ざかりであれば品種を言い当てることも可能だが、枯れてばらけた花弁だけでは何の花かわからない。


「ガブリエラ、ここを見て」


 ジェラルドがある一点を指し示す。特に脆そうな紙の端、そこに綴られた文字に目を走らせてガブリエラははっと息を呑んだ。上目でジェラルドを見つめると、彼もまた真剣な表情でこちらを見据えていた。


「日付は七十三年前。当時の新聞だよ」

「……ということは」

「そう、()()はエンバス王太子の手によって残されたものかもしれない」


 可能性としては大いに有り得る。この小屋を利用出来る立場で、紅茶缶や新聞を持ち込めた人物。新聞の日付も裏付けしている。

 しかし俄には事態を呑み込めない。当時の王太子がこんな場所に隠すように残していたものがあるなんて。


(そうだ、隠していたんだ)


 細工された木板には寝台の重みで凹んだ窪みがあり、その跡から長年寝台が動かされた形跡は感じられないというのがジェラルドの所見だ。その言葉通りなら偶然招き入れたベリルが嗅ぎ付けるまで誰にも触れられずにあったのだし、下手をすればこのまま更なる年月を越していたかもしれない。

 とんでもない宝を掘り当てたかのような気分で鼓動が早まる。


「何故この花びらを残したんだろう?」

「……これはおそらく種だ」


 ジェラルドが一片の花弁を指で弾く。細長いと思っていた花びらの先端がぽろりと外れた。やや黒っぽくはあるけれど薄っぺらい棘のようで、ガブリエラが鉢に蒔いた種とは全く形状が異なっている。これを種だと言われてもピンと来ない。

 しかしジェラルドは丸眼鏡の奥で鉛色の瞳を鋭く輝かせて言った。


「エンバス王太子がこの地に何を望んだのか、わかるかもしれない」


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